実に多くの方々からお見舞いとお気遣い、励ましの言葉をいただきました。おかげさまで、何とかほぼ元通りのレベルにまで体調は回復できたようで、自分でもホッとしています。
ただし、以前のようにあちこちへと毎日のように顔を出すようなことはやめました。さらには、スタッフの一賃として参加していた集まりに関しても全て気楽な「参加者」レベルへと戻すと言う思い切った整理も行いました。まあ、事情が事情だけに何処も快く承知してくれました。
唯一の例外が高校の同窓会の幹事で、これだけは断り切れませんでした。(^^;
それから、コメント欄でもふれたのですが、この数週間悩んでいたアナログシステムの不調(ハム音がのる)の方も、あれこれとジタバタする体力と気力が戻ったおかげで解決しました。
ただし、いったい何が原因だったのかは最後までよく分かりませんでした。とにかく、あれこれとジタバタしているうちに急にハム音が消えたのです。
こうなると、いささかオカルト的な話になるのですが、昨年の暮れ頃からアナログのプレーヤーを買い換えようとしてあれこれ物色を始めていたのですが、長年使われてきていたプレーヤーにしてみれば気に入らなかったのかもしれません。
そして。まさにこちらの体調が悪化して弱っている頃合いを見計らって「異議申し立て」を行ってきたとしか思えません。
つまりは、彼(もしかしたら「彼女」、いやきっと「彼女」だ)の機嫌を損ねたのでしょう。
と言うことで、彼女の言い分を聞き入れて、彼女が力尽きてこの世を去るまでお付き合いをすることにしました。
そして、彼女に「ごめんなさい」をいいながら、新しいプレーヤー購入のために用意していた資金の方は「アナログレコードの購入」にまわすことにしました。
そうすると、不思議なことに、今まで以上に素敵な歌を歌い始めてくれたような気がするのです。
こんな事を書けば、何を馬鹿なことをと言われそうなのですが、皆様の中でも、これと似たような経験をされて方はおられませんか。
今もこれを書きながら、彼女はクララ・ハスキルとマルケヴィッチ&ラムルー管の組み合わせによるショパンのコンチェルト第2番を歌ってくれています。この「初恋のコンチェルト」を聞きながら、彼女が初めてわが家にやってきてくれた日のことなどを思い出しました。
そう言えば、日本では古来より、人のもとで100年をこえて大切に使われ続けたものは「付喪神(つくも神)」になるそうです。
25年では神になるにはまだまだ日が浅すぎるのですが、それでも多少の意地くらいは見せてくれたのかもしれません。
毎日 楽しませてもらっています。体調が戻られて本当に良かったです。
昔 大型コンピュータの営業をしていた頃、入れ替えで、古いコンピューターを
引き下げるとき、担当者が、魂を抜きますと言って、コンピューターに、塩をかけ一生懸命お祈りをしていました。付喪神はいるのかもしれません。
壊れてもいないプレーヤーを買い換えようとした身としては偉そうなことはいえないのですがそう言う気持ちが薄れてきたり、無くてしまった社会というのは結構危ういのかもしれませんね。
塩をかけ一生懸命お祈りをしていた担当者の方、偉いと思います!!
