“当ボックスには2つの受難曲(マタイ、ヨハネ)とロ短調ミサ、そしてカンタータが11曲収められています。 マタイ受難曲は1958年の録音で、リヒターの名を一躍世界的なものにすることにつながった有名な演奏。厳しく克明な表情づけがモダン楽器小編成によるかっちりしたサウンドにのって独特の求心力を生み出した稀有な演奏で、気楽さには欠けるものの、これはやはり凄いアプローチとしか言いようがありません。リヒターは後年、音楽的嗜好がロマン的なものに傾斜していきますが、ここではまったく迷いのない、自信に満ちた激しいバッハを聴くことができます。 ロ短調ミサは1961年の録音が選ばれています。ここでの重さと高揚感の極端なまでのコントラストは、様式的な要素の強いミサという作品へのリヒターならではの解釈と言えるかもしれません。 ヨハネ受難曲も名演です。合唱の雄弁な表情、ヘフリガーのエヴァンゲリストのストイックな美しさはやはり何度聴いても素晴らしいもの。 11曲収められたカンタータも演奏は粒ぞろいで、第4番『キリストは死の縄目につながれたり』からいきなり過激なまでの厳しい表現に驚かされます。”
リヒター/マタイ・ヨハネ・ロ短調・カンタータ(10CD)
Eloquenceからこのシリーズがリリースされると言うことは、アルヒーフはこのリヒターの版権を売り飛ばしたと言うことなのでしょうか?
私のような古い人間にとってリヒターのバッハと言えばこのイメージです。
この豪華なボックスにズッシリとLPがおさめられていて、年に一度か二度宝物のように取り出しては、押し戴くように聞いたものでした。
それが、10枚セットで3374円なのですから、何とも複雑な感情がわき上がってきます。
確かに、58年に録音されたマタイ受難曲は今年からパブリックドメインの仲間に入っています。(機会を見てユング君のサイトにもアップしたいと考えています。)
そのことを考え合わせると決して不思議な価格設定ではないのですが、どうやら、これからは「押し戴いて聞く」などと言うことは「死後」になるのかもしれませんね。
果たして、その事がいいことなのか、悪いことなのか。
もちろん、だからといってCDの価格をなかなか手が届かないようなレベルにまで引き上げろと言っているのではありません。
そうではなくて、こういう価格崩壊の状況においては、「音楽を聞く」という行為の本質的な部分にまで遡って己を律しないと、本当に大切な部分を見失ってしまうと言う恐れを感じるのです。
とはいえ、未だにリヒターのバッハと出会っていない人にとっては格好のセットであることは間違いありません。
パブリック化したものから、順に収容して下さい。
楽しみにしています。
そうでした、アルヒーフ(バッハ記念館の通称からか)のジャケットやボックスは麻布張りが多かったのでした。が次第に印刷に変わっていきました。
アルヒーフはDGG社のレーベルのひとつなので、売り飛ばしたわけでは無いでしょうけど。
旧録音が死蔵されるアーカイブ(綴りも同じ)でおわらずに安く開放されるのはありがたいことです。
これは、ききてのこころが、試されているのではないかと感じました。ものごとの本当の価値は、本来、お金で「はかる」ことができないもののような気がいたしますので。。
すぐれた文化遺産が、無償とは言えないまでも、
それに少しだけ近いかたちで頒布されると考えますと、
私も、よいことなのではないかと思いました。
背後に営利目的の打算があることを考えますと、複雑な思いがいたしますが。。
>価格崩壊の状況においては、「音楽を聞く」という行為の本質的な部分にまで遡って己を律しないと、本当に大切な部分を見失ってしまうと言う恐れを感じるのです。
音楽が(文学や哲学だってそうですが)命がけのもの、そこまで言わずとも人生をかけて対峙するのではなく、風のように消費するものになってしまっている感があります。人間の生き死にを背後に持たないと、すべてはウソになってしまうと思うんですが……
でも今は、サブカルとポストモダンの世界ですから、私みたいな感想は古いのかもしれませんね。「重量のないネット空間を漂っている人たち」という感じですか。
音楽を「特別の体験」ととらえるのか、その場限り移ろう「消費財」「エンターテインメント」ととらえるかということです。クラシック音楽が単なる消費財になってしまったのには、音楽を切り売りしてしまった側の責任も大きいと思うんですがね。(ポピュラー音楽もそうみたいです。ミュージシャンの側には思い入れもあるようですが……)