尺八の演奏会に行ってきました。

ひょんな事から尺八の演奏会に足を運ぶことになりました。演奏されるのは、この夏のザルツブルグ音楽祭にも招待されているというその筋では有名な方らしいのですが、邦楽には全く疎い私には全く存じ上げない方でした。(って、私が知っている尺八の演奏家は武満のノヴェンバー・ステップスを初演した横山勝也さんくらいです^^;)

演奏会場は、大阪は金剛山の麓にある、これまたその筋では(^^;有名なレストランです。
このレストランは車で行くにはかなり勇気のいる狭い道の奥にあるのですが、この時期は周辺が石楠花の花で埋め尽くされるという最高のロケーションの中にあります。昨年、初めてこのレストランを訪れて、その景観の素晴らしさにすっかり感心し、さらにはこの時期には毎年コンサートも行っているという話を聞きました。
なるほど、それならば来年は石楠花の花と料理を楽しみ、さらには音楽も聞ければ最高だと思い記憶にとどめていたのです。

とは言え、そんなことは日々の忙しさの中ですっかり忘れていたのですが、連休前にそんな記憶がふとよみがえり、慌てて電話をしてみるとまだ席に余裕があるというので早速に予約を入れた次第です。
なお、このコーナーはグルメサイトではないのでレストラン情報に関しては何も述べません。(^^;ただし、今年もまた、ロケーションだけは二重丸に花丸がつくほどの素晴らしさであったことだけは付けくわえておきます。

syakunage

紫陽花の頃もきれいだそうです。6月にももう一度たずねてみたいと思っています。

azisai

さて、尺八の演奏会なのですが、会場はレストランのフロアを使うのでとてもこぢんまりとしたコンサートでした。
ただし、聞き終わった後の満足感は非常に高いものがありましたし、思いもよらない発見もある演奏会でした。

演奏会では色々な曲を演奏してくれたのですが、感心したのは「本曲」と呼ばれる古典作品と、この日の「趣向」である「鹿の遠音」でした。
最初は沖縄の民謡や五木の子守歌などを演奏してくれたのですが、こんな音楽のどこが良くてザルツブルク音楽祭が紹介したのだろうかと「?」がいくつもつく思いだったのですが、「本曲」と呼ばれる古典作品を聞かせてもらってその「?」は一気に消え去りました。

尺八の音楽はもともとは禅と結びついて発展したものらしいのですが、その理想は竹藪を吹きすぎる風の音だそうです。そう言う、禅と結びついた尺八の古典楽曲が「本曲」と呼ばれる音楽らしいのですが、この日は3曲聴かせてもらいました。そして、最初の作品を聞かせてもらったときに、「いやぁー、これってまるでシェーンベルクかウェーベルンの音楽みたい」と思ったのでした。
「本曲」は基本的に演奏が終わっても拍手はしないのがしきたりだそうで、音楽が終わっても静寂の中で演奏者は一礼をし、再び尺八を手にとって次の作品の演奏を始めます。

その演奏と演奏の間の静寂のなんという素晴らしさ!!

後で聞いた話では、ザルツブルグ音楽祭では小さな教会で「本曲」だけを休憩時間なしに一気に8曲演奏するそうです。
一本の竹から紡ぎ出される音はまるで風のように流れ来たっては流れ去っていきます。音楽はまるで無から生じて無へと消え去っていくような風情で、まさに今鳴り響いている音だけが全てです。
音楽は時間の経過とともに生成・消滅していくというのが西洋古典音楽の常識なのですが、尺八の「本曲」ではそのような時間という概念が消え去って、ただただ今鳴っている音だけが全てという世界が生み出されます。この構造は、穿ちすぎかもしれませんが、新ウィーン学派の音楽ととても近しいように思いました。そして、それ故にザルツブルグ音楽祭も招待したんだろうなと納得した次第です。

しかし、この日の一番の聞き物は「鹿の遠音」でした。
「本曲」3曲で前半の部が終わった後に短い休憩があって、後半はこの「鹿の遠音」からコンサートが再開されたのでした。

6時から始まったコンサートは既に7時を過ぎていて外は既に暗闇になっていました。
後半の幕開けはレストランの窓という窓を全て開け放ち、演奏者は外の森の中で「鹿の遠音」を演奏するという趣向です。

<こういうロケーションです。ホントに山奥にあるレストランなのです。>
santouka

二本の尺八が二匹の鹿が鳴き交わすように演奏するのですが、その音は室内にいる私たちには微かに遠くから鳴り響いてくるのみです。そして、その尺八の響きと同じくらいの重みを持って聞こえてくるのは、蛙の鳴き声であり、木々をざわめかせて吹きすぎていく風の音であり、さらには鳥の鳴き声が暗闇にひっそりと鳴り響くのです。当然のことながら、聴衆のざわめきやひそひそ声もそれに加わり、そしてどこからともなく二本の尺八の音が幽かに聞こえてくるのです。

恥ずかしながら、この場に居合わせたことで、私は初めてジョン・ケージの「四分一三秒」がいかに優れた音楽であったかを実感を持って感じ取ることができました。
聞き手は演奏家が作り出す音楽を聴くのではなく、それが演奏される環境や聴衆も含めて、一期一会としか言えないような素晴らしい創作の場面に出会うのです。

願わくば、この日のコンサートがこれで幕となれば良かったのですが、・・・、残念ながらその後に島原の子守歌やアメイジング・グレイスなど・・・色々聞かせていただきました。
ただし、ザルツブルグ音楽祭では尺八一本で「本曲」八曲を一気に演奏するらしいので、きっと多くの人に深い感銘を残せるコンサートになるだろうと思います。

1 comment for “尺八の演奏会に行ってきました。

  1. 2013年5月23日 at 11:12 AM

    このような体験をされてうらやましい限りです。札幌、いや北海道でそのような環境で音楽を聴くことはできないと思います。(単純な野外演奏会はあります)。不可能ではないのでしょうが、ゆとりのある発想・企画・アイデアを生むベースのちがいはあるかも。
    尺八の演奏と聞き思いついたのですが、いまボランティアの研修を受けています。そのなかに施設で演奏や特技を披露することもあるのですが、心に響く懐かしさとか心を揺さぶる感動を、尺八の演奏で醸し出すことができれば素敵かな、と思いました。ただ、聞き手の方の状況にもよることなので、難しいことも多々あるかもしれませんね。前向きに考えます。
    とにかく目に浮かぶようです。うらやましい限りです。ごめんください。

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