イタリアの名指揮者、グイド・カンテッリ[1920-1956]がEMIにおこなった録音から主要なものを集めたボックスセット。8枚のCDに加え、60分間のオーディオ・ドキュメンタリーを収めた1枚のCDの計9枚のCDから構成されています。
カンテッリの演奏はこのサイトでもいくつか取り上げています。(チャイコフスキーの後期交響曲集)
その中で、こんな風に書いています。
「度肝を抜かれるというのはこういうことを言うのでしょう。
底光りのする鋼鉄の響きが一糸乱れぬ鬼のアンサンブルで驀進していきます。かと思えば、チャイコフスキーらしい叙情性にあふれた場面では実によく歌います。
なるほど、この演奏ならばトスカニーニが激賞したというのもうなずけます。
あー、困った!これではカタログに彼の名前を見るたびにこの手がかってキイボードをたたいて注文を出してしまう・・・。 」
今回はステレオで録音された演奏もいくつか含まれているそうですから(ブラームスの交響曲第3番、ベートーヴェンの交響曲第7番、シューベルトの未完成、モーツァルトの交響曲第29番)から、注文しない手はないでしょう。
【収録情報】
CD1
・モーツァルト:音楽の冗談 K.522~第1楽章:アレグロ(録音:1955年8月)
・モーツァルト:交響曲第29番イ長調 K.201(録音:1956年6月)
・ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調 op.67『運命』~第2楽章、第3楽章、終楽章(録音:1956年6月)
フィルハーモニア管弦楽団
CD2
・ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調 op.92(録音:1956年5月)
・シューベルト:交響曲第8番ロ短調 D.759『未完成』(録音:1955年8月)
・ロッシーニ:『泥棒かささぎ』序曲(録音:1952年10月)
フィルハーモニア管弦楽団
・ロッシーニ:『コリントの包囲』序曲(録音:1949年5月)
ローマ聖チェチーリア国立音楽院管弦楽団
CD3
・メンデルスゾーン:交響曲第4番イ長調 op.90『イタリア』(録音:1955年8月)
・シューマン:交響曲第4番二短調 op.120(録音:1953年5月)
フィルハーモニア管弦楽団
・カゼッラ:パガニーニアーナ op.65(録音:1949年5月)
ローマ聖チェチーリア国立音楽院管弦楽団
CD4
・ブラームス:交響曲第1番ハ短調 op.68(録音:1953年5月)
・ブラームス:交響曲第3番ヘ長調 op.90(録音:1955年8月)
フィルハーモニア管弦楽団
CD5
・チャイコフスキー:幻想的序曲『ロメオとジュリエット』(録音:1951年10月)
フィルハーモニア管弦楽団
・チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調 op.64(1950年9月)
ミラノ・スカラ座管弦楽団
CD6
・ワーグナー:ジークフリート牧歌(録音:1951年10月)
デニス・ブレイン(ホルン)
フィルハーモニア管弦楽団
・チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調 op.74『悲愴』(録音:1952年10月)
フィルハーモニア管弦楽団
CD7
・ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲(録音1954年6月)
・ドビュッシー:夜想曲~『雲』、『祭り』(録音:1955年8月)
・ドビュッシー:交響詩『海』(録音:1954年9月)
・ドビュッシー:交響的断章『聖セバスティアンの殉教』(録音:1954年6月)
・ラヴェル:『亡き王女のためのパヴァーヌ』(録音:1952年10月)
フィルハーモニア管弦楽団
CD8
・デュカス:交響詩『魔法使いの弟子』(録音:1954年6月)
・ファリャ:『三角帽子』~隣人達の踊り/粉屋の踊り/終幕の踊り(録音:1954年6月)
・ラヴェル:『ダフニスとクロエ』第2組曲(録音:1954年6月)
フィルハーモニア管弦楽団
・フランク:交響曲二短調(録音:1954年4月)
NBC交響楽団
以上、グイド・カンテッリ(指揮)
CD9:ジョン・トランスキー:リメンバリング・カンテッリ(オーディオ・ドキュメンタリー:英語)
1. イントロダクション~ベートーヴェン:交響曲第5番フィナーレ
2. ファースト・レコーディングス
3. フィルハーモニア管弦楽団へのカンテッリのインパクト
4. カンテッリの完璧主義
5. メンデルスゾーン:交響曲第4番フィナーレ
6. ラヴェル:ダフニスとクロエ第2組曲、リハーサル
7. ドビュッシー:海
8. カンテッリのレコーディング・メソッド~ブラームス:交響曲第3番
9. 聴衆へのカンテッリのインパクト
10. ファイナル・レコーディング、そして死、ベートーヴェン:交響曲第5番フィナーレ
ステレオ録音ばかり集めた二枚組を持っています。驚いたのはベートーヴェンの7番で、こんなみずみずしい7番はあまり聴いたことがなく今日に至っています。
トスカニーニは「私と同じように指揮をする」と言って褒めたそうですが、「私の若いときと同じように」というのが本音だったのではないでしょうか。もし事故に遭わず、ニューヨーク・フィルの指揮者にでもなっておればバーンスタインの出番はなかったかも…。