クラウスの棒によるシュトラウスは、ヨハンの方もリヒャルトの方も困ってしまうほど面白いのですが、調べてみると50年代にウィーンフィルとのコンビでまとまった録音を残しています。
ウィーン、ベルリン、ミュンヘンというドイツ語圏の三大歌劇場の音楽監督を歴任した人にしては残された録音がとても少ないだけに、モノラルとはいえデッカレーベルでこれだけまとまった録音が残ったことは感謝すべきでしょう。
- 交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」 op.30 1950年6月12日&13日録音
- 交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」op.28 1950年6月16日録音
- 交響詩「ドン・ファン」 op.20 1950年6月16日録音
- 家庭交響曲 op.53 1951年9月録音
- 交響詩「英雄の生涯」 op.40 1952年9月録音
- 組曲「町人貴族」op.60 1952年9月録音
- 交響詩「ドン・キホーテ」 op.35 1953年6月録音
- 交響的幻想曲「イタリアより」 op.16 1953年12月録音
- 楽劇「サロメ」op.54 1954年3月録音
「ナチスの指揮者」というレッテルのために戦後はしばらく演奏活動が禁止されていましたから、戦後の録音はほぼ50年からスタートしています。
そして、54年の5月に演奏先のメキシコで急死したクラウスにとっては、その年の3月に録音された「サロメ」は結果として遺言のような録音になってしまいました。
ですから、これら一連のDecca録音はクラウスの戦後の音楽活動のほぼ全ての時期を網羅していまるとも言えます。
それにしても、こうやってまとめて聞いてみると、クラウスとウィーンフィルとの相性の良さには感心させられます。
R.シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」 作品30 クレメンス・クラウス指揮 ウィーンフィル 1950年6月12日&13日録音
ウィーンフィルの美質と言えば、他では聞けない管楽器群の響きの美しさと、弦楽器群の臈長けた美しさ、そして何よりも他のオケでは絶対に聞くことの出来ない歌い回しの見事さあたりでしょうか。
そういえば、ヴァイオリンのソロが大きな役割を果たす「ツァラトゥストラはかく語りき」や「英雄の生涯」ではコンサート・マスターのボスコフスキーがソロをつとめています。そして、そのとろっとした響きの美しさこそは「これぞウィーンフィル!」と思わせるものがあります。
それだけに、新しく再開されるウィーンの国立歌劇場の音楽監督に自分が指名されることを、クラウスは疑いもしていなかったのでしょう。
ところが、結果は、このような優美さと高貴さをたたえた指揮者ではなく、木訥な田舎もののベームがその地位を手に入れるのです。
結局は、ベートーベンが指揮できないような指揮者がウィーンのシェフでは困ると言うことでしょうし、さらに言えば、何処まで行っても「ナチスの指揮者」という影が、新しく船出をするウィーンの国立歌劇場には相応しくないと判断されたのでしょう。
それにしても、彼の師匠に当たるリヒャルト・シュトラウスを指揮したクラウスの演奏は、どれもこれもウィーンフィルの美質を惜しげもなく振りまいていて、昨今のハイテクオケが聞かせてくれる音楽と較べれば別の作品のように聞こえるほどです。
そして、その「全く別の作品のように聞こえ」てしまうあたりが彼の音楽の様式的な古さを顕わにしていることも事実なのです。
しかし、物事を単純な進化論で切って捨てることが出来ないことも事実です。
より新しく、より精緻に、より美しくと頑張ってきた果てのハイテクオケ世界が、過去と較べて麗しくなっているとは言い切れないのも事実です。
ヘーゲルが語ったように歴史は決して「阿呆の画廊」ではありません。
この50年の成果は素直に認めながらも、その「進化」の中で失ったものはないのかを見直すためには、時にはこういう「過去」に目を向けることも大切なのではないでしょうか。