モーツァルトのピアノコンチェルトと言えばセルとカサドシュのコンビによる録音が一つのスタンダードでした。このコンビによる録音でモーツァルトと出会い、以来40年近くにわたって聞き続けてきました。
今さらいうまでもないことですが、とても立派なモーツァルトです。
しかし、その事は認めながらも、これを聞いて「退屈でつまらん」と思う人がいても否定はしません。
なんだか、最近、そんな思いがふとよぎる自分に驚くことがあります。
年をとるというのは不思議なものです。
何ともはや、恐れを知らぬ物言いですが、まあそう言う「怖いもの知らず」は年寄りの特権でもあります。
何故そんな思いがよぎるのかと言えばゲザ・アンダのモーツァルトを聞いたからです。
アンダは1961年から68年にかけて「ザルツブルク・モーツァルテウム・アカデミカ」と言うオケを使ってモーツァルトのピアノ協奏曲を全曲録音しています。「ザルツブルク・モーツァルテウム・アカデミカ」はモーツァルテウム音楽院の教授と彼らの教え子である優秀な学生によって構成された室内楽オケであり、シャンドル・ヴェーグの時代に黄金期を迎えたことはよく知られています。
アンダはこの手頃なオケを使って弾き振りで全集を完成させています。
言うまでもないことですが、いわゆる演奏の完成度と言うことで言えば、セルとカサドシュの録音には遠く及びません。
70年代に録音され、その後スタンダードとなったブレンデルとマリナーの演奏と比べてもその差は歴然です。
内田光子とジェフリー・テイト(2017年の6月に鬼籍には入られました)との全集とくらべても、と言うように、いくらでも言葉を連ねることが出来ます。
ひと言で言えば「田舎くさい」のです。
しかし、世の中が「グローバル・スタンダード」という訳の分からぬ言葉で埋め尽くされ、その片方で「地方の時代」だという胡散臭いアジテーションが跋扈する社会から眺めてみれば、この真正なる「田舎くささ」はとても魅力的に映ります。
そして、その田舎くさい自由と明朗さは、グローバル企業で働くエリートビジネスマン(セル&カサドシュ、マリナー&ブレンデル)的な価値観に対する最も有効なカウンターパンチであることに気づかされます。
ここでのアンダはとっても自由です。
オケの長い提示部を経て、ピアノが千両役者ととして登場してくるような場面では嬉しさが抑えきれないようにテンポが走り出していきます。
逆に、歌いたいところに来るとグッとテンポを抑えて思う存分に歌い上げています。聞きようによってはコブシがまわっているかと思うほどの感情移入であり、まるでド演歌版のモーツァルトに聞こえるほどです。
そこにあるのは、モーツァルトの音楽に内包されている人間の率直な感情の表出であり、一分の隙もないエリートビジネスマン的な完璧さとはほど遠いところで音楽は成り立っています。
おそらく、この背景には「ザルツブルク・モーツァルテウム・アカデミカ」という極めて親密な関係で結ばれたオーケストラを弾き振りで演奏していることが大きく寄与しているのでしょう。
弾き振りというのは下手をすると「オーケストラ伴奏つきのピアノ曲」になってしまう危険性をはらんでいます。
ソリストがピアノに集中するのは当然なのですが、その集中が深くなればなるほどオーケストラのコントロールがおろそかになるからです。
しかし、ここでのオーケストラはその親密さのゆえに、まるで一つの有機体のように振る舞っています。その結果として、このコンチェルトはピアノと「オーケストラという楽器」による「オーケストラ・ソナタ」のような自由を獲得しているのです。
これを「大雑把」ととるか「骨太」ととるかは聞き手の好みにもよるでしょう。
しかし、基本的にはこういう演奏を「大雑把」ととらえて切り捨てていた自分が、久しぶりに聴き直してみて心動かされてしまったという事実にいささか驚かされてしまいました。
そして、その驚きが最初に述べたような恐れ多い物言いとなってしまったのです。
確かに、年をとると不思議なことがたくさん起こります。
なお、最後に余談になりますが、「ザルツブルク・モーツァルテウム・アカデミカ」の母体となっているモーツァルテウム音楽院の源流を遡れば、その創設にモーツァルトの妻でもあったコンスタンツェも関わっていたという「由緒正しい」出自を持っているとのことです。
そう思えば、時に力不足を感じさせる部分もあるオケなのですが、それでも、彼らの音楽には我らのモーツァルトに対する確信と愛情と尊敬が満ちあふれています。
悲しいのは、ヴェーグが亡くなった後にノリントンが乗り込んできて、そう言う伝統を全てぶちこわしてしまったことです。
まさに、グローバル・スタンダードの悪しき側面です。