“【記念碑的な最初の演奏会】
フランス政府が威信をかけたオーケストラの最初の演奏会は、1967年11月14日にパリのシャンゼリゼ劇場でおこなわれ、アンドレ・マルロー文化相も臨席。ちなみに『幻想交響曲』は公演の前月にEMIによりセッション・レコーディングがおこなわれていますが、『海』はパリ管とのセッション・レコーディングがおこなわれなかっただけに貴重な存在。 演奏はどちらも指揮者とオーケストラの表現意思が完全に合致した凄いもので、強烈なダイナミクスと自在なテンポには驚くばかり。ときおり聞こえるミュンシュの気合の入った声も「特別な演奏会」の臨場感を大いに盛り上げています。
【良好な音質】
驚くのは音質です。フランス政府が威信をかけた演奏会だけあって、当時のライヴ録音としては破格の高水準で録音されており、しかもそれが国立フランス視聴覚研究所できわめて良い状態で保存されていたのです。終演後の拍手やホール内の聴衆の気配も良好なバランスで、たいへんに良い雰囲気が醸成されているのもポイントです。”
ミュンシュ&パリ管、発足演奏会ライヴ!
これって初出なんだろうか、それとも今までどこかでリリースされたことがあるのだろうか?
私の記憶の中では、どこを探してもこのコンサートのライブ録音がリリースされたという情報は出てこないのですが、このCDの関連情報のどこを探しても「初出」という文字は出てきません。
と言うことは、おそらく「初出」ではないのでしょうね。「初出」ならば、それだけでも充分セールスポイントになりますから、それをアピールしないというのは考えにくいですから。
正直言って、私はこの手のライブ録音には「ウンザリ」しています。おそらく、コンサート会場にいた人は「ブラボー!!」だったのでしょうが、録音されたものを「音」としてだけ聞くと、どうしてもアラばかりが目立ちます。
日本では昔から、「夜目・遠目・傘の内」という言葉がありますが、これにたとえれば、ライブ録音は白日の下で毛穴までクッキリと見えてしまうような状態です。
ですから、自分が実際に足を運んで凄く感動しただコンサートを、後からライブ録音のCDで聞くときなどはホントに要注意です。(ショックのあまり自分の感性と耳に対する疑念がわき上がってきたりします。)
ただし、本当に歴史的な価値のあるコンサートだと、そう言う「不満」を吹き飛ばす、一期一会の魅力があふれ出すことも否定できません。典型は「バイロイトの第9」でしょうか。
そして、このパリ管の発足演奏会は、間違いなくそう言う数少ない「歴史的な価値のあるコンサート」です。
CDの宣伝文句を読んでみると録音も極めて良好だと言うことなので、これはゲットする価値があるかもしれません。
彼の60年代前半、フランス放送交響楽団とのライブ盤をたくさん持っています。ブラームス、シューマン、ベートーベン、オネゲル、ルーセル。
>正直言って、私はこの手のライブ録音には「ウンザリ」しています。おそらく、コンサート会場にいた人は「ブラボー!!」だったのでしょうが、録音されたものを「音」としてだけ聞くと、どうしてもアラばかりが目立ちます。
同じようなことはラインスドルフも言っていたと記憶します。
いずれもまさに猛烈な爆演で熱気はものすごいが完成度は恐ろしく低いと言わざるを得ませんが、ユングさんとは意見が異なります。今、盤を買って何度聞くでしょうか。繰り返し聞くとして数年はあけるのではないでしょうか。愛聴盤だってその程度です。5分聴いてあとはそのままの盤も多くないですか。(カラス全集バイロイト全集ヴェルディ全集にプッチーニ全集、それぞれまだ半曲づつ程度しか聞いていません。解説書たくさん買いこんできて読んでからいよいよ聞き始めたら、来客で中断。残りは気が重くなって手もつけられません。)
今は一家にベートーベン全集1組なんて時代じゃないんですよ。うちにも20組もありました。とくにラトル、ノリントン、カラヤンのウチ2つ、ジンマンはほとんど聞きません。(最近ベートーベン初め標準名曲を改めて聞いて、そのよさに感服しなおしている次第ではありますが。)
今では盤を聴くのもライブも同じです。細部を記憶しているうちにあらためて聴き直すことはありません。即ち一期一会。今聴いたその感動は(聞きもらしは)決定的です。だから毎日、全力で音楽を聴かなければと思っています。
それゆえ、無難なありきたりの客観的な演奏より、爆演の方が、カラヤンやらマゼルなぞより、メンゲルベルクやゴルバノフやミュンシュの方が、すべての意味で好ましいともいます。
このCDを買ってから気持ち悪いくらいリピートしています。
変な言い方ですがクラシックは理屈だと思うのです。
しかしながらこのミュンシュ様のライブ演奏にはそんなものを吹き飛ばす爆発力と華々しさがあります。
アラがあろうがいいんです。幻想なんですから…