万難を排してでも、そして、どれほどの人混みにも怖じけることなく出かけていく値打ちのある美術展~ハルカス美術館の「北斎展」

「北斎展」に行ってきました。

ハルカス美術館で「北斎展」をやっています。
かなりの混雑という噂はあったのですが、頑張って行ってきました。休日はチケットを買うだけで1時間の行列という噂もあったので、チケットは事前にネットで入手し、開館30分前には美術館に到着するようにしました。

しかし、平日にもかかわらず、チケット売り場の前には既に長蛇の列(これは、既にチケットは入手していたので問題なし)、さらには美術館の入り口にも既に列が出来ています!!
もう吃驚です。

噂によると、この列が長くなってくると予定よりも早く開館することもあるらしいのですが、この日(10月25日:水曜日)はそこまでの列ではないと言うことなのか、予定通り10時に扉が開きました。そして、およそ15分ほどで美術館に入場できました。
当然の事ながら、美術館に入っても凄い人なので、なかなか前には進みません。

しかし、あまりうろちょろしないで最前列に場所を占めていれば、後は流れに沿って一つ一つの作品をじっくりと鑑賞することが出来ます。
それほど広くない美術館なのですが、およそ2時間ほどかけて、一つ一つの作品をじっくりと堪能することが出来ました。

美術館巡りは大好きなので、ヨーロッパに旅行したときも必ずその土地土地の美術館は必ず行くようにしていました。
国内でも、近場に面白そうな美術展が来れば必ず足を運ぶようにしていました。

しかし、今回の「北斎展」から受けたインパクトは、国内の美術展としては群を抜いていました。
北斎の50代から最晩年に至る作品をテーマと時の流れに沿って手際よく展示してはいるのですが、それほど特別な工夫をしているわけではありません。それでも、それを順次見ていって、最後の2作品「雪中虎図」と「富士越龍図」までたどり着いたときは思わず涙がこぼれました。

雪中虎図
富士越龍図 北斎最後の作品と言われている

とりわけ、北斎が88歳(北斎最後の年)の時に描いたと言われる「雪中虎図」には、その踊るがごとき軽やかな表現に、「我をして五年の命を保たしめば 真正の画工となるを得べし」と言う言葉の真実性に気づかされました。

確かに、芸の世界において、年を経るにつれて上昇曲線を描いていくというのは幻想以外の何ものでもありません。それはどのジャンルにおいても同じであり、年を取ると言うことは、音楽家ならば回るはずだった指が回らなくなる事であり、適正なテンポを維持することや集中力を持続していくのが困難になることでした。
しかし、その衰えを「荘重なテンポによる雄大な演奏」と褒めそやす風潮が音楽の世界にはあるのですが、それは音楽というのは音が出たその端から消えていく芸術であり、録音ではないライブの演奏会ならば全てが終わったときには全てが消えてなくなっているので、その様な無責任な物言いも市民権が得られているのです。
でも時々、もっと偉い評論家先生が「あれはひびの入った骨董品だね」などと言ってしまって、それまで褒めそやしていた連中が恥をかいたりもするのです。

しかし、画家のように「作品」というものがしっかりと「形」として残ってしまう世界では、その様な「インチキ」はなかなか通用するものではありません。
ですから、そんな北斎の言葉に接しても、そこに画狂人北斎の執念を見る思いはしても、北斎にあと5年の時があったとしてもどれほどのことができたのかと、疑問に思わざるを得ませんでした。

画家にとって年を重ねるというのは今まで苦もなく動かすことができた腕や指が動かなくなると言うことであり、さらに言えば今まで集中力が持続できたはずの時間が我慢できなくなると言うことなのです。
残酷なようですが、それが「老い」というものだからです。

しかし、この北斎展の最後に展示されていた「富士越龍図」と「雪中虎図」は、とりわけ「雪中虎図」はその様な月並みな考えを吹き飛ばしてしまう力を秘めていました。
そして、一切の不純物なども無しに、ひたすら「真正の画工」を目指した北斎の思いと老いてなお衰えることのなかった凄まじいまでの画力に直に触れるような思いがしたのです。

