日本は地震国であることは分かっていました。
そして、遠からずこのような海洋性の巨大地震が起こることも分かっていました。
しかし、いつか起こるであろうと思い描くことと、実際に引き起こされた惨状を直視することの間には、とてつもない乖離が存在します。
私が住まうこの紀伊半島も、必ずこのような海洋性の巨大地震に見舞われます。
現在、この関西地方から東北や関東の現実を眺めていると、その惨状の凄さゆえにかえってリアリティを失わせるほどです。
確かに今は救助活動と今後の復興の最優先改題でしょうが、関西に住むものにとっては、今こそ想像力をフルに発揮して何をなすべきかを真剣に考えなければならないでしょう。
福島ですが、幸い電気が使え、家で過ごせています。
今も30分おきに余震はありますので注意ですが。
ぐちゃぐちゃになっていた部屋が多少は落ち着いたので、
今夜はこのサイトで音楽を聴いて過ごそうと思います。
被災地の皆様にお見舞い申し上げます。
早く、揺れが収まり、みなさまの落ち着いた生活が始まることを願い、無事をお祈りしています。
さて、・・・・
>関西に住むものにとっては、今こそ想像力をフルに発揮して何をなすべきかを真剣に考えなければならないでしょう。
、・・本当ですね! 私(名古屋)の住居部分は、
タンス類は全て固定を終えました。 ガラスは飛散防止フィルムも食器棚まで貼りました。
テレビなど、生活家電・オーディオ類は、薄型・軽量・省エネを終えました。
寝るときは布団を敷いています。家具に挟まるのが怖いから。
避難では、・・家の電気の「元も切る」ように夫婦で決めています。
夫婦が離れても情報漏れによる二次災害を防ぐよう、
miniラジオを持ち歩くことを考えています。
80歳(一人暮らしの)母には、自分の経験と情報で生き延びるよう、昨日涙ながらに話しあったところです。
なんといっても、昭和19年・20年の巨大地震経験者ですから。 経験からくる叡智は抜群です!?
yung さま 不測の事態に備えるって、・・・ほんとうに難しいですね。
私(元電力マン)が勤務した時代には、「原子力安全神話」が有りました。 (きっと今でもそうです。)
発電所で今働かれる方々の必死の苦労に想いを寄せると、涙が止まりません。 無事のご帰還を祈っています。
seiji 拝
>発電所で今働かれる方々の必死の苦労に想いを寄せると、涙が止まりません。
おそらく、命がけで頑張っているであろう現場の人のことを思うと、私も涙を禁じ得ません。
おそらく、この災害は日本人にとって、今後どう生きていくのかという問題を鋭く突きつけてくる問題だと思います。
私は、間接的ですが、阪神・淡路大震災を経験しました。間接的というのは、震災の2日後に仕事の関係で救援に入ったからです。
その時に見たもの、出会った人ととの経験は私にとっての「生きる」と言うことに対する価値観をかなり大きく変えました。
それは人の世の「無常」というものを実感を持って感じさせられた経験であり、それ故に「今日」という一日の価値にほんの少し目覚めさせてくれた経験でした。
>今夜はこのサイトで音楽を聴いて過ごそうと思います。
そうですか、私は少し考え違いをしていたようです。
こんな時期に脳天気に新しく音源をアップしている時じゃないと思っていたのですが、こんなサイトの音楽でも少しでも助けになるのならば、逆にいつも通りアップしていかないとダメですね。
ならば、しばしは自分なりに鎮魂の思いを込めた音楽をアップしていきたいと思います。
夜のガスパル様は東北の福島でしたか。
カンソウ人は東北から離れた和泉の国です。
余震の続く夜に地震情報以外の音楽に価値を見出されたのですね。
三春の妹夫婦はどうしているのだろうか?
中央構造線や上町断層が震源になったら?
