歴史的名演のレイティング

web2.0の時代といわれます。曖昧な概念ですが、一般的には以下のように定義づけられるようです。
(1)ユーザーの手による情報の自由な整理
ユーザーの手によって枠組みに捉われることなく自由に情報を配置する。
(2)リッチなユーザー体験
Ajax、DHTML、Greasmonkeyなどといった技術やテクニックを応用してサービスを構築する。
(3)貢献者としてのユーザー
ユーザーによるレビューや評価がコンテンツの構築に貢献する。
4)ロングテイル
ニッチな商品や顧客基盤によってサービスやビジネスが成立する。
(5)ユーザ参加
開発やコンテンツの制作などにユーザが積極的に関わる。
(6)根本的な信頼
情報を享受する側に対して根本的な信頼を寄せることにより知の共有と発展を志向する。
(7)分散性
ネットワークを通じてファイルを相互に共有する。
ユング君なりに解釈してみれば、いよいよ情報における川上と川下という概念が消えてなくなると言うことなのでしょう。
クラシック音楽の世界というのは長い間「権威主義」がまかり通ってきました。偉い評論家の先生が「良い」と言えば、それは「良い」のであって、「悪い」と言われればそれは「悪い」ものだという世界でした。
しかし、今から見てみれば、その偉い評論家先生の「偉さ」というのは、情報の川上に位置しているというメリットだけで成り立っていた事に気づかされます。
そう考えると、私も安直にあちこちで使っている「歴史的名演」というのも、考えようによっては「胡散臭い」概念かもしれません。
ジェームス・スロウィツキーの「みんなの意見は案外正しい」という本があります。彼はその中で、「正しい状況下では、集団は極めて優れた知力を発揮するし、それは往々にして集団の中で一番優れた個人の知力よりも優れている」と述べています。
この「正しい状況下」というのは、意見を集約する集団の中で
「多様性(集団の成員が検討する課題に対してそれなりの情報を持っている)」
「独立性(他者の考えに左右されない)」
「分散性(身近な情報に特化できる)」
「集約性(全体の意見を一つの判断に集約できるメカニズムの存在)」
が保障されていることだと述べています。
ですから、その様な特徴を持たない「何らかの力関係が働く集団の中では必ずしも集合知が有効に働かない」と言うことです。
ここに、「三人寄れば文殊の知恵」と「烏合の衆」のターニングポイントが存在するようです。
これは結構慧眼であって、web2.0という概念を支えるポリシーとなっています。
つまり、これを「歴史的名演のレイティング」に置き換えれば、偉い評論家先生や有力なサイト管理者たちが長年にわたって「これは歴史的名演だ!」と評価してきたことを集団の検討にゆだねようというわけです。
おそらく、ユング君のサイトでこれを実施すれば、「多様性」「独立性」は保障されているでしょうし、さらにこのサイトのユーザーならば結構「身近な問題」としてとらえてくれるのではないでしょうか。
後は、そうやって表明されるユーザーの意見を上手く「集約」できるかどうかです。
ユング君としては、個々の録音に500を超える投票が積み上がってくれば結構面白いまとめができるのではないかと期待しています。

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