そして、その思いは、そこに至るまでの北斎の画業を追ってきたがゆえに感じ取れたものでした。
とりわけ驚かされたのは、北斎50代の風俗絵です。

緻密極まる50代の作品

それらは全て、現在はライデン民族学博物館に所蔵されているらしいのですが、その驚くまでの緻密な表現には驚かされます。
そして、その絵から連想したのは、ルーブルにある有名なヤン・ファン・エイクの「宰相ロランの聖母」です。

ヤン・ファン・エイクの「宰相ロランの聖母」

あの神の手を持つと言われたヤン・ファン・エイクと較べても、その緻密さにおいて50代の北斎は何ら劣るところはありません。
この写真では細かい部分は分からないのでその凄みは実感しにくいのですが、着物の柄などはそれこそヤン・ファン・エイクの偏執狂的とも言えるほどの書き込みに劣るところはありません。

そして、この「基礎体力」があったからこそ、70代からの「冨嶽三十六景」や「諸国滝廻り」が可能だったのでしょう。
この極度のデフォルメと抽象化には感嘆するしかないのですが、その背景にあの恐るべきテクニックがあればこそなのです。

赤富士と呼ばれる「凱風快晴」の恐るべき抽象化と「神奈川沖浪裏」のデフォルメには驚嘆するしかないのですが、そこに加えてこの頃から使い出したペルシャのブルーを使った「青」の美しさは特別です。

冨嶽三十六景」より「凱風快晴」
冨嶽三十六景」より「神奈川沖浪裏」

こういう辺りは、どれほど画集を見ても分からないので、やはりしんどくて人で混雑していても、足を運んで実物を見る必要があります。

そして、個人的に一番感心したのは「甲州石班澤」と「隅田川関屋里」です。

冨嶽三十六景」より「隅田川関屋里」

「隅田川関屋里」のこの疾走感は、まさに「疾走」という概念の本質だけ成り立っているかのような絵画ですし、「甲州石班澤」の構図に関しては、いったいどのようなセンスがあればこれが思いつくのでしょうか。少なくとも、これに類似するような大胆な構図は西洋絵画では見たことがありません。

「冨嶽三十六景」より「甲州石班澤」

それから「諸人登山」という富士登山を描いた一枚も実にユニークな構成で、富士に登山する色々な人の実相を描き出しています。

「冨嶽三十六景」より「諸人登山」

そして、その「富嶽三六景」の後に書かれた「諸国滝廻り」のシリーズでは、その抽象化は二〇世紀の現代絵画に通じる領域にまで踏み込んでいます。

「諸国滝廻り」より「木曽路ノ奥阿弥陀ケ滝」

例えば、「木曽路ノ奥阿弥陀ケ滝」などは、この時代において誰がこのような様式で流れ落ちる滝を描くことが出来たでしょう。

そして、北斎が「あと5年」と言わしめた最晩年の画業が「雪中虎図」と「富士越龍図」なのです。
そう言えば、北斎の虎と言えばもう一枚これも展示されていたような気がします。

月見る虎図
画狂人北斎のの自画像

画狂人北斎のが強靱たる側面があぶり出されている自画像はこれでしょう。
しかし、本当の北斎の人となりは、この2枚の虎の図に近いのかもしれません。

もしも、お近くでお住まいならば万難を排してでも、そして、どれほどの人混みにも怖じけることなく出かけていく値打ちのある美術展です。

1件のコメント

  1. バッハのロ短調ミサを聴きにきて、yungさんのおすすめを読み、早退して出かけました。良かったです。金曜の18時過ぎについて19時からの整理券をもらって20時20分まで1時間程度でしたが、堪能しました。画業(商売も個人としてかいたものものも) 変化は面白かったです。春画がなかったのは残念。娘応為のものも観てみたくなりました。

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