“通常のCDプレスは、大量生産に耐えうるため3種類のスタンパーを経てプレスの工程に入ります。
マスターテープ⇒マスタースタンパー⇒マザースタンパー⇒スタンパー この為、マスターテープに較べると、僅かではありますが音の変化が生じてしまうのですが、エクストンでは、そういった環境の中でも最高のものを商品としてお送りしてきました。
しかし、今回、さらにこのマスターテープの音とほぼ同一のものをお届けできないかと考えた結果、マスターテープから最初にスタンパー制作されたヴァージンスタンパーからおこしたディスク≪ダイレクト・カットSACD≫をごく少数ですが制作することになりました。
マスターテープのもつ瑞々しく生々しい音が閉じ込められた≪ダイレクト・カットSACD≫。初回盤のものでも音の純度が最高級の最初の90枚のプレス限定商品となります。このヴァージンスタンパーからの貴重なディスク。贅沢な音の純度をお聞き下さい。”
幻想交響曲、序曲『宗教裁判官』 小林研一郎&アーネム・フィル
少し前に、パッケージメディアの未来についてあれこれと囁かれている不安について書きました。この「ダイレクト・カットSACD」というのも、そう言う不安に対する一つの対抗策として登場したと思うのですが、どうも、この提案自身が逆にパッケージメディアの弱点をさらけ出しているように思えてなりません。
何故なら、「3種類のスタンパー」を作ることによって音質に変化が生じるならば、そんな音質を劣化させる工程を一切キャンセルして、マスターテープに収録されたデータをそのままファイルという形でリリースしてくれと言いたくなるからです。
さらに、もっと意地悪な見方をすれば、「マスターテープから最初にスタンパー制作されたヴァージンスタンパーからおこしたディスク≪ダイレクト・カットSACD≫」だって、上記の理屈から言えば間違いなく音質が劣化しているわけですから、そんなものを90枚限定の希少価値を前面に押し立てて20000円というのは、完全に方向性が間違っていると言わざるをえません。
おそらく、こういう発想は「ハイエンドオーディオ」という世界の中から生まれてくるものなのでしょう。「ハイエンドオーディオ」のいかがわしさはあちこちで書いていましたから今さら繰り返しませんが、これもまたそう言う「いかがわしさ」の一翼をになうのでしょうか。
音楽というものは、パッケージメディアをプレーヤーにセットして聴くものだという「呪縛」から逃れられない人には分かってもらえないかもしれませんが・・・。
管理人さんのコメントには感心させられるものが多く、いつも有難く読ませていただいています。
今回も私が個人的に気にしているテーマに重なった話なので、少し考えを述べさせてもらえればと思います。
私はパッケージメディア(というか現物)の必要性を非常に感じている人間なので将来的にも需要は減らないだろう(一時的に減ってもじきに戻る)と考えています。
現実の質感が知覚に占める割合が人間にとって非常に大切だと感じているからです。
人間の感覚というものはバーチャルなどというもので満足されるほど稚拙にはできていなくて、現実世界での刺激を受ければ受けるほど高度に発展していく可能性を秘めています。単なるデータの認識だけでは、とても満足されるようなものではないのですね。
この点で、コンピュータとネットで何でも管理されてしまう時代は来ない(または非常に遠い将来になる)と思われます。本質的な欲求がそうさせるのでは、と感じています。
ただ、一方でCDなどメディアは無くなっていくとは思います。音質劣化の無いものへ形を変えて。
ご存知だとは思いますが、現在の技術を持ってすれば、マスターからというのは無理でしょうがユーザーの手に渡った時点で全く音質劣化しないようにすることは可能です。それをしないのはいわゆる供給側の都合ですが。
音楽CDは規格からして音質劣化するように出来ています。供給者側はそれを認識しつつ現状のままということです。
管理人さんも指摘されているように、今となってはインプット側にお金をかけるのは、少々無駄のような気がします。
メモリ形式などデータ劣化の無い形をメーカーさんには本気で考えて欲しいですよね。
そうすればスピーカーなどの再生側にお金をつぎ込めるのですけど・・・
以上です。
「ハイエンドオーディオ」の大半が”いかがわしい"ものであることには同意ですし、”音の良さ”が音楽を聴く上で必須のものである・・・と言った主張はそれ自身自己矛盾をはらんでいて、現実にこの世界の事実にも合致しないのは明らかだと思います。貧しい少年がどこかの窓から途切れ途切れに聞こえてくるSPレコードの貧弱な音に感動する・・・といった美談は決して有り得ない話ではありませんし、ましてやこういった感動がハイエンドオーディオに囲まれた御仁が聞くベートーヴェンの感動に劣っているという保障は有り得ないのは明らかです。(録音)音楽から得られるものが、その再生の技術的なスペックの向上に比例するなどということは有り得ない・・・・もしこう言った比例関係があるのならば、我々の音楽理解はエジソンの蓄音機時代からSPを経てLP、STEREO・・・・と言った、歴史の歩みとともに向上しているはずですが、SPを聞くロマン・ロランと最新ヴァージンスタンパーから作られたSACDを聞く某評論家のベートーヴェン理解のいずれが優れているのか?といった問題を考えれば、そう言った問題の解答を求めること自体の馬鹿馬鹿しさは明らかなように思われます。要するに、人間が”音楽を聴く”といった問題の中には、明らかに単純に”音を聞く”以外の事実が含まれているのであって、”音楽”はあくまで”音楽”であって決して”オーディオ装置の音によって全てが代行されるようなもの”ではないし、また人間の方もその音による鼓膜振動だけを感じているわけではないという、至極当たり前のことを心得ていればすむ話のように思われます。
