まだ一年を締めくくるにははやいのかもしれませんが、実感としてはなんだか溶けて無くなってしまった1年だったように思われます。
その代わり、これと言ってすることもなく、仲間たちとの交流も限定され、旅行にも行かずと言うことで、今年もどうやらサイトの方は「毎日更新」が出来そうです。これを喜んでいいのかどうかは正直悩むところですが、それでもそれなりの方はその更新を楽しみにはしていただいているようなので、もしかしたら、これが私にとっては社会に向かって一番大きく開いている窓なのかもしれません。
それにしても、大阪での心療内科クリニックへの放火事件には驚かされました。
私も、数年前に睡眠障害から心身のバランスを崩し、今も心療内科に通院している身なので到底他人事とは思えません。
それにしても、放火を行った人の心の中にはどの様な「闇」があったのでしょうか。
確かに心因性の病気というのはしんどいものです。そして、そのしんどさがなかなか他者には分かってもらえないことが多いので、そのしんどさは時には何倍にも感じられることがあるものです。
犯人は火をつけた後にその火の中に飛び込んだという報道もありましたから、最初から死ぬつもりだったのかもしれません。そして、その「死ぬ」時に自分一人でひっそりと自死するのではなく、それまでに抱えてきたあらゆる負の感情を他者に向けたのかもしれません。
もちろん、彼の人生の中にどれほど耐え難い苦痛があったとしても到底許される行為ではありません。
しかし、あらためて今の社会は一度足を踏み外して穴に落ち込んでしまえば、その穴はどれほどあがいてもはい上がれないほど深いものになっているという事実だけは認めなければいけないようです。
幸いにして、私はその様な穴に落ち込むこともなく無事に今までの人生をおくってこれましたし、これからの人生においてもそれほど大きな不安を感じることもなくすごせそうな幸せに恵まれています。
しかし、退職してこれからと言うときに思わぬ病に見舞われて、それなりの苦しみを味わったことで、ほんの少しはそう言う「どうしてもはい上がれない」人たちの苦しみの一端くらいは感じられるようにはなったかもしれません。
私という人間は現役で働いているときは、おそらくはかなり厳しい人間だったろうなと今は少なからず反省しています。
私が普通に出来ることがどうして君には出来ないのか・・・と言う思いがあったことは否定できません。それは疑いもなく「強者の論理」ですし、それを疑うこともなかったように思います。
もちろん、自分としては寄りそうべきところは寄りそっていたつもりなのですが、それでも彼らのしんどさにどこまで共感できていたのかは疑問です。
病を得ると言うことはしんどいことですが、時にはそういうふうに過去の己の傲慢さに気づかせてくれる事もあります。
誰の言葉だったでしょうか、悲しみや苦しみという門を開いてくぐり抜けないと入っていけない世界があるといった人がいました。
今ならば少しは分かるような気がします。
そして、思うのは、あの放火した人がどうすればその苦しみの先にある新しい世界に踏み込めなかったのか、どうすれば苦しみと悲しみの門を焼き尽くすのではなく、そのそう言う新しい世界への門を開くことが出来たのだろうかと言うことです。
等と偉そうなことを書きながら、あの事件の報道を受けて最初に頭に浮かんだことは、自分が通院している病院で同様の事件がおこったときに逃げられるかどうかです。
シミュレーションの結果は「問題なく逃げられる」だったのでホッとしたのですが、まあ人間なんて本質的には自分勝手なものなのでしょう。
しかし、なんだかこれからもこれと同じような犯罪が次々とおこるような怖さが今の世界には満ちています。
淡雪や病ある身を友として
私も15年以上、いわゆる「うつ病」を抱えています。一番辛かったのは、投薬治療なので、お酒が飲めないことでした。その中にあって、このサイトを見つけたことは、大きな福音でした。
それにしても、「うつ病」というのは厄介ですね。家族から様々なアドバイスを受けても、かえってうっとうしく感じこともしばしばありました。そのことが周りの人たちの善意を踏みにじってしまっていると思い、我ながら情けなかったです。いわゆる「負の連鎖」に陥っているのです。
なお、「淡雪や病ある身を友として」は名句ですね。病と淡々と付き合っていくのが一番ですね。
個人的なコメントですみませんでした。
私の場合は大変だったのは2019年の7月から9月にかけての3ヶ月ほどでした。しかし、本当にいい先生に出会い、不安なことがあればいつでも電話をかけてきてくださいと言ってくれ、実際その様に対応してくれました。
ですからその年の8月22日から9月26日までの期間が更新が途絶えています。
さらには、全くの偶然で8月22日に更新したのがベートーベンのピアノソナタ「告別」だったので、このサイトもここで終わりかと心配された方も少なくなかったようです。
おそらくこの不調の原因は、現役時代の最後に現場から管理部門に移り、そこで一日中パソコンの前に縛り付けられるような生活を続けてきたことによる脳の疲労だったようです。
ですから、この不調はそう言う生活をもう一度見直しなさいと言う神様からのプレゼントだったと思っています。
幸い、その後は多少の体調の波はあるものの基本的には日常生活には何の支障もない状態で過ごせています。今は2ヶ月に一度、先生の顔を見に行く程度の通院ですんでいます。
そして、自分自身がそういう身になってみると、意外なほどに同じような経験をした人が自分の周囲にも数多くいることに気づかされました。
人というのは見る気がなければ何も見ようとはせず、聞く気がなければ何も聞こうとしない傲慢な生き物のようです。
そして、冷ややかな冷徹な目を持った人の多くは「もっと現実を見つめろ」などと言います。
しかし、そう言う人たちが冷たく言い放つ「現実」の大部分が実は「自分が見たいと思う現実」でしかない事に気づかせてもらえだけでも素晴らしいプレゼントでした。
ちなみに、強気で生きてきた現役時代の私もそう言う愚かな人間の一人でした。