レナータ・テバルディ/デッカ録音全集(66CD)

レナータ・テバルディ/デッカ録音全集(66CD)
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Tebaldi

レナータ・テバルディの名前を聞いて真っ先に思い浮かぶのは、ミラノ・スカラ座の黄金期にマリア・カラスと人気を二分して、熾烈な歌姫としての争いを展開したことでしょう。

テバルディのキャリアはトスカニーニに見いだされて「天使の声」と絶賛されたことからスタートします。その後デッカの計画したプッチーニのオペラ3作「ボエーム」「蝶々夫人」「トスカ」の主役に抜擢され「イタリア・オペラ史が生んだもっとも美しい声」と絶賛されました。
その豊かであると同時にこの上もなく透明感に満ちた歌声はマリア・カラスのしわがれた悪声とはあまりにも対照的でした。
さらに言えば、楽譜を尊重し完璧なテクニックで様々な役を歌い分けるテバルディこそはオペラ歌手の優等生でした。

そして、カラスがその奔放すぎる人生故に己のキャリアの全て台無しにしていく中でも、彼女は淡々と己の役割を果たし続け、1973年まで歌劇場の第一線で歌姫として活躍を続け、さらにはその3年後までコンサート活動を続けました。1922年生まれですからやや早いと言えば早い引退でしたが、己の肉体が楽器である歌手という宿命を考えれば、歌劇場のプリマとして活躍して行くにはそれが限界だったのでしょう。
さらに言えば、テバルディが歌劇場からの引退を決意した年にカラスはパリで音楽活動を再開します。しかし、その歌声に往年のすばらしさは影さえも存在せず、ある高名な評論家はそのコンサートを評して「私はマリア・カラスを見た」としか言えないと酷評したものです。

カラスとテバルディの間にどのような感情があったのかは今となっては知るよしもないのですが、私の勘では、テバルディのような優等生タイプにはカラスみたいな存在は許せなかったのじゃないかと想像しています。
そして、その衰えきったカラスの姿を確認できたことで、彼女は安心して歌劇場からの引退を決断できたのではないでしょうか。

まあ、言うまでもなくこれは私の妄想ですが・・・。
しかしながら、彼女が歌劇場を引退した1973年の時点ではテバルディVSカラスの争いは間違いなくテバルディの圧勝だったはずです。

しかし、時が流れて、この時間という厳格にして冷酷な審判者は、テバルディの名前を忘れてもカラスの名前は忘れることはありませんでした。
正直言って、私は長年にわたってスキャンダルまみれのカラスが大嫌いでした。カラスへの評価なんて三面記事が大好きなマスコミがでっち上げた虚像にしかすぎないと決めつけていたのです。ですから、頭から彼女の歌は否定して、長きにわたって聞かず嫌いでした。

それに、日本人にとっては、テバルディは1961年のイタリア歌劇団の公演で日本を訪れ、デル・モナコと並んでオペラの何たるかを日本人に教えてくれた恩人です。
どうしたって、テバルディ贔屓になります。

しかし、時という審判者は疑いもなくテバルディではなくてカラスを選んだのです。
私もこんなサイトをやっているので、いつまでも聞かず嫌いではまずいだろうし、それに、彼女の全盛期の録音が次々とパブリックドメインになっていくことで容易に音源が入手できるようになったことで、重い腰を上げて彼女の録音を聞き始めました。
そして、聞き始めてすぐに、彼女のスキャンダルまみれの人生故に頭から毛嫌いして聞いてこなかったことを、心から「すまぬ!」と詫びました。

1953年のトスカに刻み込まれた彼女の歌声は、空前にして絶後の偉大な歌役者であったことをすぐに分からせてくれました。54年のノルマにおいては、その圧倒的な声の威力にひれ伏しました。
しかし、彼女の全盛期は短く、やがては様々なスキャンダルの中でその声は見る影もなく衰えていき、さらには最後の最後で無惨と言うしかない老醜を多くの人にさらすという暴挙で己のキャリアに終止符を打ったことを心から残念に思いました。

