驚くというのはこうことなのでしょうか。
このサイトは、いわゆる「トレンド」などというものは全く無縁のサイトです。何しろ、100年も200年も前に死んでしまった音楽家の音楽を、とうの昔に死んじまった爺さまや婆さまの演奏で紹介しているのですから、いわゆる世の流行とは無縁なのです。
それがふと気づくと、なんだかやけにアクセス数が増えているのです。
おかしな事があるものだと調べてみると、昼前頃から、自分のための覚え書きとして更新してきた「万葉集」関係のページのアクセス数が「異常」ともいえるほどの数に達しているのです。
音楽をメインとしたサイトですから、万葉集関係のページなんかにアクセスしてくれる人はほぼ皆無です。当然のことです。
アクセス数は1日に2とか3なんて事は普通で(0と言う日もあいました^^v)、たまに20程度のアクセスがあると、今日はたくさんの人に読んでもらって嬉しいなと思うほどなのです。(^^;
もとから他人様に読んでもらうことを目的としたコーナーではなくて、自分のための心覚えとして書いていたものでした。
「講座」というのは、学んできたことをそのままにしておけばすぐに剥落していきます。
しかし、それをもう一度自分なりにまとめなおしたり、疑問に思う部分を調べなおしたりすると、あらためて「なるほどそうだったのか」と思う事が多々あります。そして、そうすることによって他人から学んだ内容が自分の中に入ってくるのです。
そして、まとめなおすならば人の目に触れるようにした方が自分への「叱咤」にもなりますので、「万葉集を読む」というコーナーを起ち上げたわけです。
おかしな話ですが、サイト更新にかんしてはこのコーナーがもっとも多くのの手間と時間がかかっています。そして、そこまで手間と時間をかけてもアクセス数は断トツに少ないのです。
ただし、それはあくまでも自分のために行っていることなので、それはそれで何の不満もないことだったのです。
ところが、そのコーナーが今日の昼前から突如アクセス数が増え始めたのです。それも、それまで10程度だったものが100を超えた(それでも十分に驚きますが)というようなレベルではない増え方だったのです。(結果的には4月1日の万葉集関連のページビューは1万近くになりました)
そして、その増え方を見るとアクセスが集中しているのは大伴旅人の「梅花の宴 巻五 815~846番歌」でした。
そこで、この「異常」の原因が理解できました。
新しい元号が原因ですね!!
そして、なるほどこれが世に言うところの「トレンド」というものかと感心した次第です。
もっとも、こういう「トレンド」は一気に盛り上がって、あっという間に去っていくものなので、しばらくすればすぐにもとに戻ると思うのですが、それでも、これが一つのきっかけとなって少しでも多くの人が「万葉集」に興味を持ってもらえれば嬉しいですね。
そして、もう一つ嬉しかったことは、この「新元号」の典拠として万葉集が明示されたことで、「無駄なはこもの行政の象徴」みたいに言われている明日香の「万葉文化館」にとってはこの上もない追い風になるだろう事です。
おそらく、この「令和」という元号の登場によって「万葉文化館」の閉館話も消えてなくなるでしょう。
万葉集に「ふるさと」という言葉が出てくれば、それは一般的に「飛鳥」のことを意味します。そんな万葉のふるさとである「明日香」に万葉集研究の拠点があることの意味はこの上もなく大きいのです。
文化というものは決してその経済効果によってその価値が計られるものではありません。
私が住まう大阪ではとある政治勢力による「文化大革命」によって、多くの価値ある文化が危機に瀕しました。
それだけに、万葉の故地に「万葉文化館」という研究拠点を維持し続けてきた奈良県の見識と、それを許容してきた奈良県民の度量の広さには心からの感謝と尊敬の念を捧げたいと思います。
このページを発見して感謝しています。
素晴らしい解説で、三十二首のこともわかりやすくて目から鱗です。井上先生の業績もさることながら、解説文のわかりやすさと詳細な内容が素晴らしいです。
あくまでも自分のための覚え書きで他の人に読んでもらうことはあまり考えていないので、その様に言っていただくと有り難い限りです。
ついでながらお願いすれば、是非明日香の万葉文化館を一人でも多くの人が応援していただければ嬉しい限りです。
この鳥、ウグイスでなくメジロですね。
そう言えば、ファイル名も「Hakubai_Meziro」になっていましたね。
ご指摘、ありがとう!!
初めてコメントします。
Blue Sky Labelではお世話になり、ただただ感謝しております。
私の住む一地方都市に万葉歴史館があります。大伴家持のゆかりの地であることで作られましたが、やはりこちらのサイトと同じように4月に入って突然来館者が増えて駐車場がいっぱいになったり、問い合わせの電話が途切れなくて、うれしい悲鳴だっだようです。
いつもは、閑散とした、学芸員の方のためのような印象なのですが、これを機会に訪れる人が少しでも増えればよいのにと後援の会の方が期待しておられました。