滝畑ダム(大阪河内長野市)の紅葉は今が見頃です

河内長野市の山奥にある「滝畑ダム」は大阪の隠れた紅葉の名所です。
この滝畑ダムのある滝畑という集落は白洲正子の名著「隠れ里」にも紹介されていて、正子はこのダムが完成する前に訪れています。

滝畑ダムと紅葉

この河内長野という町は驚くほどに歴史的遺産に恵まれていて、この滝畑の集落から石川を下ったところに天野山金剛寺があり、そこから金剛山の方に歩を進めていくと楠木正成ゆかりの歓心寺があります。
歓心寺には仏像界のトップスタートも言うべき如意輪観音がいますし、金剛寺には今年3月に国宝指定された慶派の手になる大日如来の三尊像があります。
何よりも、金剛寺には正子が愛した「日月山水図」が保存されています。

滝畑ダムから紅葉を眺める
滝畑ダムのから下流方向をなかめる

普通の町ならば、そんな「お宝」が一つでもあれば大変なものなのですが、この河内長野という町にはそう言う「お宝」があちこちに保存されているのです。
ところが商売気がないのか、歓心寺の如意輪観音は1年に二日しか公開していませんし、日月山水図も春と秋にそれぞれ1日ずつ公開してるだけです。おかげで、地元の河内長野市民でさえその様な「お宝」が自分たちの町にあると言うことすら知らない人の方が多いのです。

話が、横にそれましたが、そう言う山深い古寺よりも、さらに山深い地にあるのが「滝畑」集落です。
その滝畑にについて。正子は次のように述べています。

目の前に滝の畑の部落が現れた。清らかな川がその真ん中を流れており、両岸にへばりつくようにして民家が建っている。人影もまばらで、日本のかくれ里も、ここ滝の畑に極まると見えた。

この滝畑という集落は、豊臣秀吉の小田原城攻めで破れた北条氏の残党が落ちのび、住みついたとされています。
この言い伝えは「平家の落人」伝説のような曖昧なものではなくて、資料に裏付けされた史実です。

ダム湖の向こうに岩湧山の山頂が見える

落ち延びてきたのは、分家筋にあたる韮山城主の北条氏規でした。氏規は後北条家の当主だった氏直が跡継ぎもないまま30才で亡くなったためにその跡を継いで後北条家の当主となります。
彼は、本家筋とは違って豊臣家との和平交渉に尽力したと言うことで、最初は高野山に蟄居ということで罪を許されていました。

湖面の向こうに滝畑ダムが見える

その後、高野山を出ることとなり、しばらくの間この滝畑に移り住むようになるのです。
そして、大阪狭山の地に1万石の領地を与えられて大名となり、狭山藩は明治維新まで存続することになります。

湖面に映る紅葉

そして、滝畑の人々はその後も北条家とのつながりを持ち、戦後のある時期まで北条家の下働きに携わる人はすべて滝畑出身者で占められていたそうです。

そんな隠れ里も昭和57年にダムが完成すると水の底に沈み、その代わりにダム湖周辺は整備されて、今では車で簡単に訪れることが出来るようになりました。
ダム湖の下に沈んだ村は山の上に移転することで今も残っているのですが、そこにはかつての「隠れ里」の記憶は残っていないようで、そう言う伝説を知る人も少なくなったようです。

ダム湖上流に架かる夕月橋

しかし、ダム湖上流に架かっている夕月橋から滝畑の集落を眺めながら、そう言う歴史に思いを馳せるのは悪い時間ではありません。

夕月橋から上流を眺める

湖面に映る紅葉は今まさに盛りの時を迎えていて、12月上旬まではその美しさを堪能できそうです。

夕月橋から下流方向を眺める

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