著作権延長問題を巡る論議の行方

TPP関連の法案がめでたく成立したようですが、アメリカがこの通商条約を批准しないという方向に政権選択を行ったのでこの条約は漂流し座礁することがほぼ確実となりました。
この条約が日本の成長戦略においてどのような意味と意義を持つかと言うことはひとまず脇におきますが、このようなサイトを運営しているものにとっては、著作権関連の法改定がまたまた先延ばしとなったという事に大きな意味があります。
おかげで、年が明ければ再び数多くの録音と作品をパブリック・ドメインの仲間に迎え入れることができるようになりそうです。

ただし、目の前の損得勘定で一喜一憂していると「大衆迎合主義(ポピュリズム)」に踊っていると揶揄されますので、著作権の改訂(保護期間を50年から70年延長する)に賛成してる人たちと、それに反対している人たちの主張を簡単にまとめておきます。

まずは賛成派の言い分です。

分かりやすいのは、著作権から利益を得ている映画配給会社やレコード会社などの営利企業の立場と主張です。彼らにしてみれば、著作権は一種の「資産」ですから保護期間は長ければ長いほど多くの利益をもたらします。ですから、その様な著作権関連で利益を得ている営利企業にしてみれば保護期間は70年とは言わず1000年であろうと永遠であろうと、それは長ければ長いほどいいと言うことになります。
一点の曇りもないほどに分かりやすい論理と立場です。

しかしながら、この分かりやすい論理を振りかざしてこの賛否の論議に割り込んでくる企業は多くはありません。
本音では賛成でも、それを明け透けに表明するのはアメリカのディズニー社くらいでしょう。彼らは「ミッキーの権利が1000年続いて何の不都合がある」と平気で嘯きます。
しかし、殆どの企業はその様に主張することには抑制的です。

何故ならば、著作権は保護と同時に、保護期間が経過した著作物は公共の所有物として誰もが自由に使用できることを権利として認めているからです。この公共の所有物となった著作物のことを「パブリック・ドメイン」と言います。
この「パブリック・ドメイン」という概念が正当化される根拠としては、主に以下の二つのことが指摘されています。

  1. どのような著作物でも、その創作の過程において先人の業績に多くを依拠している
  2. ある個人または集団がその経済力や政治力などを使って著作権を集積し、将来にわたって独占的に占有するようなことになれば文化の発展に著しい障害になる

ですから、著作権法は著作者に対する排他的な権利には一定の保護期間しか与えておらず、その保護期間が経過した著作物は公共の所有物として誰もが自由に使用できるようにしているのです。
営利企業といえどもこのパブリックドメインの論理は受け入れざるを得ず、「保護期間は長ければ長いほどいい」とは表だっては主張しづらいのです。

さらに、企業間におけるより重要な知的財産権である特許権は最長で20年しか保護期間が認められていません。
特許の保護期間と較べると、著作権の「死後50年」というのは既にバランスを失するほどに長くなっているので、企業の論理(金儲けの手段として)としてこれをさらに長期化しろとは主張しづらいのです。

ですから、著作権の保護期間の延長という問題は企業の論理としてではなく、創造活動を行う個人レベルの問題として論戦が戦わされてきた経緯があります。
そして、営利企業が保護期間の延長を主張するときも、企業の論理としてではなく、そう言う創作活動に携わる個人を「応援」するというスタイルを取っていました。(とは言え、最後は金と政治力でごり押しする事が多かったのですが・・・)

この個人レベルで保護期間の延長に強く賛成している人たちの主張は基本的に以下の4点のようです。

  1. 保護延長が、創作者にとって新たな創造の意欲を高める。
  2. 作家は創作のため心血を注ぎ、自分のため、家族のために頑張るもの。作家が全生命をかけた作品の保護期間が短くていいはずはない。70年ですら短い。
  3. 若死にする作家の例もあり、死後50年だと妻子がまだ生きている例が少なくない。たとえそれがレアケースでも、最も気の毒な個人の権利を守るべき。
  4. 先進主要国では日本以外は全て70年に延長されているので、日本の保護期間もその大勢にあわせるべき。

(1)~(3)の論点は賛成派の個人が長く主張してきた事なのですが、この論理は残念ながら旗色が悪いので、最近は(4)が主戦場となっているようです。

これに対して反対派の主張です

反対派の主張の特徴は、賛成派の論理に対する「反論」として展開される事が多かった事です。しかしながら、最近は保護期間の延長がもたらす弊害を積極的に論証する方向に向かいつつあるようです。

まず賛成派への反論ですが、これは以下の3点に尽きます。

  1. すでに死後50年後まで守られているものをさらに延ばしても、創造の意欲は高まらない。
  2. 家族を守りたいと思い、懸命に生きているのは誰でも同じ。なぜ作家の遺族だけが不労所得を得るのか。また、なぜ遺族は権利収入がないと生活できないようなイメージで語られるのか。
  3. 保護延長で利益を得るのは、主に著作者の孫・ひ孫やごく一部の団体。一部の遺族の利得と比べて、社会全体のデメリットがあまりに多い。

これは賛成派の主張の(1)~(3)への反論となっていて、残念ながら賛成派はこの主張を突き崩せずにいます。
個人的に言えば、自分が亡くなった後の子供や孫やひ孫の事を思って「心血注いだ」作品などは読みたくもなければ聞きたくもないのですが、ひたすらその様なことを願って創造活動に携わっておられる方が多数おられるというのは新鮮な発見でした。

