払いのけることのできない疑問~ストコフスキーとシュナーベル by yung • 2019年5月22日 • 払いのけることのできない疑問~ストコフスキーとシュナーベル はコメントを受け付けていません クラシック音楽といえどもポピュラー音楽と同じようなスタンスで演奏しても十分に価値… Read more →
バッハのパルティータの演奏からは、「病」の影は全く感じさせないリパッティの逞しさがあふれています by yung • 2019年3月28日 • バッハのパルティータの演奏からは、「病」の影は全く感じさせないリパッティの逞しさがあふれています はコメントを受け付けていません リパッティの残された録音はどれもみな音が貧しいと言われます。特に、そのピアノの響… Read more →
ラテン的明晰さで再構築したモーツァルト~アルド・チッコリーニ by yung • 2019年3月12日 • ラテン的明晰さで再構築したモーツァルト~アルド・チッコリーニ はコメントを受け付けていません チッコリーニは1953年と56年二回に分けてそれなりにまとまった数のモーツァルト… Read more →
リヒターの立ち位置 by yung • 2019年2月18日 • リヒターの立ち位置 はコメントを受け付けていません 今さら言うまでもないことですが、バッハは「対位法」の人でした。複数の独立した声部… Read more →
ブレンデルが捨てなければいけなかったもの by yung • 2019年1月21日 • ブレンデルが捨てなければいけなかったもの はコメントを受け付けていません ブレンデルと言えばついてまわる評価は「中庸」です。そこに「知的」という言葉もつい… Read more →
感情のおもむくままに~サンソン・フランソワ by yung • 2019年1月17日 • 感情のおもむくままに~サンソン・フランソワ はコメントを受け付けていません 随分前に、フランソワを取り上げたとき『漸くにして時代はフランソワに追いついたのか… Read more →
自由にして明朗なるモーツァルト by yung • 2018年9月28日 • 自由にして明朗なるモーツァルト はコメントを受け付けていません モーツァルトのピアノコンチェルトと言えばセルとカサドシュのコンビによる録音が一つ… Read more →
選択と集中 by yung • 2018年6月24日 • 選択と集中 はコメントを受け付けていません ルービンシュタインは3回ベートーベンの協奏曲をコンプリートしています。 ヨゼフ・… Read more →
「主情性」に満ちた解釈という言葉を使うことが恥ずかしくなるほどの無垢さ by yung • 2018年5月8日 • 「主情性」に満ちた解釈という言葉を使うことが恥ずかしくなるほどの無垢さ はコメントを受け付けていません ケンプといえば技巧よりは精神性(何ともいい加減な言葉ですが)を重視するピアニスト… Read more →
通過点の先の世界を見ることができなかったピアニスト~バイロン・ジャニス by yung • 2018年1月24日 • 通過点の先の世界を見ることができなかったピアニスト~バイロン・ジャニス はコメントを受け付けていません バイロン・ジャニスを始めとして、ウィリアム・カペル、ジュリアス・カッチェン、、レ… Read more →
完璧性への執念~ミケランジェリ by yung • 2018年1月20日 • 完璧性への執念~ミケランジェリ はコメントを受け付けていません ミケランジェリというピアニストの凄さがひしひしと伝わってくる録音が、このラフマニ… Read more →
チェンバロ~過渡期の意味 by yung • 2017年12月4日 • チェンバロ~過渡期の意味 はコメントを受け付けていません カークパトリックはチェンバロ演奏の歴史の中においてみれば、いわゆる過渡期に位置す… Read more →
主観的解釈の客観的表現がみせる至芸の極致~ベネデッティ・ミケランジェリ by yung • 2017年10月22日 • 主観的解釈の客観的表現がみせる至芸の極致~ベネデッティ・ミケランジェリ はコメントを受け付けていません ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第4番 ト短調 作品40 (P)アルトゥーロ・ベネデッ… Read more →
精巧さよりは奔放さが前面に出た演奏~サンソン・フランソワ by yung • 2017年8月21日 • 精巧さよりは奔放さが前面に出た演奏~サンソン・フランソワ はコメントを受け付けていません ラヴェルという人は生粋の音楽職人でした。 職人というのは、依頼主の依頼に応えて、… Read more →
19世紀的ヴィルトゥオーゾの最後の生き残り~チェルカスキー by yung • 2017年8月15日 • 19世紀的ヴィルトゥオーゾの最後の生き残り~チェルカスキー はコメントを受け付けていません ピアノにおけるヴィルトゥオーゾは1831年にリストがパガニーニを聞いたところから… Read more →