「悲しみ」への共振~シューベルト

帝王と言われたカラヤンにとって、発売されたレコードやCDがクラシック音楽の中でトップセールスを記録するのは「自明」のことでした。ところが、これもまたよく知られた話ですが、シューベルトだけは売り上げが芳しくなくて帝王も苦笑いをしていたそうです。
しかし、このエピソードは色々なことを考えさせてくれます。

こうしてフリッチャイとカラヤンの「未完成」を聞いていると、カラヤンが「帝王」と呼ばれるほどの大成功を収めたがゆえに欠落してしまったものがあったことに気づかされます。
こんな事を書くと、必ずカラヤンファンの方からお叱りのメールをいただくのですが(そう、カラヤンについて少しでも否定的に感じられるような事を書くと必ずメールが来るのです。

恐るべし、帝王カラヤン!!

シューベルト:交響曲第7(8)番 ロ短調 「未完成」 D759 カラヤン指揮 ベルリンフィル 1964年10月27日録音


この録音を聞く限りは、「帝王カラヤン」にはシューベルトの音楽に必要な「悲しみ」に共振できる感性が希薄だったことに気づかされます。
そして、その事を裏返せば、シューベルトの音楽というものが同時代の音楽の中においてみれば、いかに異形な存在であったかを教えてくれます。

世間一般の人にとってのシューベルトと言えば、野バラや子守歌などに代表されるようなかわいくて優しい歌曲をたくさん書いた人、という印象があります。
しかし、ある程度クラシック音楽を聴いてきて、そしていろいろなジャンルのシューベルトの音楽を聴いてきた人ならば、そんな世間的なコンセンサスには苦笑いするはずです。

確かにシューベルトは偉大なメロディーメーカーです。
一聴すればその美しいメロディに心奪われるのですが、その美しい道を歩んでいると突然異形の魔物と出会ってしまうような場面が至るところに存在するのがシューベルトなのです。
特に後期のピアノソナタなどでは顕著です。

聞くものは一瞬ギョッとさせられるのですが、それもまた一瞬のことであって、再び目の前には美しい風景が何事もなかったかのように展開するのです。しかし、一度魔物にであってしまった者にとっては、その美しく見える風景はもはや最初の風景とは同一のものではあり得ないのです。
そして、シューベルトという人の本質は表面的な美しさの中ではなくて、明らかにこの魔物の中にこそある事を否応なく納得させられるのです。

クラシック音楽の作曲家というのは人格破綻者の群れです。
それ故に、結果として惨めな人生に落ち込んでいった人は少なくないのですが、その惨めさの程度においてシューベルトを凌ぐ人はなかなか思いつくことが出来ません。
シューベルトこそは、人生というものが用意するありとあらゆる惨めさと絶望を舐めつくした人でした。
そして、それを舐めつくした上で、それでもなおプロの作曲家として自立する道を諦めることなく足を前に進めた人でした。

カラヤンはこの64年盤以外には55年盤(フィルハーモニア管)と75年盤があります。
55年と言えばカラヤンの帝王伝説が始まる頃であり、65年と75年はまさにその絶頂期の録音でした。

音楽家の私生活と芸術を短絡的に結びつけるのは戒めなければなりませんが、それでもなお、この時期のカラヤンにとってはもっとも扱いにくい音楽であったことは間違いないはずです。
つまりは、絶頂期におけるカラヤンにとってはもっとも共感しにくい類の音楽だったはずです。

ですから、出来得れば、彼がベルリンフィルと喧嘩別れし、おそらくは彼の人生において初めての深刻な挫折を経験した後にこの作品を録音して欲しかったという思いはあります。

実際、彼はその最晩年においてこの「未完成」を頻繁に取り上げています。
特に83年以降は頻繁に取り上げていて(83年:ジルベスター・86年:フルトヴェングラー生誕100周年記念演奏会・87年:ザルツブルグ音楽祭)、その幾つかは海賊版の「CD-R」として流通もしているそうです。私はそれらを実際には聞いたことがないので無責任な発言にはなるのですが、60年代、70年代とは随分と異なった音楽になっているのではないかと思います。

シューベルト:交響曲第7(8)番 ロ短調 「未完成」 D759 フリッチャイ指揮 ベルリン放送交響楽団 1957年9月18日&19日録音

それと比べると、フリッチャイの「未完成」は素晴らしいです。
この演奏に言葉は不要でしょう。
ただ一言、そこにはシューベルトの「悲しみ」が結晶化しています。

それこそがシューベルトの音楽にとって必要不可欠のものです。

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