・・・・・・にもかかわらず、私はハイエンドオーディオの存在を排除しようとは思わないのです。恐らくハイエンドオーディオ信奉者の99%が、単なる思い込みの激しいスノッブには違いないとは思いますが、それはいわば結果論であって、こういった技術向上への信仰がまったくなくなれば、実際技術は向上しないでしょうし、もしそうであれば我々はエジソンのシリンダー録音から一歩も前進していない可能性を容認せざるを得なくなるかもしれません(なんといっても、現代の我々はエジソンの蓄音機に吹き込まれたブラームスのピアノを”音楽”として鑑賞するよりは、ステレオ録音されたルービンシュタインの演奏のほうが”音楽的”に聞こえてしまう時代に生きている・・・・)。数多くの(無駄な)トライ&エラーの中からほんの一握りの少数の真の”進歩”なるものが生じると考えれば、ハイエンドオーディオも(如何に見かけ上くだらなくとも)存在価値が全くないとは言い切れないのかもしれません。恐らく、こう言った技術開発の価値に関する最終結果は歴史だけが確実に答えられるのであって、90枚限定のCDを¥20000で購入する人が現実に存在するのであれば、それはそれでとやかく言うこともないのかもしれません・・・・・・もっとも、そういった人が「この限定版SACDを聞いている”私”は、それ故1枚¥2000のCDで聞いている”お前”より音楽をより深く理解している・・」などとノタマウのであれば、そう言った言い草にはグウの根も出ないくらい論駁して凹ますことは十分可能でしょうが・・・・・・。
こんにちは、ぼくにもコメントさせてください。
音が良くなったって音楽がよく体験できるわけではありません。それは当然のことです。それを前提に、理屈(スペックもその一つ)がつけば音質がよくなるのか。昔NHK技研で行った2000人対象の実験では、統計的には歪少なくF特フラットの再生装置の方が高い評価を得ていましたが、注目すべきなのは歪が多くF特が暴れた装置を評価する人間もかなり多かったという点なのです。よい悪いは主観的体験です。物理特性とは論理的に異質なものです。両者の間にゆるい相関関係はあるかもしれませんが、その程度に過ぎません。
オーディオ業界はこのあたりをあいまいにして、あやしげな商売をやっています。即ち、金を出せば、物理特性を向上させられるから、高音質を手に入れられ、結果音楽の感動が深まる、というわけ。もっと感動したいならもっと金を出せというわけですね。金をかけることで向上させられる物理特性が、ひずみやF特のように音波の動作をハッキリと定量的に示すものならともあれ、今のオーディオ業界が扱っている理屈は、電子一個の挙動がどうかとかなのです。ほとんどの部分は暗示にすぎないと思います。
ケーブルでもほとんど意味のない低抵抗ケーブルの0競争をやっています。それでいて超高級ケーブルメーカー提供の見かけ立派な高級ヘッドホンアンプを開けてみれば、並品OPアンプに極細配線。オーディオフェアの超高級スピーカのプレゼンでも、平気でひどく芯をはずしています。(超高級スピーカは位相管理が厳密でベスト聴取位置はごくせまく上下2cm左右10cmくらいでしょうか。スピーカに600万円も出すんですから、最上のものを引き出して聞かせないと。)
正直商売で有名なSTAXの技術部長は、「いろいろやれば確かに音は変わるけれど、スピーカアンプ以外は向上するといってもわずかである。そんなのより音源に金をかけるほうがいい。」といっていました。ぼくも賛成します。
もうひとつ、聞き比べで音が変わったとかいうのですが、頭の位置を厳密に決めていますか。ホワイトノイズを再生したらよくわかるのですが、耳の位置が前後左右上下に動くと聞こえる音がかなり変化します。とくに上下は1cmも動けば激変するといっていい。音波の位相干渉から考えて当然のことです。
ぼくがオーディオ業界を全く信用しない理由はここにあります。そりゃ理論が否定するような変化が向上が、機材を変えることによって生まれるかもしれません。でもたぶんその変化より、聴取変化による音質変化の方がはるかに大きいのです。
ソファに座ったり歩き回って「機材を交換したら前より音が良くなった」なんての立てていますが、音質差よりかく乱要因の方が大きいハズです。かく乱要因が大きければ、差が検知できるはずはありません。
さらに、音質という面の記憶力もあやふやですぐ忘れます。結果暗示も受けやすい。瞬時切り替えならまだしも。機材の交換に1分もかかっていては微妙な音質の記憶など消え去ってしまいます。提出された結果は暗示にすぎないと言い切っていいと思われます。
つまりオカルトオーディオです。