出典は不確かなのですがカラヤンは「モーツァルトとシューベルトだけはどうにも苦手だ」みたいな事を語っていたそうです。もちろん、あのカラヤンがそんなことを言うはずがないという意見もあるのですが、とりわけシューベルトに関してはレコードの売り上げは今ひとつカラヤンにしては芳しくなかったことは事実のようで、その売り上げの悪さをぼやいていたことは事実のようです。
それと比べると、モーツァルトやシューベルトを得意としたワルターは、そう言うカラヤン的な存在の対極にあるのかもしれません。
もちろん、それをもって、カラヤンは駄目でワルターは偉大だ、みたいなことを言いたいのではありません。そうではなくて、なんだかこれを一つのきっかけとしてワルターという指揮者の本質が見えてくるような気がするのです。
カラヤンという指揮者は「芸術を享楽的に消費する」タイプの音楽家でした。彼にとって重要なのは評論家ではなくて聴衆でした。
世の評論家からどれほどの酷評を向けられたとしても、実際のコンサートでブラボーを叫び、録音したレコードを常に購入してくれる聴衆が存在しているならば、そんな酷評は何ほどのこともなかったのです。
そして、こういう系譜はパガニーニやリスト以来、クラシック音楽にはなくてはならない存在でした。いつもいつも、深い精神性(?)に満ちた音楽ばかりをウンウン言いながら聞いていては疲れてしまいます。
そして、パガニーニやリストが聴衆からの絶大なブラボーを勝ち取った原動力が超絶的なテクニックであったのに対して、カラヤンの場合はベルリンフィルと言う超絶的なテクニックを持ったオーケストラをフルに活用して生み出す「響き」が最大の武器でした。
ある人はそれを「流線型の美学」と呼びました。
そして、その美学は多くの場で大きな成功を収めました。
しかしながら、どうにもこうにも相性が悪かったのがモーツァルトとシューベルトでした。
豊かな響きで描き出される美しい旋律線は、ともすれば、彼らの音楽には不可欠な光と影の交錯を光一色で塗りつぶしてしまうからでしょうか。
それと比べると、コンサートの前に霊界のモーツァルトと交信していたと噂されたワルターは、「芸術を享楽的に消費する」タイプとは正反対の位置にある音楽家でした。
こんな書き方をするとオカルトに過ぎるのですが、彼にとってのコンサートとは霊界のモーツァルトやシューベルトから託された音楽を現実のものとして提供する場であったはずです。そこで重要なことは聴衆からのブラボーでもなければレコードの売り上げでもなく、その託された音楽をどれほど実現できたかであったはずです。
一度は引退を決意したワルターが最晩年にステレオ録音に取り組んだ理由として、レコード会社が示した破格のギャラを挙げる人もいますが、それはほんの些細な事だったはずです。
渋るワルターを口説き落としのは、「ステレオ録音という新しい技術が生まれたので、このままではモノラルでしか録音されていないあなたの音楽は消え去ってしまう」という脅し文句だったと言われています。
この脅し文句は、音楽以外には全く無知だったワルターには十分すぎるほどの効果があったのです。
幸いなことに、この最晩年のワルターのリハーサル風景が録音として残されています。その中でも、モーツァルトのリンツの練習風景は有名です。
それを聞けば、彼がいかにモーツァルトの音楽の形を伝えようと腐心しているかが分かります。
モーツァルト:交響曲第36番 ハ長調 “Linz” K.425 リハーサル風景
しかし、細かいアンサンブルや全体の響きなどに関しては全く無頓着です。
それは、どうでもいいような細部のニュアンスに対して執拗に繰り返しを求めるカラヤンのリハーサルとは対照的です。
なるほど、こんな風にリハーサルをすれば、多少の細部の雑さはあっても彼が求めたモーツァルトやシューベルトの形が明確に立ち現れるはずだと納得させられます。
モーツァルト:交響曲第36番 ハ長調 “Linz” K.425 ワルター指揮 コロンビア交響楽団 1955年4月26日&28日録音
それに対して、カラヤンのモーツァルトやシューベルトは細部の微細な傷もないほどに磨き上げられているのに、結果として、その音楽はモーツァルトやシューベルトのスコアを借りたカラヤンの音楽になってしまっている理由も納得できるのです。
モーツァルトやシューベルトは傷つきやすく、コントロールしようとするとスルリとその手から逃げてしまいます。
しかし、ワルターはその手の中に彼らの音楽を大いなる尊敬の念をもってすくい上げました。
カラヤンは多くの聴衆から賞賛され、同業者からは恐れられました。
しかし、本当の意味で尊敬されていたのかは疑問が残ります。いや、本当の意味において尊敬されていなかったが故に、最晩年になってベルリンフィルとの軋轢を引き起こしてしまったのでしょう。
それに比べると、ワルターの最晩年は幸せに満ちたものでした。
外山雄三氏がご自分のサイトで、ワルターにとっても最後となったウィーンでの最後の演奏会の様子を語っておられます。
舞台上手から微かに足音が聞こえたかと思うと客席は一人残らず立ち上がって拍手を始めた。
名声実力共に絶頂期だったエリーザベト・シュヴァルツコプフの独唱でマーラーの歌曲3曲。
日常の習慣と違ってブルーノ・ワルター(男性)が先を歩き、その数歩後からシュヴァルツコプフが、まるで侍女のように付き従って舞台に現れたのは忘れがたい光景である。
休憩後はマーラーの「4番」(独唱・シュヴァルツコプフ)。何も言うことなし。
ヴィーンで再びブルーノ・ワルターを聴くことは無いだろうとほとんどの人たちが感じている長い長い暖かい拍手が続いた。
もちろん、その様な尊敬をカラヤンが求めていたかどうかは分かりません。いや、そんなものは最初から求めてはいなかったはずです。
それほどにこの二人は隔たった道を通して自分なりの頂を目指したのです。