オナシスくらいの金持ちは世界中を探せば何人でもいるが、マリア・カラスは100年に一人の存在なんだ!!どうして、カラスは己の偉大さ、価値を自分で信じ切れなかったんだ!!
そんな思いが拭っても拭っても消え去ることはありませんでした。

21世紀に入って、新聞の片隅にテバルディの死が報じられました。
その報道に接したときに真っ先に浮かんだ言葉は「まだ生きていたんだ!」でした。現役を引退してから約30年、彼女は悠々自適の晩年を過ごし、そして天寿を全うしたのでした。

確かに、今ではテバルディとカラスの争いはお互いの熱狂的なファンが作り出したもので、二人はそれほど仲が悪かったわけではないと言われて、それが「公式見解」となっています。しかし、テバルディのような優等生タイプの人間は、カラスからどれだけ喧嘩を吹っ掛けられてもさらりとかわしてしまって自分の感情を表には出さなかっただろうと思います。
たとえば有名なエピソードとしてコカ・コーラ論争があります。

テバルディとの違いについて聞かれたカラスが「彼女はコカ・コーラで、私はシャンパン」と言い放ったのです。カラスらしいと言えばカラスらしい物言いです。当然、その発言を聞いた連中はテバルディにご注進に及ぶのですが、肝心のテバルディは「私はたしかにコカ・コーラかもしれませんが、でもハートを持ったコカ・コーラですわ」とさらりとかわしてしまうのです。
しかし、心の奥底まで、そんな風にさらりとかわせていたとは思えません。

彼女は歌劇場から引退した73年にコンサート活動で来日しています。この年にカラスもまた経済的苦境にあったステファノとのコンビで来日公演を行っています。これは、穿った見方かもしれませんが、老醜をさらすカラスへの対抗意識もあって来日公演を承諾したのではないかと思ってしまいます。そして、彼女の安らぎに満ちた晩年の暮らしぶりにも、どこか「私はカラスのようにはならない」という、軽い対抗意識もあったのではないかと思ってしまいます。

もちろん、それもまた妄想にしかすぎませんが・・・。

悲しいことに「マリア・カラス大全集」というものがリリースされ、再発が繰り返される中で、テバルディの録音は一部を除けば入手が少しずつ困難になってきていました。何度も繰り返しますが、そこには時という冷酷な審判者によるジャッジが影響しています。
しかし、漸くにして、こういう形でテバルディの録音がまとまった形でリリースされることは、まさに待ち望んでいたことです。

確かに、彼女の存在はマリア・カラスという化け物と同時代を過ごしたことで随分損をしてしまいました。しかし、「イタリア・オペラ史が生んだもっとも美しい声」と絶賛された彼女の業績は疑いもなくイタリアオペラの一つの時代を代表するものでした。
その業績の全貌がこういう形で概観できることに心からの感謝の念を表したいと思います。

 

2 comments for “レナータ・テバルディ/デッカ録音全集(66CD)

  1. 市村一哉
    2014年8月31日 at 10:40 AM

    たまたまこのblogに辿り着いて、テバルディ全集の予告と管理人の方のコメントを拝読いたしました。
    私、昔のNHKTVでの記憶に促されて、イタリア歌劇団「トスカ」を買って以来、テバルディの凛とした気品のある歌声こそ、と思っておりました。管理人様と同様に、その後カラスの数々のCDを聴くに及んで「聴かずきらい」は解消しましたが、カラスに較べてテバルディをまとめて入手しづらいことも妨げとなって手が伸びませんでした。
    この全集を予約して、改めてあの美しい声から彼女の全体像を再構築してみたいと存じます。ありがとうございました。

  2. yung
    2014年8月31日 at 10:07 PM

    >この全集を予約して、改めてあの美しい声から彼女の全体像を再構築してみたいと存じます。
    私も早速に予約を入れました。
    ごくまれに、リリースがアナウンスされながら没になることもあるので、そんなことにはならないことを祈るばかりです。

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