シベリウス:交響曲全集

シベリウス:交響曲全集 クルト・ザンデルリンク指揮 ベルリン交響楽団
 交響曲対決のアンケートのコメントとして「ユング君はもう一人の20世紀の偉大なシンフォニスト、シベリウスも大好きなのですが、彼の晩年の作品でさえ、ショスタコーヴィッチの作品と比べれば隙間だらけに思えてしまうほどです。」などと書いたことがあるのですが、あれは決してシベリウスを貶したわけではありません。そうではなくて、ユング君はシベリウスに関しては「偏愛」という言葉を使ってもいいほどに愛していて、その「愛」のゆがんだ表現ととらえてほしい言葉なのです。そして、そのように彼の作品を「愛して」いるからこそ、「シベリウス交響曲全集」なんて言葉を目にすると、条件反射のように注文してしまうのです。
 このボックスも、そのような条件反射の産物なのですが、長い間聞かれることもなくつまれていました。しかし、iPodの登場でついに日の目を見た次第です。
 さて、ザンデルリングという人は東ドイツで活躍していた地味な指揮者だったのですが、引退する直前になって「最後の巨匠」みたいな言われ方をされて天まで持ち上げられました。おそらくは、「ポスト・ヴァント」だったのでしょう。ユング君はへそ曲がりで、たとえばヴァントなんかでも、「巨匠」と持ち上げられるまではよく聞いていたのですが、みんなから持てはやされるようになるとほとんど聞かなくなってしまいます。そして、「ケッ!何をいってんだよ、ヴァントの本領はケルン時代だよ!」などと斜に構えてしまうのです。
 それでも、ヴァントに関しては「巨匠になる前」はそこそこ聞いていたからいいのですが、ザンデルリングとなると、「内田光子の伴奏者」ぐらいのイメージしかなく、さらに「巨匠」になってしまうと聞かないというへそ曲がりなので、結果としてどんな指揮者なのか全く分からずじまいということになっていました。 でも、それではいけないので、とりあえず地味な東ドイツ時代の録音なら己のポリシーに反することもないだろうという思いもあって買い込んだセットでした。それに、値段も馬鹿安(5枚セットで5625円)でしたし・・・。


 さて、肝心の演奏の方ですが、実にロマンティックなシベリウスです。なんと言っても、響きに厚みがあって弦楽器群もたっぷりと鳴らされています。どちらかといえば、細身の音でキリリという感じで鳴らされることが多いシベリウスなのですが、そう言う演奏とは全く「種」の違う演奏です。
 もっとわかりやすく言えば、ザンデルリングは何の躊躇いもなく、シベリウスの作品を後期ロマン派の作品として再現しているように聞こえます。暑苦しくはありませんが、冷たさは全く感じさせない演奏です。ただし、大見得を切るような派手さとも無縁です。
 こういう響きで音楽を作っていくならば、たとえば1番や2番などはもっと派手に見得を切れる場面もあると思うのですが、そう言うところは意外なほど淡々と音楽を進めていきます。
 5番なんかも同じような感想を持ちました。作品そのものにそう言う派手さをアピールする部分をあるだけに、個人的にはもう少し見得を切ってもらってもいいのではないかと思ってしまいます。
 ですから、その辺のバランスで一番上手くいっているのは6・7番あたりの作品かもしれません。どちらかといえば、後期のシベリウス作品にはある種の「晦渋」さがあるのですが、ザンデルリングはそう言う「わかりにくさ」を実に上手く解きほぐして、聞きやすい音楽に仕立て直しています。
 とりわけ、7番などはうねるような響きの中で音楽全体の見通しをわかりやすく構築していてなかなかに魅力的です。それは、6番においても同様です。
 ただし、問題なのは、「それではそう言う表現がシベリウスに相応しいのか?」ということです。おそらく、シベリウスを愛している方の大部分は「ノー」と答えるでしょう。つまり、この演奏の持つ「美点」が受け入れがたいという人が多数を占めるであろうことは容易に想像できるのです。つまり、「面白いけれど、ちょっと違うんじゃない!」という雰囲気です。でも、同じことでも見る方向を変えればその雰囲気もずいぶんと変わります。つまり、「ちょっと違うかもしれないけど、面白いね!」と言えば、肯定方向へと針は振れます。
 ユング君としては「ちょっと違うかもしれないけど、面白いね!」を採用して、評価は三つ星としたいと思います。シベリウスの音楽に聞き難さを感じていた人にはおすすめかもしれません。

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