私も、想像するだけです。
津波の被害の映像は、自分なりのイメージと重なってしまいました。
素人のボランティアの手は、まだまだ足手纏いの時期です。
警察官が50人近く行方不明のニュースも見ました。
鎮魂の思いを込めた音楽のアップ。
被災された方々の事に思いを馳せながらのアップ。
良いじゃないですか。
ユング君、ドイツレクイエムをありがとう。
ケンペの演奏、人間味と優しさがあって良いですね。
ガスが使えず寒いのですが、暖かい気持ちになれます。
今回の主要被災地の1つである仙台は前任地でした。
若林区の荒浜の海岸や名取市の閖上(ゆりあげ)は
何度か子供を連れて遊びに行った思い出がある場所です。
ニュースの映像では、津波で跡形もなくなって
しまっていて、言葉もありません。
お昼を食べたお店の方々はどうしているだろうかと
心を痛めています。どうか無事でいてくださいと
願うしかありません。
現在の住まい(青森)も停電、断水を2日にわたって
強いられましたが、岩手や宮城の方々に比べれば、
耐えられないものではありません。
もっともいつでも外に飛び出せるようにと、普段着で
布団に入っていました。そしてiPodに入れたこちらの
ライブラリーを聞きながら、不安を宥めていました。
今回停電のため、ネットワーク、携帯電話が長い間
使えず、いかに普段それが空気のように私の生活に
浸透しているかを思い知らされました。それらが使え
ない間は不安が募り、再開したらこれほどの大きな
被害であることを知って言葉を失いました。
亡くなられた方々のご冥福を祈るとともに、避難されて
いる方々の少しでも早い普段の生活への復帰を祈っています。
今も余震が断続的に続く青森より。
宮城県の惨状には、テレビを見るたびに、驚くばかりです。
多賀城市には親戚もおりますが、連絡が取れず、安否不明のままです。
最新の報道では、宮城県南三陸町では、17300人の住民のうち1万人が「安否不明」だそうです。
家も車も巻き込んで遡上する怪物のような土砂流の光景を見ていると、この地獄絵図が現実でないことを、ただ祈るばかりです。
そして最も恐れていた原発の事故、情報も錯綜していますね。
津波警報は段階的に低くなりましたが、余震が各地で続いていますので心配です。
インドネシアのスマトラ島での大地震、津波の映像をかつて見ていた時はどこか遠い国の他人事のような気持ちでした。
今回の津波の被害をテレビで見ると涙が出てしまいます。
中島みゆきの「時代」の歌詞が頭の中に自然と湧き上がってきます。
・・・・・・
そんな時代もあったねと
いつか話せる日が来るわ
あんな時代もあったねと
きっと笑って話せるわ
・・・・・・
こんなセンチな歌はユングさんは嫌いかもしれませんが。
数日ぶりにネットへの接続が回復し、この書き込みをしています。
私は実家の山形で被災しました。(普段は東京で生活しているのですが・・・)
「被災」といっても、山形のそれは岩手・宮城・福島などに比べれば、被害は微々たるものです。
あらゆるマスメディアが地震の報道で占められていますが、正直、報道そのものを見聞きするのが辛くなってきています。
血縁の人々からも、無事だったという人、そうでない人、いずれも何人も連絡を受けています。
宮城・岩手の親族に救援物資を届けた人、届ける予定の人も多くいます。(ウチでも計画中です。ガソリンがないので今は無理ですが・・・)
隣県である山形は支援のため慌しく動いています。
こういう状況で、際限なく「壊滅的な被害」というニュースを見るのは、どうしようもなく辛いものがあります。
この状況をどうにかするしかないのですから。
むしろ、音楽が欲しいというのが正直なところです。「気休め」が欲しいのです。そうでなくては、この現実は辛すぎます。
ガソリンを買う列に車で並びながら(3時間並んで10Lでした)、地元のラジオを聴いていましたが、リスナーからも「音楽をたくさんかけて」というメールが大量に届いているそうです。多分、同じ心境なのでしょう。
AMラジオのひどい音質の歌謡曲が、水のように心身に染み渡るのが分かります。
ユングくんへ。
是非、音楽をお願いします。
新音源のアップ、役に立たないなんてとんでもないです。ありがとうございます。
新しいヨハン・シュトラウス、楽しませていただきます。
>ユングくんへ。
是非、音楽をお願いします。
新音源のアップ、役に立たないなんてとんでもないです。ありがとうございます。
新しいヨハン・シュトラウス、楽しませていただきます。
遠く関西の地にいる私にできることは、音楽を送り続けることだけのようです。
