グールドとカークパトリック

まずカークパトリック先生の演奏を聴いた最初の印象は、何ともパラパラした感じの、まるで「インディカ米」みたいだな(^^;・・・です。
一つ一つの声部が完全に対等平等で、いくつもの線が絡まりあって音楽を構成していく様は実に見事であり、聞いていて一種の生理的快感さえ覚えます。

Ralph Kirkpatrick

詳しいことは分かりませんが、おそらくこの演奏で使っているチェンバロは、ランドフスカがプレイエル社に作らせた「モダン・チェンバロ」だろうと思われます。世間では、「ランドフスカ・モデル」とよばれるこのチェンバロは、鋼鉄製のピアノのフレームにチェンバロの機構を入れたもので、最近はいたって評判の悪い代物です。
聞くところによると、このモデルはコンサートホールでも使えるように音を大きくしただけでなく、クレッシェンドやディクレッシェンドもできるという「お化けシステム」だったようです。
ですから、ランドフスカによるバッハの録音を聞いてみると、音色はチェンバロでも音楽の作りは旋律と伴奏という感じで、かなり粘りけのある「ジャポニカ米」の風情です。
カークパトリックはそのランドフスカの弟子ですし、さらに歴史的なチェンバロの機構が研究され本来のチェンバロが復刻され出すのは60年代以降ですから、おそらく間違いないと思います。

しかし、演奏の雰囲気は師であるランドフスカとは随分と異なります。
この背景には、間違いなくグールドの影響があると思います。

グールドが56年に発表したゴルドベルグ変奏曲が与えた影響は絶大なものがありました。
右手が旋律、左手が伴奏で、ボソボソと精神性重視の「面白くない」演奏をするのがバッハの伝統だったところに、まさに誰も考えつかなかったようなバッハ像を提示したのですから。
グールドのバッハの特長は、それぞれの声部に主従関係を持ち込まずに、それぞれを対等平等に響かせて、それぞれが絡まり合って進行していく音楽の構造を描ききることでした。10本の指が対等平等の力を持ってすべての音をクリアに響かせるバッハは躍動感に満ちていました。

おそらく、カークパトリック先生はそのグールドの演奏を聴いて思ったはずです。
ピアノでそこまでできるなら、チェンバロならもっと凄いところまでいけるぞ!!

確かに、59年にカークパトリックが録音したパルティータと、グールドが57年に録音したパルティータの5番・6番を較べると、そのパラパラ感の徹底ぶりは明らかです。
特にパルティータ6番の「Toccata」等を聞き比べると、同じ音楽とは思えないほどにグールドの方がロマンティックで粘りけがあります。もちろん、カークパトリック先生の方は徹底的にパラパラしています。

ただし、70年代にグールドが録音したフランス組曲と、57年に録音したカークパトリック先生のフランス組曲を聴いてみると、同じくらいパラパラしています。グールドはバッハだけでなく、どの作曲家の作品を取り上げても対位法的に分析しなければ気が済まないピアニストでした。そして、晩年に近づきテンポが遅くなるほどにパラパラ感はいっそう強くなります。

しかし、同じようなことでも、それをピアノを使って実現するのと、チェンバロを使って実現するのとでは、その困難さには大きな違いがあったようです。
「ピアノを使ってバッハを演奏するのは曲がりくねった細い道をパワステのない車で運転するようなものだ」と語ったのはグールドではなかったでしょうか。

確かに、チェンバロを使ったカークパトリック先生の演奏では実に軽々と一つ一つの声部がクッキリと浮かび上がってきます。
録音もかなり優秀です。
もしかしたら、マイクをチェンバロの中に突っ込んで録音したのかもしれません。

ただ、あまりにもパラパラしすぎているので、頭の中で音楽の姿を把握するのに「努力」が必要です。それに較べると、グールドの演奏からは、適度なパラパラ感の背後からはっきりとバッハの声が聞こえてくるような気がします。
そして、私の頭が古いからなのでしょう、後年のパラパラ感の徹底したフランス組曲よりは、ある程度粘りけのあるこの60年代前半頃までの演奏の方が好ましく思えます。
きっと、私の頭が古いのでしょう。

バッハ:パルティータ組曲全集(チェンバロ)ラルフ・カークパトリック 1959年9月17日~19日録音

バッハはいろいろな楽器を使った「組曲」(パルティータ)という形式でたくさんの作品を書いています。ヴァイオリンやチェロを使った無伴奏のパルティータや鍵盤楽器を使ったものです。
とりわけ、鍵盤楽器を使ったものとしては「イギリス組曲」「フランス組曲」、そしてただ単に「パルティータ」とだけ題されたものが有名です。

一般的には、「組曲」というのは様々な国の舞曲を組み合わせたものとして構成されるのですが、この最後の「パルティータ」にまで至ると、その様な「約束事」は次第に後景に追いやられ、バッハ自身の自由な独創性が前面に出てくるようになります。
たとえば、パルティータの基本的な構成は「プレリュード-アルマンド-クーラント-サラバンド-ジーグ」が一般的ですが、バッハはその構成をかなり自由に変更しています。冒頭のプレリュードの形式を以下のように、様々な形式を採用しているのもその一例です。

  1. 第1曲:Praeludium
  2. 第2曲:Sinfonia
  3. 第3曲:Fantasia
  4. 第4曲:Ouverture
  5. 第5曲:Praeambulum
  6. 第6曲:Toccata

そして、この最初の曲で作品全体の雰囲気を宣言していることもよく分かります。
それ以外にも、同じ形式が割り振られていても、実際に聞いてみると全く雰囲気が異なるというものも多くあります。

おそらくバッハの鍵盤楽器による「組曲」の中では最も聞きごたえのある作品であることは間違いありません。