仏像の様式を追う(8)~貞観仏(3)

平安初期の特徴の一つは空海や最澄によって純正な「密教」がもたらされたことです。その「密教」は仏を形作るときの約束事をより厳密に規定するようになるのですが、不思議なことに、出来上がった仏たちの姿はより多様なものになります。
そして、「密教」とは基本的に「国家鎮護」という大きな目的よりは「即身成仏」という自力本願を目指すのは本質ですから、仏もまたより「私的」な性格を強く持つようになります。

いや、こう書くと誤解を招くかもしれません。
確かに、密教もまた国家が行う公的行事としての法会で国家安泰・五穀豊穣などを祈りました。
しかし、密教の優れていたところは、それとは別に病気平癒や安産、長寿などを祈る私的な儀礼が充実していたことです。そして、その様な儀礼が貴族階級の中で広がるにつれて仏もまた私的な性格を強めていきました。

そして仏がより私的な性格を持つと言うことは、その制作に莫大なコストを投下できないと言うことですから、脱活乾漆は言うまでもなく、木芯乾漆でもコストがかかりすぎると言うことで、漆を使わない木彫の仏が主流となっていきます。
良質の木材が容易く入手できる日本では木彫はもっとも現実的な選択肢であり、さらには、木彫技術の進歩によってより繊細な表現が可能となれば、仏像制作の主流が木彫に移行していくのは必然でした。

その様な木彫技術の進化がよく分かるのが、京都の小さなお寺、「宝菩提院」に祀られている「菩薩半跏像(伝如意輪観音)」でしょう。彩色なども殆ど施さない素木造りのようなのですが、華やかに翻る衣の紋様やバランスの取れた美しい姿は見事としか言いようがありません。

宝菩提院「菩薩半跏像(伝如意輪観音」

しかし、その木彫に用いられる木に材は、当初は厳しい「基準」が設けられていました。つまりは、その木材は何でもいいのではなくて、仏を刻むのに相応しい材でなければいけなかったのです。

古くは貴重な白檀だけが仏像を刻むのに相応しいとされていました。
このもっとも古い作例が法隆寺の「9面観音」です。

法隆寺 九面観音

これは渡来仏なのですが、貴重な白檀の一木から掘り出されていて、耳のイヤリングに至るまで一木から掘り出されているというとんでもない超絶技巧が用いられています。
しかし、白檀などは基本的には入手不可能なのですから、「仏を刻むのは白檀」などと言っていてはいつまで経っても木彫の仏は作れません。そこで、神が宿っていたとされる「神木」、もしくは雷に打たれることで神が宿ったとされる「靂木」などもその「基準」を満たすとされました。

しかし、平安初期になると、そう言う五月蝿いことは次第に言われなくなり、それよりは「木彫」に相応しい材が使われるようになっていきました。
年代的に見れば、当初は「楠」が用いられることが多かったのですが、やがて良材が容易く入手でき彫るのに適していると言うことで「榧」や「檜」が主流となっていったようです。

ただし、その木彫は一本の材から掘り出される「一木造り」が主流でした。
ですから、それなりに大きな仏像を作ろうと思えば、それに相応しい大木が必要であり、今の時代から見ればとても用意できないような巨木を使ったと思われるような一木造りの仏像がたくさん作られています。

そして、その様なムーブメントの一つの到達点が示されているのが、教王護国寺(通称、東寺)講堂の立体曼荼羅です。


両界曼荼羅

曼荼羅というのは密教の教えを「絵」でもって表したものなのですが、空海はそれを「絵」ではなくて「仏像」を使って立体的に表そうとしたのです。

この立体曼荼羅は中心に大日如来を含む五仏がおかれ、その左右に「金剛界」と「胎蔵界」を表したものとも言われる「五菩薩」「五明王」が配されています。
向かって右側の「五大菩薩」は確固として揺るがぬ仏の「理」と「知恵」が表され、向かって左側の「五大明王」はその様な仏の教えを理解しようとしないものへの憤怒の念が表現されているように見えます。ただし、その配置を通して空海が実際に何をイメージしたのかは今もって確たる事は分かりません。

そして、その周囲を六体の天部(四天王と梵天、帝釈天)が守りを固めています。

ここで重要なことは、大日如来を含む五仏、右側の五菩薩、左側の五明王、そして六体の天部は全て本尊である大日如来の変化したものとされている事です。つまり、大日如来こそが宇宙の真理であり、大日如来はその時々にあわせて様々な姿形に変化して人々の前に現れるというのです。
この「変化」による多様性こそが、この時代の仏の多様性に結びついていったものと考えられます。

そして、それはこの時代の特徴であった荒々しいまでの表現が五大明王を通して頂点に達し、その逆に揺るがぬ「知恵」と「理」を表す菩薩像には次の時代につながる穏やかな造形が垣間見られるようになるのです。

例えば、牙を剥き炎に包まれた不動明王や降三世明王の異形の姿、そして躍動感にあふれた持国天の造形などはこの時代の感覚を頂点まで極めたものと言えます。

東寺講堂 「不動明王象」
東寺講堂 「降三世明王象」
東寺講堂 「持国天像」

それに対して、例えば金剛法菩薩や梵天像などには次の時代につながる穏やかさがあらわれています。

東寺講堂 「梵天像」
東寺講堂 「金剛法菩薩像」

そして、この穏やかさは、例えば、密教的な影響を強く受けた室生寺の十一面観音などにも色濃く表れてきます。

室生寺 「十一面観音像」

それは、同じく国宝の十一面観音として有名な向源寺(滋賀)の像にも同じ事が言えます。

向源寺 「十一面観音像」

そう言う意味においてこの平安初期の仏たちは、天平仏の古典的均衡から抜け出して荒々しくも自由な造形の花を開かせ、それがもう一度穏やか日本的な表現へと収斂していった時代の賜物だったと言えるのです。

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