できれば一日に一曲ずつはアップしていけたらと思います。
今日は何にしようかと思案した結果ヴィターリのシャコンヌをハイフェッツの演奏で送ります。
私も山形です。
建物の5階で地震を受けました。地震の直前に携帯電話の地震警報が鳴り、「宮城沖」で地震が発生したとメッセージが示されました。地震のプロではありませんが、アマチュアでもないといったところなので、「宮城沖ならせいぜいマグニチュード8。距離もかなりあるからたいしたことにはならないだろう」と高をくくっていたら、ひどい揺れが始まり、収まるのかと思うと再び大きくなるといった調子で続きました。「まるでオフロードを走っているような」などと思っていると、書棚の上に載せていたコンピュータの空き箱などが落ち始めました。書棚自体が倒れることはなさそうだと判断し、コンピュータの前に座ったままでいましたが、「そうだ、気象庁の地震のページにしよう」と思ったとたんに停電しました。2、3分も経ったでしょうか、小康状態になったようなので、席を立ちましたが、まだかなりの地震が続いていました。何か、感覚が麻痺したようで、少々の地震は気にならなくなっているようです。
山形の被害はたいしたことありませんが、翌日からはみんな不安にかられて生活用品購入に走り、乾電池、米・食品などどんどんなくなっています。スーパーもコンビニも棚はガラガラです。ガソリンスタンドには長い列が出来、いくつものスタンドでガソリンは売り切れです。
週末、横浜から帰る手段を失った妻を迎えに新潟回りで横浜往復ドライブを行いました。今考えると帰りのガソリンが手に入って幸運だったと思うところもありますが、1日遅れたらガソリンはもっと手に入りにくなっていて、迎えはあきらめざるを得なかったでしょう。ドライブしながら、「山形はまだ孤立していない。細いかもしれないが、新潟回りという物資輸送の手段が残されている」と実感し、心強く思いました。
でも少々疲れました。好きな曲でも聴いてゆっくり休もうかと思います。ちなみに横浜に向かう車の「旅の友」は、モーツアルト(交響曲38番(クーベリック/チェコフィル)ピアノ協奏曲27番(フィルクスニー)[以上ドボルザーク生誕150年コンサートのFM放送のエアチェック])とベートーベン(交響曲第3番(ムラビンスキー/レニングラード、1961))でした。
今回の地震で、ひょっとしてどこかの音楽ホールも被害を受けているんじゃないかと心配していたのですが、やっぱりですね。
http://mytown.asahi.com/are…
ミューザ川崎のコンサートホールが悲惨なことになっています。
レジデントオケの東京交響楽団はどうするんでしょうか?
今頃になって、遅い!といわれそうですが、気になるので書きます。
私が登録を終えて初めてダウンロードしたトラック数をチェックした時、列のトップに私の番号を見ました。ダウンロードトラック数は50を遥かに超えていました。まさかと思ってもう一度見ると、私の番号の2桁目と4桁目が入れ替わった番号の方でした。その後、ダウンロードトラック数をチェックするたびに気になって、その方のトラック数もチェックしていました。いつも私より少し多めにダウンロードしていました。今週チェックしたら、「この一週間何もダウンロードしていない!」ダウンロードするものがなくなってしまったのならいいのですけれども、ひょっとしてダウンロードできない状況にいるのではないかとも想像してしまいます。
被災地で深刻な状況下で生活している仲間もいるのだと思うと少々の不便ですぐ文句が出てくる自分が情けなくなります。
TVを見ても映画を見ているようで、映画的な興味でかえっておもしろく見ているような自分がいます。町では節電を訴えたり、募金を呼びかけたりしている人の多いこと。彼らは被災者の苦しみを自分のことのように感じているのでしょうか。それとも、公共福祉の精神でああいった行動をとらずにはおれないのでしょうか。
自分が地震や津波にあったら、たぶん、まったく動物同様でしょう。助かる見込みが全然ないと頭では理解されても、ひょっとしたらと思って腕を振り回すでしょう。人の持ち物を奪ったりもするかしらない。運よく助かったとして、人の善意に助けられたり、悪意に傷つけられたりといろんなことがあるんでしょうが、大きな意味では、べつにどうってことないだろうと思いますね。「まだ生きている」いつも思うようなことを思うだけでしょう。なぜ、なんのためにといった疑問は、ほんとうのところ解決しないでしょう。
これほど巨大な事件にあっても、人の心の根本には関係ないもののように思われます。それに向き合う人の態度如何でしょうか。