実朝と言えば、真っ先に思い浮かぶのが次の歌です。
大海の磯もとどろに寄する波われて砕けて裂けて散るかも
実朝を再発見したと言われる真淵はこの歌を全く評価しなかったそうです。ですから、明治になってから実朝を褒めちぎった子規は「真淵は力を極めて實朝をほめた人なれども、真淵のほめ方はまだ足らぬやうに存候」などと文句を言っています。
しかし、子規もまたこの歌の背後に隠れている実朝の「孤独」を読み取ることはできなかったようで、それをものの見事に言い当てたのは小林秀雄でした。
実朝の歌は縮んでいきます。小林がその事を指摘しています。
例えば、もう一つ有名な歌として
箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に浪の寄る見ゆ
があります。
これも基本的には縮んでいきます。
まず、大きな伊豆の海が広がります。やがて視点はその海に浮かぶ小さな島に移り、さらにはその島に寄せる波へと収斂していきます。
最初の歌も同様です。
ここでもまずは大きな海原が広がり、それは目の前の磯に移ります。さらに、その視点はその磯に寄せる波へと移行し、その波が砕け散る波しぶきへと収斂していきます。
それに比べると、万葉の歌は広がっていくのが基本です。言い切っていいのかどうか自信はありませんが・・・(^^;
若の浦に潮満ち来れば潟を無み葦辺をさして鶴鳴き渡る
赤人の有名なこの歌は、目の前の浜辺から遠くの葦辺へと視点が広がり、最後はその向こうに広がる大きな空へと拡散していきます。この広がっていく感じこそが万葉の魅力だと私なんかは思っているので、実朝の歌を万葉になぞらえる見方にはどうしても違和感を感じてしまいます。
一人の男が海辺に立って波しぶきを見つめています。
さらにその男は口の中で何度も繰り返すのです。
「われて砕けて裂けて散るかも・・・われて砕けて裂けて散るかも・・・」
かなりシュールな絵柄です。
そして、小林は縮んでいった先に実朝は己のココロを見据えているんだとボソッと呟いています。
そんな実朝の歌から聞こえてくる音楽はモーツァルトです。
この二人に共通するのは「理解されない」事への絶望感でしょう。
実朝は自分が源氏最後の将軍になることを確信していました。ですから、この名門貴族に相応しい官位でこの家門にピリオドを打たなければいけないことは、彼にとっては自明のことでした。しかし、周囲はそんな実朝を「今は先君の遺跡を継ぐばかりで、当代にさせる勲功は無く、諸国を管領し中納言中将に昇られる」と非難するのです。
そして、それは鎌倉の武士団だけでなく、母である政子もまた最後まで実朝を理解しなかったのです。
モーツァルトにしても、命がけの覚悟でザルツブルグを捨ててウィーン出てきたその果てに、予約演奏会の申し込み名簿にスヴィーテン男爵の名前だけしか載っていないことを見たときの絶望感は如何ばかりだったでしょうか。
ウィーンの町中にあふれる音楽のつまらなさはモーツァルトにとってはあまりにも自明のことでしたし、それに対する己の音楽に対する自信は絶対的なものがあったはずです。
しかし、誰も理解してくれなかったのです。
「われて砕けて裂けて散るかも」という呟きは、そんなモーツァルトの絶望感にピッタリと寄り添うような気がします。
そして、そんな呟きに一番近しい音楽がK.543の変ホ長調の交響曲(第39番)でしょう。
演奏としてはセル&クリーブランド管による1960年の録音をとりましょう。この抑えに抑えた表現の中から立ち上る華の美しさこそが、セルのモーツァルトの最良の魅力であり、モーツァルトの深い孤独が見事に結晶化された演奏になっています。
セル指揮 クリーブランド管弦楽団 1960年3月11日録音
久しぶりにセルのモーツアルトを聴いた。特に、ここに聴くセルの演奏は、精密な音楽作品の頂点に位置する演奏の中でも、透明性が際立っている。純粋なダイカスト製品の光輝く光沢感のある様な演奏は、まさに、完璧を求めたセルの人間性を十分に表している。まるで氷の様な透き通るオーケストラの音色の中に自分が吸い込まれていくようだ。数々の名指揮者がこの曲を演奏しているが、セルを超える演奏は、いまだに存在しない。又、セルの指揮に応える、当時のクリーブランド管の技術力も物凄い。
39番は41の作品群の中で一番好きな曲です。気品ある落ち着きと、ある種の重量感が心地よく感じます。私はカール・べーム指揮のベルリンフィルのレコードかオトマール・スィトナー指揮のドレスデンフィルのどちらかで聴く機会が多いのですが、レコード盤が擦り切れたかカートリッジが弱ったのかヒスが多くなって困っていました。デジタル化された音にノイズに悩まされず聴ける喜びを感じながら聴かせて貰いました。