生まれて初めて電車で席を譲られました。
その日は久しぶりにコンサートに出かける予定でした。最寄り駅ですでに難波行きの急行はかなり混んでいる状態で座れる場所はありませんでした。まあ、時間帯から考えれば覚悟していたことだったので吊革をつかんで席の前に立ったところ、突然若い男の人が「どうぞ!!」と言って席を譲ってくれたのです。
このときの感情をなんと表現すればいいのでしょう。
まず、私の後ろにお婆さんが立っているのかと思って気配を探りました。・・が、誰もいません。ということは、どう考えても席を譲られたのは私のようです。
次に頭をよぎったのは「えっ、何で?」という「戸惑いの感情」です。そして、「私ならいいですよ」という言葉が口から出そうになったのですが、「それでは彼に恥をかかせることになる」という「理性」が働いて、結果として「ありがとうございます」と言って席を譲ってもらいました。そして、席を譲った若い男性も私に気を遣わせてはいけないと思ったのか、すぐに別の車両へと歩いていきました。
このやりとりをそばで見ていた人がいれば、それはおそらく一瞬の出来事と写ったことでしょう。実際、時間にすればほんの5秒程度の出来事だったと思うのですが、当事者である私にとってはありとあらゆる感情が渦巻いたとてつもなく長い時間でした。
そして、そう言うことがあったからかもしれませんが、その日のコンサートで一番強く感じたことは「クレーメルも年食ったな!」でした。
往年の切れ味を失ったクレーメルのベトコンと、ジンマン&チューリッヒ・トーンハレ管による蒸留水のようなブラームスはほとんど何の記憶にも残らず、ただただこの席を譲られたことだけが強く記憶に刻み込まれた一日でした。
そう言えば、野村監督はよく若手を捕まえて「お前、頑張ってるか!」と声をかけ、「頑張ってます!」という返事が返ってきたら、「馬鹿野郎!頑張ってるかどうかはお前が決めるんじゃなくて他人が決めるんだ!」と言っていたそうです。
この言葉をそのまま借りれば、老いというのも自分が決めるのではなくて他人が決めることなのかもしれません。そして、自分には何の断りもなく、こうして静かに音もなく忍び寄ってくるのが「老い」というものなのでしょう。
しかし、私のような「クラシック音楽オタク」ではない妻は、コンサートの帰り道に「あのおじいちゃんのヴァイオリンの響きは柔らかくてすてきだった!」とほめていました。なるほど、クレーメルも柔らかくて素敵な響きを出すヴァイオリニストになったんだと思えば、年をとるのもそれほど悪くないかもしれません。
カラヤン指揮 ウィーンフィル 1959年3月23日~4月9日録音
惑星の中で最も有名なのはイギリス版ド演歌とも言うべき「木星」でしょう。しかし、ホルスト自身が最も気に入っていたのは第5曲の〈老年の神、土星〉だったと伝えられています。
フルートとハープが容赦のない時の流れを刻み、それにのって埋葬の音楽が死の訪れを予告します。しかし、その恐怖も最後は静けさの中に溶けていきます。