ベートーベンのピアノソナタ全32曲を聞いてみる(32)

ベートーベン:ピアノソナタ第32番 ハ短調 作品111

  • 作曲:1821年~1822年
  • 出版:1822年
  • 献呈:ルドルフ大公。ロンドン版はA.ブレンターノ

(P)クラウディオ・アラウ 1965年10月録音

誰もが成し遂げることができなかったソナタとフーガの融合が為されている

ベートーベンの後期ソナタは聞き手に多くのものを要求するのですが、その中でももっとも要求する度合いが大きいのがこの最後の作品111のハ短調ソナタでしょう。
一般的には、この第1楽章において、誰もが成し遂げることができなかったソナタとフーガの融合が為されていることが指摘されるのですが、それではこの音楽を聞いてみて、その「融合」の何たるかを、さらに言えばその融合を成し遂げるためにベートーベンがどのような技術的労作を試みているのかを正確に聞き取れる人がどれほどいるのでしょうか。
いや、もっと言葉を継いでみれば、そう言うことをしっかりと意識をして演奏しているピアニストってどれほどいるのかな、とも思ってしまいます。

率直に言って、彼が第1楽章で成し遂げた労作の凄さは、そのあまりの複雑さゆえに私もよく分かりません。

フーガというのは基本的にポリフォニーの音楽であり、ソナタ形式はホモフォニーの音楽です。

ホモフォニックな音楽とは簡単にいってしまえば「伴奏と歌」で成り立っている音楽です。言うまでもなく「歌」が主であり「伴奏」が従です。
それに対して、ポリフォニックな音楽では全ての声部が平等であり、主役である「歌」と従者である「伴奏」には別れていません。

ポリフォニックな音楽のもっとも簡単な形が「カエルの歌」や「静かな湖畔」に代表される「輪唱」形式です。

これを3グループくらいに分けて歌うというのは小学生でも可能ですが、その3声が重なった部分をホモフォニックに見てみるととんでもなく複雑なことになっています。そして、言うまでもなく、この3グループ(3声)の間に何の上下関係も存在しません。
これをもう少し複雑にすると「カノン」になり、その究極の形が「フーガ」になるわけです。

「フーガ」とは最初に示された単純な主題をもとに、それを少しずつ形を変えながら積み上げていく形式です。積み上げていく声部が増えれば増えるほどとんでもなく複雑なことになっていくのですが、聞き手からしてみれば、どこまで行っても最初に示された主題が何度も繰り返されるので、音楽が見上げるような大伽藍になってしまってもその主題に出会うたびにほっと一息がつけます。

つまりは、「フーガ」というのは作る方にとっては大変な労力が求められるのですが、聞き手にとっては非常に親切で優しい形式なのです。
そして、その事はこのソナタにも言えて、聞いているととんでもなく複雑なことになっているような気はするのですが、第1主題の最初の音型が何度も帰ってくるので、聞き手はその複雑さに足をすくわれることなく安心して聞いていることができます。ですから、この楽章は聞いている方にとっては「フーガ」的に聞こえます。

しかし、ベートーベンはそこにソナタ形式というもう一つの形式を持ち込んでいるらしいのです。
ホモフォニックな音楽というのは今では耳に馴染みがあるので聞きやすいように思えます。しかし、ポピュラー音楽のように5分程度で終わる小品ならば「Aメロ」と「Bメロ」と「サビ」くらいでまとめることができます。しかし、このソナタのような長大な音楽になるとそれだけでは間が持ちません。
そこで、その長い時間を持たせるためには構造が必要となります。そんな構造の一つがソナタ形式です。第1主題と第2主題を用意してそれをあれこれ展開させ、最後に第1主題を帰ってこさせる・・・みたいな複雑な構造ですね(^^v。

つまりは、ホモフォニックな音楽というのは規模が大きくなると複雑な構造が必要となり、聞き手はその構造を把握していないと何をやっているのか分からなくなってしまうのです。
ですから、こういう音楽は聞き手に一定の訓練を要求します。そして、クラシック音楽が少なくない人に拒否される原因の一つがそこにあります。
ですから、ベートーベンやブラームスはよく分かんないけどバッハなら楽しく聞けるという人がいるのですが、それは極めて正直な話だと思います。

そして、この第1楽章においてベートーベンが聞き手に要求しているのは、この基本的にフーガの姿をとりながらそれをソナタという形式にまとめ上げたところを聞き取ってほしいと言うことなのでしょう。
でも、そうなると、私も聞いていてよく分からないというのが正直なところなのです。
要は凡なだけですが。

それから、アリエッタと題された第2楽章はベートーベンが得意とした変奏曲形式で書かれています。
この変奏曲の一番の聞き所は、第1変奏からだ3変奏へとどんどん音価が短く刻まれていくところで、それはまるで20世紀のジャズ音楽を想起させると言われます。
そして、その極限まで短くなった細かい音符で緩やかに旋律が歌われていくところは一種異様な雰囲気を湛えた音楽になっています。

しかし、そう言う斬新さに満ちていながら、おそらく、ベートーベンが書いた数多い変奏曲の中でももっとも感動的な音楽の一つでしょう。
ただし、この楽章にはどのようなテンポ設定をとるのが相応しいのかという問題が常に横たわっています。

この変奏曲は冒頭の変奏主題と5つの変奏で成り立っているのですが、やりようによってはいくらでもテンポを落とすことが可能です。そして、テンポを落とせば落とすほどより深い精神性に満ちた世界が展開されるように聞こえる事は事実で、そこに仏教における「解脱」の領域を見いだす人もいるようです。(^^;

しかし、それでは「Adagio molto, semplice e cantabile」と指示しているベートーベンの意図との整合性が問われることになります。
つまりは「素朴に歌え(semplice e cantabile)」と言う指示をどのように受け取るかという問題なのですが、多くのピアニストは「素朴に歌う」よりは遅いテンポ設定で入念に歌い上げることで「己の深い精神性」を表明したとの欲望から逃れることは難しいようです。

  1. 第1楽章:Maestoso – Allegro con brio ed appassionato
  2. 第2楽章:Arietta. Adagio molto, semplice e cantabile

色々なピアニストで聞いてみよう

  1. (P)アルトゥル・シュナーベル 1932年1月21日&3月21日録音
  2. (P)ヴァルター・ギーゼキング 1949年11月23日録音
  3. (P)ソロモン 1951年5月16&21日録音
  4. (P)ヴィルヘルム・ケンプ 1951年9月20日録音
  5. (P)イヴ・ナット 1954年2月17日録音
  6. (P)ヴィルヘルム・バックハウス 1954年3月30日録音
  7. (P)グレン・グールド 1956年録音
  8. (P)クラウディオ・アラウ 1957年5月21日~23日録音
  9. (P)アニー・フィッシャー 1958年10月14日録音
  10. (P)ハンス・リヒター=ハーザー 1959年4月7~14日録音
  11. (P)ヴィルヘルム・バックハウス 1961年11月録音