最初から分かっていたようなことですが、藤井聡太は今年度の「詰将棋解答選手権チャンピオン戦」でも優勝を果たして4連覇を成し遂げました。
藤井六段は、名古屋市内の会場で出場。第1ラウンドの5問を参加者でただ1人、全問正解した。
制限時間90分のうち、55分しか使わなかった。第2ラウンドの5問も全問正解。
類いまれなる読みの速さを見せつけた。
しかしながら、「詰め将棋」の能力と「将棋」の能力は基本的には別物と思われてきました。
ところが、「詰め将棋」の世界で驚異的な能力を発揮する藤井聡太という存在が「将棋」の世界でも快進撃を続けるようになることで、もしかしたらこの二つは「AI」を仲立ちとして、とても深いところで結びついているのではないかという気がしてくるのです。
それでは、どうして「詰め将棋」と「将棋」は基本的には別物だと考えられていたのかという事なのですが、それは「AI」を例にとって考えてみればよく分かります。
「AI」が最も得意としているのは「ロジック」です。
「ロジック」が明確であり、探索すべき目的が明確であればあるほど「AI」はその力をフルに発揮します。
ですから、「将棋」のような「ボードゲーム」のジャンルは「AI」にとってはお誂え向きのフィールドだと言えます。
将棋の「ロジック」は幾つかの「基本的なルール」と「駒の種類と機能」、そして「禁手に関するルール」で成り立っています。
そして、探索の目的は「玉を詰める」ことです。
しかし、これほど明確な「ロジック」で構築されていても、その世界が内包している可能性は事実上無限大です。
将棋の場合は一般的に1手当たりの選択肢は80通り程度と言われています。
よく初心者向きの講座では「3手の読み」と言うことが言われます。
「私はこう指す、すると相手はこう来るだろうから、それに対してこう返す」という思考パターンです。
将棋とは交互に指すものですから、「自分勝手に思考をすすめるのではなく、常に相手のことも考えて指し手を決めなさいよ」と言う初心者への心構えを示したものなのです。
しかし、こういう初心者のための「第1歩」であっても、全件探索すれば「80×80×80=512000」通りもの可能性があると仮定されます。
そして、将棋というゲームは一般的には120手前後で終局しますから、その第1手から始まって、最後にどちらかの玉が詰んで終局するまでの可能性の全てを探索するのは「スーパーコンピューターの演算能力」を持ってきても不可能なのです。
さらに言えば、全く無意味な手を指し続けて永遠に終局を迎えないというケーズも存在しますから、どれほどコンピューターの性能が向上しても「全件探索」という手法で目的に達するのは論理的に言っても不可能なのです。
しかし、「AI」が登場した早い時期から、「玉の詰め」が見えてきた最終盤にはいるとコンピューターは絶対に間違わないと言うことは知られていました。
特に「詰むか詰まないか」というギリギリの局面になると、「AI」は完全に人知を越える能力を見せつけました。
「AI」の力の源泉は人間とは比較にならないほどの演算能力を持っていることです。
ですから、局面が限定されて、所期の目的が全件探索で探し出せる局面にはいるとぜったいに間違わないのです。
そして、この最終盤のギリギリの状態を切り出してゲーム化したのが「詰め将棋」というジャンルですから、その世界では早い時期から「AI」は「人知」をこえる能力を発揮していました。
「AI」に詰め将棋を解かせれば、人間界最強の藤井聡太であっても到底到達できないほどの正確さと速さを持っているのです。
しかしながら、「詰め将棋」の世界でそれほどの驚異的な能力を発揮する「AI」であっても、指し手の可能性が無限大に広がってしまう「将棋」の世界ではその棋力はなかなか向上することはありませんでした。
今から10年ほど前までは、「AI」がプロ棋士のレベルに到達するのは「不可能」、もしくは「可能」であったとしてもかなりの時間が必要だと考えられていたのです。
では、なぜ「詰め将棋」では驚異的な「詰め将棋」の能力を発揮する「AI」が、「将棋」の世界ではその棋力は向上しなかったのでしょう。
理由は簡単です。
序盤や中盤ではどれほどの演算能力を持ってしても「玉を詰める」という所期の目的に達することは不可能であり、それ故にどこかで探索を打ち切って、その打ち切った局面での「優劣」の判断を下す必要があったからです。
問題はこの「優劣」の判断をどのようにして下せばいいのかというところに存在したのです。
一般的に将棋の優劣は「駒の損得」「手番」「玉の固さ」「駒の働き」などで総合的に判断を行います。
このうち、簡単に数値化できるのは「駒の損得」と「手番」です。
しかし、「玉の固さ」や「駒の働き」というのは実にザックリとした概念であり、それを数値化して表現するのはそれほど簡単ではありません。
それ故に、初期の「AI」は最も数値化しやすい「駒の損得」を軸として優劣の判断を行っていたのですが、将棋というゲームはそんな簡単な指標だけで局面の優劣を判断できるわけではなかったのです。
将棋の世界ではこの局面ごとの優劣の判断を「大局観」と呼んでいるのですが、これこそが「AI」にとっては最も苦手な分野であり、それ故に人間をこえるのは難しいと言われてきたのです。
もう少し具体的に言えば、例えば10手先、15手先という限定された条件下で全件探索を行えても、その探索した局面の「優劣」を正確に判断できない限りは「将棋」の棋力は向上しないのです。
そして、これこそが、「詰め将棋」の能力がそのまま「将棋」の能力に結びつかない最大の原因だったのです。
「詰め将棋」は全件探索すれば所期の目的に達することが出来ますが、「将棋」ではその探索を途中で打ち切って、その探索した局面の「優劣」を判断しなければいけなかったのです。
確かに、「詰め将棋」は読みの正確さと深さ、そして速度を鍛えるためには有効なトレーニングだと言われてきました。
しかし、それはある程度のレベルまでは有効であっても、その後は「詰め将棋」を解くよりは実際の棋譜を並べて「大局観」を養い、最新の戦法に関する情報を仕入れる方が大切だとされてきたのです。
さらに言えば、詰め将棋を作ったり解いたりすることに力を入れれば、その分将棋の研究が疎かになるので、それはかえって「有害」だという考えの方が一般的だったのです。
しかしながら、藤井聡太の登場は、この将棋界の常識を覆そうとしているように見えるのです。
そして、先回りをして私なりの結論を言えば、「詰め将棋」で徹底的に鍛えた「読みの正確さと速さ」がなければ、「AI」が提示する「新しい大局観」に追随していくことは不可能なように見えるのです。
もしもこれが「真」ならば、これからの将棋界は随分と様変わりをしてしまうと思われるのです。
しかし、それはいささか真ん中の考察をとばしすぎた話になっていますので(^^;、話はもう一度手元に戻して、次回は、「AI」には不可能と思われていた「大局観」をはじめて身につけるようになった「Bonanza」について考えてみたいと思います。