と言うことで、最近の延長賛成派の主たる論点は(4)の「みんなが70年にしているのだから我が家も70年にしよう」に収斂してきているようです。つまりは内発的な議論ではコンセンサスが築けないので外圧に頼るという手法であり、その主戦場がTPPだったわけです。
しかし、この外圧頼みも思わぬアメリカの政権選択によってTPPが漂流し(おそらくは)座礁することによって再び頓挫しそうな雰囲気です。

さらに、この「みんなが70年だから」というのは、煎じ詰めればコンテンツの輸出入に関わる損得勘定の話に収斂するので、こういう話を創造活動に携わる個人が展開するというのはいささか違和感を感じてしまいます。
小説家の三田氏などは、反対派が展開する「ベルヌ条約の加盟国では保護期間が50年の国が多数だ」との主張に対して「保護期間が50年の国は数は多くても、国際社会で流通するコンテンツの大部分は保護期間が70年の国のものだ」として論破したと主張します。
彼はいつから小説家を辞めて商売人になったのだ、と思ってしまいました。

この問題は既に論じつくされているのですが、確かに日本国内のコンテンツの輸出入額は最近はほぼ同額になっているので、一頃のようなコンテンツ輸入国である日本にとって保護期間の延長はメリットはないという主張は崩れているかのように見えます。
しかし、現状の50年で放置しておけば、外国から輸入されるコンテンツの多くが次々と権利を失っていくのに対して、日本の主たる輸出コンテンツであるアニメやゲームソフト、キャラクタ・グッズなどは保護期間が現行の50年でも当分の間は保護期間が切れることはないのです。つまりは。商売の論理として冷静に見るならば、現時点で50年を70年に延長することによるメリットは全くないのであって、そう言うコンテンツの保護期間が50年で切れそうになった頃を見計らって保護期間の延長を行えばいいというのが、商売の論理としては筋が通っているのです。

実際、日本は既にこの問題では上手く立ち回っていて、国際競争力があって、なおかつ50年の保護期間が切れそになっていた「映画」に関しては早々と70年に延長しているのです。

保護期間延長がもたらす弊害

ただし、賛成派が個人レベルでの創作意欲を高めるという「建前」を脱ぎ捨てて商売の論理を振りかざしてきたのに対して、仕方がないとは言え反対派も商売の論理で切り返すというのは、この問題の建設的な論議には繋がらないでしょう。
売られた喧嘩とはいえ、相手と同じようなレベルにまで下りてやり合うというのは、あまり気持ちのよい話ではありません。

ですから、最近は、延長に反対する人たちは賛成派の個々の論理に対する反論にとどまらず、積極的に保護期間の延長がもたらす弊害について主張するようになっています。
その主たる柱は以下の2点です。

  1. 保護期間が長くなればなるほど、著作物利用の許諾を取りたくても権利者と連絡が取れない作品が増える。
  2. 保護期間が長くなればなるほど、メジャーではない著作物を塩漬けにしてしまう。

保護期間が長くなると権利関係者が子から孫、ひ孫へと増えていって、その全てに連絡を取って権利関係をクリアするのに多大なる手間とコストが必要となってきています。中には、その権利を持つ人の所在が確認できないために、現実問題として許諾を得ることが不可能になってしまっている作品がたくさんあります。

これは創造活動を行っている人にとっては非常に困ったことになります。例えば、映画のあるシーンである音楽を使いたいと思っても、その音楽を使うための許諾が取れないので断念せざるを得ない、等という問題が頻繁に起こっているようです。

これを「孤児作品(オーファン・ワーク)の問題」と呼ばれるようになって、この問題がもたらす弊害が広く認知されるようになってきました。
保護期間の延長はこの問題をさらに深刻にします。

賛成派は作品のデータベース化を行って「孤児作品化」を防ぐというのですが、その具体的な手筈は全く白紙のままです。

さらに、(2)の塩漬け問題も深刻です。
(1)の「孤児作品」も結果としてパブリックドメインになるまで公開不可能となるので、広い目で見ればそれもまた(2)の塩漬け問題の一部とも言えます。

一言で言えば、現行著作権法は圧倒的な流通力を持つ「強者」の論理によって構築されています。そう言う一握りの「強者」でない大部分の著作者は死後50年どころか自分が死んだらすぐにでもパブリックドメインにしたい人も多いはずです。いや、中には存命中であっても、それを自由に公開して広めてくれれば嬉しいという人も少なくないはずです。

著作者の個人レベルの問題として言えば、この塩漬け問題はじっくりと考えてみる必要があるはずなのですが、残念ながら現実はTPPという外圧頼みで突っ走ろうとしたことによって本質的な議論は深まらず、さらにはTPPの漂流と座礁によって頓挫してしまったのです。
しかし、これは考えようによってはいい機会になったのかもしれません。
著作権の改訂と言えば常に延長への賛否という形を取ってしまうのですが、TPPが頓挫したこともあり、もう一度じっくりと腰を据えてより本質的な論議が復活することを望みたいものです。(・・・と、最後は何処にも角が立たないニュースキャスター風にまとめてみました。)


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One comment

  • あけましておめでとうございます。
     YUNGさまには
      大変世話になっております。
     旧年中の御礼、改めて申し上げます。

    著作権の行方、・・・
     気がかりです
      知的財産は個のもの
      人類の共有してこその文明!
     ともに一理
    されど、市民を法で縛りたがる
     権力思想こそが課題
    と感じています。

    ご無理なさらず、
     一年を健やかに過ごされますよう
    願っております。 

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