人生はいろいろだと言うことは頭では分かっているつもりでも、突きつけられる「現実」を前にすると、その「いろいろ」に重みが加わります。
もっとも、そんな事を言いだしたからと言って、最近引き起こされるあれこれの不条理で非条理な事件や事故について何か語ろうという訳ではありません。
久しぶりに高校の同窓会をやろうという話が舞い込んできました。
私が卒業した高校は、卒業30年目の学年が同窓会総会を取り仕切るという「習慣」になっています。ですから、その前年に一度学年の同窓会を行い、そこで必要な人員を確保して同窓会総会を行うという流れになるのです。ですから、卒業の時に各クラスごとに同窓会の担当が一人ずつ指名される仕組みになっているらしいのですが、30年も経てばそう言うものはほとんど意味を持たなくなります。
同窓会の事務局からは卒業から30年が近づくとその担当者に連絡がいくのですが、連絡された方はそんな事を任された意識すら消えていることの方が多いのです。
それでも、多少なりともそう言う役割を任されたという意識が残っている律儀な人はいるもので、慌てて各クラスのまとめ役をやってくれそうな人物を探すことになるのです。
しかし、それは口で言うほど容易くはなく、結局は地元に残っていて仕事などでつながりのある連中のところにお鉢が回ってくることになります。
私もそう言う思わぬ巡り合わせで幹事役が回ってきて30年目の大仕事を乗り切る「お助け」くらいは出来たのですが、その時に出るのは、次は還暦の時に同窓会をやろうという話です。
そして、その同窓会の時に集まった人の中から、その時の勢いも含めて「次は私たちが幹事をやる」と言うことで盛り上がるのですが、結局10年以上も経てばそんな一時の「盛り上がり」などは日々の生活の大変さや些事の中で消え去ってしまうものです。おそらく、それは仕方のないことなのでしょう。
しかし、還暦を迎えても「同窓会」の連絡は来ないとなると「あれはどうなった?」と言い出す奴がいるもので、そうなると10年以上前に幹事をやると言っていた連中のところに連絡がいったりするのですが、学年の同窓会というのは一時のノリでやれるほど簡単なものではないので、結局は同窓会総会の幹事をやった連中のところに話が持ち込まれて、再度集合という段取りになったりするのです。こういうのもまた、よくある話のようです。
つまりは、いろいろな意味で余裕のある連中というのは限られているもので、結局はそこに話が持ち込まれると言うことなのでしょう。
そう言えば、同窓会に参加できる人は幸せだと言った人がいました。
まず何よりも、まだ生きていますし、さらには連絡もつくと言うことであり、さらにはそこに参加してもいいかなと思える「あれこれの条件」を満たしていると言うことです。
それだけで、すでに十分すぎるほどに「幸せ」だと言うことです。
ですから、この論法に従えば、参加するだけでなく「幹事」まで引き受けられる条件があるならば申し分なく幸せだというとになります。
そして、この「幹事」役として出欠の確認をとっていると、同窓生達が40年を超える時の流れの中でくぐり抜けてきたあれこれのことが集約されてきます。その集約されてくるあれこれを一つずつを手のなかで確かめていると、次第に「人生はいろいろ」という思いがひしひしとわき上がってくるのです。
私のクラスで言えばすでに物故した人は3人、全く連絡先がつかめない人は2名、宛先不明でかえってきた人が4名、案内は届いているようなのですが返信がないのが4名でした。
それでも、18才の時に同じクラスからともに卒業した45名のうち32名と連絡が取れたのは優秀といえるかもしれません。
そして、かえってきた葉書を一枚ずつ手にとってじっくりと読ませてもらえば、「人生いろいろ」と感じさせられるのは「欠席」との通知をくれた人の方でした。
サラリと書かれた短い文面の中から、実にあれこれの「人生いろいろ」が伝わってきます。
私のようにたかが一度くらい救急車で運ばれて、「入院」ともいえないような形の「1週間の入院」を経験したくらいでは、「人生いろいろ」の入り口にも立っていないことを痛感させられました。
振り返ってみれば、人生とは先の見えない迷宮のようなものです。
今から振り返ってみれば、もしもあの時躓いていれば今の自分はないだろうと思えるような場面がいくつでも思い出すことが出来ます。そして、そこで何とか躓くことなくここまでたどり着けたのは、それは私が優秀で能力があったからではなくて(そう、断固としてそんな事はない!)、ただただ幸運に恵まれたからでした。
そして、どうしてそう言う「運」に恵まれたのか、その理由は全くもって分かりません。
ですから、分からない以上は、何か目に見えない力(それを神と言ってもいいし、仏と言ってもいいし、天と言ってもいいのでしょうが)に対して感謝を申し上げるしかないのです。
ただ一つだけ確かなことは、躓きそうになったときに支えとなってくれたのは「音楽」、とりわけ「クラシック音楽」でした。
これも書き出せば長くなるので、機会があれば「書ける範囲で書いてみたい」とは思うのですが、おそらく、その支えがなければ今の私は絶対になかったことだけは言いきれます。
ですから、その支えとなってくれた音楽の素晴らしさと力を多くの人に知ってもらうためにこのようなサイトを運営してきました。つまりは、このサイトは今ある私への感謝の表明でもあるのです。
ついでながら、おかげさまで体調もほぼ100%もとに戻ったようで、処方されていた薬の量や種類も減らすことが出来てきました。
ですから、出来る限りの「感謝」の気持ちを表明するために、今後も無理のない範囲で更新は続けていきたいとは考えています。
何しろ、紹介すべき「パブリック・ドメインの音源」は未だに山ほど残されているのですから・・・。
なるほど、素晴らしい。
私が、PCオーディオに入りり込んだのはでタグとかアルバムアートがメーカーに聞いても、メーカー事態もなぜ表示されるのか分からない創世記に近い時からです。
その頃はJAZZやPOPsを聞いていました。
そんな中でこちらのHPにたどり着き、奇特な人がいるなぁと思いつつ、徳にもならないことを「何故」と以前から思っておりました。
そういった中でも、管理人さんのRoonも真っ青な各曲解説で、クラシックの素晴らしさを教えていただき、私もいつの間にかクラシックファンになりました。
今はネットワークオーディオになりタブレットで情報を見ながら曲を聞きつつ、次は別の指揮者の同じ交響曲をと言う感じで、便利な時代になりました。
管理人さんも、体調を崩された様ですが、「運」というのも、同じ結果に対して「あのとき気が付いていれば病気にならなかったのに」とマイナスに思う人には付かなくて、「まあ、これも良い経験になった」とプラスに考える人に付くものなんでしょうね。
まあ「人生100年時代」いろいろあります。
素直に管理人さんに「感謝」いたします。今後も、益々のご健勝とご活躍をお祈り申し上げます