きっかけは忘れましたが、2年ほど前に偶然このサイトに出会ってからずっと楽しまさせてもらっています。私はyungさんよりも歳が少し上? 団塊の最後の年に生を受けました。9歳上の兄の影響で中学時代にクラシックを聴き始めましたが、当時のなつかしい音源や、手が出ないで悔しい思いをしたものが次々とアップされているのに驚喜。
中でも、最近UPしていただいた「未完成」クリップス指揮 ウィーン祝祭管弦楽団は思い出深いものです。
当時、比較的安くレコードが手に入るということで「コンサート・ホール・ソサエティ」に入ったものの、小遣いをいくら節約しても買えるのは何ヶ月かに1枚。その頃に手に入れた初の「未完成」が20cmLPのこの盤。当時、ステレオなんてものもなく針圧10gの「ポータブル電蓄」ですり切れるまで聴いたものです。当然ながら盤はすり減り、引っ越しの時に泣く泣く処分しました。
「刷り込み」とは恐ろしいもので、例えば、あのころ中古レコード店で買ってきたホロヴィッツの「ショパン名曲集」。CD復刻版を手に入れて聴いた時に、その箇所に来るとあの頃の盤の傷の「パチパチ音」が聞こえてくる気がするのですねぇ。恐ろしいものです。
なので、私にとっては、だれがなんと言おうと今に至るまで「未完成」は常にこの演奏が原点です。いろいろ探してみたけれどこの演奏はCDで見つけることができずオークションサイトで手に入れたLPも盤の状態が思わしくなく諦めていたところにこの音源。ありがとうございました。「そうそうこの音・・・」と楽しませてもらっています。
体調が戻られたようでなによりです。
私もちょうど3年ほど前に同様の経験をしましたと言っても、発症したのは私では無く「連れ合い」。
実の両親の死や病気療養やら、時を同じくして遠くに住む長女家族の関係で私が1ヶ月以上不在になったのやらの事情やらいろいろと重なったのが原因か、ある時期から不眠状態になり、精神的に不安定になってしまいました。
私はなによりも不眠解消が最優先と考え心療内科を勧めていたのですが、本人はどこか抵抗があったのか元看護師の実姉に紹介された漢方系の診療所に通院。しかし、3ヶ月ぐらい後には夜中に発作が起き始め、1週間ほどその状態が続いたので本人も覚悟して心療内科を受診。その女医さんが、2週間ごとの通院治療で半錠単位で睡眠誘導罪と治療薬を処方してくださって、約1年で通院を終わり、今はなんとかほぼ元どおりの生活を取り戻しています。
本当に病気のことはわからないことが多い。私も当初は何が起きているのかわからず、戸惑ったりつい声を荒げることも・・・。
その時、私を救ったのが、心療内科への二度目の通院の時に待合室でふと目にしたパンフ。病名は「パニック障害」・・・病気の概要、患者本人向け、家族向けの3種類でそれぞれ10ページほどでした。
当時、私の知識ではこの病気は家から出ることが怖くなるものだという先入観がありました。しかし、うちの連れ合いさんは異常なぐらい家にいるのを嫌がって、とにかく外出したがる・・・。しかし、パンフに書いてあるパニック時やふだんのいくつかの典型的な症状はことごとく当てはまります。
そこで気がついたのが我が連れ合いさんの性格。どちらかといえば、寝付きが悪かったり、夜中に目が覚めるとなんやかや考えてなられなくなるという私に比べて、うらやましいぐらいどこでも寝られるし、お昼寝大好きの彼女にとって「眠れない」ということがいかにストレスだったのか・・・だから、家のフトンで横になることが恐怖になってしまったんじゃないか、という図式がスーッと頭に浮かんだのです。
そこに気がついてみるともう怖いものは無い。それからは何が起ころうが余裕を持つことができました。
今回の経験は、たまたま運が良かっただけかもしれませんが、正しい知識を持つことの重要さ、そしてなによりも生兵法ではなく、早い機会に専門家の意見を聞くことの大切さを思い知らされた経験でもありました。
このようなことは、特に年を重ねている私どもにとってはいつでも起こりうること。
ご本人にとっては大変な出来事だったのだろうと推察しますが、yungさんが自らこうして経験を語ってくださったことは本当にありがたいことだと思います。
確かに専門家の意見というのは貴重だと痛感すると同時に、俗説の危うさも痛感しました。
それから、今回の件でもう一つ感心したのは、心療内科の先生というのは結構辛抱強く話を聞いてくれるということです。精神科なんかだとさらに患者一人あたりの診察時間は長くなるそうで、「商売」として考えるとあまり嬉しくない分野だそうです。
ただし、あれこれの不安や疑問などは遠慮無く吐き出して、十分に納得できた上で治療に入れたのは幸いでした。
これってまさに最悪状態の時の私そのものですね。ですから、それまでは健康で元気な人ほど危ないという面もあるようですね。
それと、心療内科や精神科には何処か偏見が残っているのですが、普通の内科に通っていたのでは絶対に良くなりませんから、そう言う偏見は振り切って受診すべきでしょうね。