ベートーベンのピアノソナタ全32曲を聞いてみる(13)

ベートーベン:ピアノ・ソナタ第13番 変ホ長調 Op.27-1

  • 作曲:1800年~1801年
  • 出版:1802年
  • 献呈:リヒテンシュタイン侯爵夫人 ヨゼフィーネ・ゾフィー

(P)クラウディオ・アラウ 1962年6月録音

感情の彷徨の果てに、終楽章において一つの結論に至るように全体を統一することにチャレンジした

全く同じ出自をもってこの世に生み出され、そしてその資質においてほとんど違いがないにもかかわらず、片方はこの上もない「名誉」と「称賛」に包まれながら、他方はその影でほとんど顧みられることがないというのは不思議といえば不思議な話です。
そして、その不思議な話の一つの典型が、ともに「幻想曲風ソナタ(Sonata quasi una Fantasia)」として、そして、ともに作品番号27という数字を与えられた、この2つのソナタでしょう。

作品番号27の2の方には後世の人が「月光ソナタ」というタイトルを与えて、おそらくは古今東西のピアノ作品の中ではもっとも有名な音楽の一つとなりました。
それに対して、作品番号27の1の方はその様な名誉に与ることなどは一度もなく、その片割れである「月光ソナタ」の隣でひっそりとうずくまっています。

音楽に「優劣」などという概念を持ち込むことはおかしな話なのですが、それでも敢えて用いるとすれば、この二つの作品の間にはその様な違いをもたらすほどの優劣の差があるはずもなく、さらに言えば、この二つの作品を均等に並べて聞き比べてみればそもそも「優劣」の差を見いだすことすら難しいのです。
ネット時代が始まる頃に、よく「集合知」と言うことがよくいわれました。
「専門家が知識を駆使するより、一般人の多数決のほうが正解に近づく」とか「専門家の助言より一般人のアンケート」などといわれたものですが、この事実はその限界をあらわしている一例なのかもしれません。

確かに、個人のバイアスが多数決によって是正されることもあるのですが、集団でバイアスがかかっているときには、その集団にはそれを是正する力は存在しません。
その事を、学校におけるイジメの構造や過労死をもたらすような異常な労働環境、さらには独裁者が君臨する国家の機構などを通して嫌と言うほど見せつけられてきました。
おかげで、最近はあまり「集合知」と言う言葉も聞かなくなったような気がします。

もっとも作品番号27の1と2の間の問題は、その様な深刻な問題ではないのですが(^^;、見かけの「有名」さに引きずられて自分の守備範囲が狭まることには注意が必要だと言うことでしょう。

ベートーベンがこの二つの「幻想曲風ソナタ」でチャレンジしたのは、それまでは音楽の重点が第1楽章におかれていたのに対して、全楽章を様式的に統一することによってその重点を最終楽章に移行することでした。
ベートーベンは既に古典的な均衡から抜け出して人間の率直な感情を表出する方向に舵を切り替えたことを「悲愴ソナタ」において表明していました。

そして、この二つのソナタにおいて、その様な感情の彷徨の果てに最終楽章において一つの結論に至るように全体を統一することにチャレンジしたのでした。

それによって生み出された2つのソナタを較べてみれば、作品番号27の2の方が強力なソナタ形式によってより明確にその到達点を明示し得たという点でのみ、ほんの少しの前進があったのかもしれません。

  1. 第1楽章:Andante
    「Andante – Allegro – Andante」というシンプルな「ABA」の構造です。すべてのフレーズがppで始まることで幻想的な雰囲気を漂わせます。
  2. 第2楽章:Allegro molto e vivace
    ベートーベンが楽章の終わりを示す終結複縦線を示していないのですが、テンポや調整、ダイナミクスの違いで明らかに異なる楽章であることが理解できます。
    旋律的要素の少ない「いらだったような音楽」ですが、これは明らかにスケルツォ楽章だと判断できます。
  3. 第3楽章(第3楽章序奏):Adagio con espressione
    深い感情に包まれた叙情詩のような音楽であり、この部分だけで3部形式の独立した楽章と見なすことも可能です。
    ダイナミクスはfとpの間を揺れ動き、やがて瞑想から醒めたようなカデンツァによって次の音楽に引き継がれます。
  4. 第4楽章(第3楽章):Allegro vivace
    この楽章こそがこの作品の到達点であり、それ故に、フーガの展開部を伴ったロンド形式という手の込んだ音楽になっています。
    そして、この最終楽章に向かって全体を統一するというやり方を彼は最後まで試し続けることになるのです。

色々なピアニストで聞いてみよう

  1. (P)アルトゥル・シュナーベル 1932年11月1日録音
  2. (P)ヴァルター・ギーゼキング 1949年5月25日録音
  3. (P)ヴィルヘルム・ケンプ 1951年12月20日録音
  4. (P)ヴィルヘルム・バックハウス 1952年11月録音
  5. (P)イヴ・ナット 1955年9月20日録音