随分前に、フランソワを取り上げたとき『漸くにして時代はフランソワに追いついたのかもしれません。彼は決して「19世紀型ピアニストの最後の生き残り」などではなく、この行き詰まった即物主義の時代の先を歩いていたのです。』と書いたことがあったのですが、その言葉は言い過ぎだったようです。
褒めすぎでした。
フランソワというピアニストの本質は「19世紀型ピアニストの最後の生き残り」と見るのが正解のようです。
何故かと言えば、彼の録音を集中して聞いてみると、嫌でも気づかされることがあります。
それは、彼のすぐ後の時代に登場してきたさらに若い世代のピアニスト達と較べてみると、そのテクニックという点において根本的な違いがあることを認めざるを得ないからです。
それはポリーニやアシュケナージという人たちと比べてみると、メカニカルな巧拙というレベルの問題ではなくて、そう言うメカニカルな部分に対する捉え方の根本が異なっているように聞こえるのです。
聞けば分かるようにフランソワは同時代のピアニスト達と較べてみても決して下手なピアニストではありません。しかし、そのテクニックは何があっても微塵も揺らぐことがないと言う、強固な基盤の上には成り立っていません。
作品と向き合って感情が揺らいだり、爆発したりすれば、そのテクニックはその感情にあおられて揺らいでしまいます。しかし、その揺らぎは作品の形をゆがめてしまう一歩手前のところで踏みとどまります。
そこにフランソワの真骨頂がありました。
しかしながら、そんなスタイルで演奏を繰り返していればいつか身も心も持たなくなる時がやってきます。実際、フランソワのコンサートは出来不出来の差が大きいのは有名な話で、それを彼の気まぐれに帰することが多かったのですが、実際はもっと根本的な部分に問題があったのではないかと思うのです。
ポリーニは1942年生まれです。彼が5歳で本格的にピアノの学習に取り組んだときには戦争は終わっていました。
それに対して、1924年生まれのフランソワは、ピアノの基礎を学ぶべき若き時代のほぼ全てを戦争の中で過ごさざるを得なかったのです。
強固な規律、巌のような我慢強さというものは大人になってから後天的に身につけるのは不可能です。それはピアノのテクニックにおいても同様で、ポリーニやアシュケナージのようなピアニストは、戦争の動乱の中で子供時代を過ごした人間からは生まれないのではないでしょうか。
つまりは、ポリーニの世代のピアニストにとってメカニカルはピアノを弾く上での確固たるフレームとなり得ているのですが、フランソワのメカニカルはその様な強固なものではなく、彼自身もまたその様な音楽とは全く違う世界の住人だったのです。
ショパン:マズルカ Op.7 (P)サンソン・フランソワ 1956年2月3日,16日~17日&3月5日~6日,20日~22日録音
ただし、フランソワには、ショパンの感情と同化できる天才的な閃きがありました。
ですから、まるで感情のおもむくままに好き勝手に弾いているようでありながら、それでもテクニック的に破綻をきたす心配の少ない作品では素晴らしい適応を示します。
そして、その魅力はポリーニやアシュケナージのようなタイプのピアニストからでは絶対に聞くことのできない音楽です。
もちろん、だからといって、どちらが優れているか、みたいなつまらぬ話をしたいわけではありません。
ただ、疑いがないのは、時代はフランソワを置き去りにしてポリーニに代表される新しピアニスト達の時代へと移り変わっていったことです。ですから、50年代のフランソワに対して、60年代のフランソワには翳りがつきまといます。己の感情のおもむくままにショパンを演奏してたフランソワの姿は少しずつ影を潜めていきました。
そして、その時の流れの中でフランソワは酒と煙草に溺れて46歳で急逝したという事実だけが残ったのです。