ヴァイオリンの神話に疑問符?

昨日付のニュースで
『何億円もすることで有名なバイオリンの名器「ストラディバリウス」や「ガルネリ」は、現代のバイオリンと 大差ないとする意外な実験結果を仏パリ大学の研究者らが3日、米科学アカデミー紀要で発表した。 』
と言うのが、あちこちでとびかっていますね。

「Guarneri del Gesu」

「Stradivari」

論文の本体はいろいろ探したのですが、ネット上では発見できませんでした。
ごく簡単な概要は「Player preferences among new and old violins」で紹介されていました。

それを見ると、「Guarneri del Gesu」や「Stradivari」という名器と、現在の最高級器(high-quality new instruments)を21人の経験を積んだヴァイオリニスト(21 experienced violinists)に演奏してもらって、どれが一番好ましいかを比較してもらうという実験だったようです。
勿論、「はいこれがGuarneri del Gesuです」、「こちらが現在のヴァイオリンです」と言って演奏してもらったのでは先入観が邪魔をしますので、当然のことながらブラインドでテストをします。その時に、結果を観察する人にも楽器の素性は知らさずに行う「二重盲検」という手法がとられています。

さて、その結果なのですが、4つの点が明らかになったとされています。

  1. 最も好まれたヴァイオリンは新しいものだった。(the most-preferred violin was new)
  2. 最も好まれなかったのは「ストラディバリウス」だった。(the least-preferred was by Stradivari)
  3. 制作年代や金銭的な価値と、実際に聞き取れた音質との間には不十分な相関関係しか見いだせなかった。(there was scant correlation between an instrument’s age and monetary value and its perceived quality)
  4. ほとんどの演奏家は自分が好ましいと思った楽器が古いものか新しいものかを判断できいないように見えた。(most players seemed unable to tell whether their most-preferred instrument was new or old)

そして、この結果は一般的な通念に衝撃的な影響を与える(These results present a striking challenge to conventional wisdom)と述べています。

ネット上を少しばかり調べてみると、この結果を取り上げて鬼の首を取ったように騒ぎ立てている向きもあるようです。
しかし、私は「少し違うだろう」と思ってしまいます。どうして、少しは自分の頭を使って物事を考えようとする「訓練」をしないのかとため息が出てしまいます。

まずは、プロの演奏家というのは、演奏という行為に生活がかかっていますし、さらに言えば己の人生そのものがかかっています。彼らが、途方もない価格の楽器を何とか入手して演奏に使おうとする「執念」はこんな簡便な実験でくつがえされるような「安直」なものだったのでしょうか?
それは、彼らが人生をかけたものの「重み」をあまりにも見くびっています。

おそらく、この実験の問題点は二つあるでしょう。
一つは、経験を積んだとされるヴァイオリニスト(experienced violinists)の、その経験の質が明らかにされていない点です。
二つめは、実験を行った場所が残響の少ないデッドな部屋(room with relatively dry acoustics)で行われた事です。

特に問題なのは二つめの要因でしょう。
演奏というのは、基本的にそのような部屋で行われるものではなくて、コンサートホールで行われるものです。コンサートホールというものは充分な容積と残響のある空間です。そして、「ストラディバリウス」や「ガルネリ」という楽器は、そのような空間で鳴り響いてこそ真価を発揮するものだと言うことは、「常識」に属する事です。
軽自動車とF1のレーシングカーを狭い空間で走らせてみてあまり差はないねと言っても誰も相手にしないでしょう。ところが、それと大差ないような実験をヴァイオリンで行ってみて大差ないねと言って怪しまないというのは、実に怪しい話です。

ただ、昨今の「ストラディバリウス」や「ガルネリ」に対する信仰は度が過ぎていることも事実です。こういう楽器は数が限られていますから、基本的に需要の数によって価格は決まってきます。そして、その後が過ぎた信仰のせいで、その価格は常軌を逸したレベルにまで達してしまっています。もはや、演奏家が一個人でそのような楽器を入手をするのは不可能なレベルにまで達しているのは決して好ましい状態だとは言えません。
また、現代のヴァイオリンも、その音色においてかなりのレベルにまで達しています。そのために、世界的に有名なヴァイオリニストも、少しずつそのような楽器を使い始めるようになっています。そう言う楽器は、高いものでは1000万円を超えるそうなのですが、「ストラディバリウス」等の価格と比べれば「格安」です。
今回の実験が、そのような行き過ぎた信仰に歯止めをかけるものになれば、それはそれで意味のあることだと言えるかも知れません。

2 comments for “ヴァイオリンの神話に疑問符?

  1. mkn
    2012年1月6日 at 10:26 PM

    30年ほど前、「偽ストラディヴァリウス」事件があったのを覚えておいでと思います。私はまだ学生でしたが、ある先生が講義中にコメントを試みられたのを覚えています。

    「偽物偽物と騒いでいるが本物の偽物なんだから良い楽器だったんじゃないかと思うね」

    何となく腑に落ちた気がしたものです。ちなみに音楽とは何のかかわりもない「国際政治」の講義でした。

  2. -gesu-
    2012年1月10日 at 11:35 PM

    TVだったのか本だったのかの記憶が定かではないのだけれども。
    ストラディバリウスは、演奏会場全体を響かせるのに良いが
    近くで聞くと、想像しているよりもがさつっぽく聞こえて
    いわゆる耳に心地の良い音ではないというのを聴いた(読んだ?)記憶がある。
    逆に、今回のテストで良い音だけれども、コンサート会場ではか細く聞こえる楽器かも?
    通常、プロが演奏するシチュエーションを考えると、どちらが良い楽器でしょう?・・・ということかな・・・
    この文を読んで、急にこの記憶がよみがえった。
    しゃいならぁ~

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