オーマンディ指揮 (Vn)アンシェル・ブラッシロウ フィラデルフィア管弦楽団のメンバー 1960年録音
いやはや、この顔ぶれから期待されるものを遙かに凌駕する演奏を聴かせてくれました。これぞまさしく、ピリオド演奏という悪霊を退散させるための「護符」のような演奏です。
もしも私のように、心の底からピリオド演奏が嫌いだという人がいれば、是非とも手もとに置いて大切にしてほしい演奏です。
「オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団のメンバー」と言うだけでワクワクします。
さらに、独奏ヴァイオリンは「Anshel Brusilow」とクレジットされています。そんなヴァイオリニストは聴いたことがありませんが、演奏を聴いてみてその雰囲気からピンときました!
きっと、フィラデルフィア管弦楽団のコン・マスだ!!
調べてみたら、まさにビンゴでした。
「Anshel Brusilow」は「アンシェル・ブラッシロウ」と読むようです。
詳しい経歴はこちらにあります。1955年から59年にかけて、ジョージ・セルのもとで「associate concertmaster」をつとめていたんですね。
その後、59年から66年までフィラデルフィアの「concertmaster」をつとめたようです。
その時に、オーマンディの指揮の下でソリストを務めた録音として「Vivaldi’s Four Seasons, Rimsky-Korsakov’s Scheherazade, and Strauss’ Ein Heldenleben.」と列挙されていますから、彼にとってはこの「四季」の録音は大切なものだったのでしょう。
しかし、実際に聴いてみると、ソリストが身内だという気安さがあるのか、弦楽器群が凄いことになっています。
とにかく、ソリストのことなんか殆ど気にしないで好き勝手に力の限り弾いています。バックの低弦楽器がこれほど分厚く響くバロック音楽というのは他に聴いたことがありません。そして、そのベースに支えられて、弦楽器群がまさに地響きがするように驀進していきます。
そして、そう言う弦楽器群に負けないように、必死でその合間から独奏ヴァイオリンが抜け出そうともがいています。
聴いていると、ちょっとアンシェルが可哀想な気がするのですが、本人はフィラデルフィアのコンマス時代の記憶に残る演奏の一つとして己の「BIOGRAPHY」に記しているのですから、これはこれで本人は結構楽しんでいたのかもしれません。
それにしても、この時代のフィラデルフィアは凄いです。バロックのスコアから、まるでアッピア街道を驀進していくレスピーギの影が見えたような気がするのですから・・・。
それから、もう一つ面白いことに気づきました。
それは独奏ヴァイオリンの位置です。
この録音では独奏ヴァイオリンのアンシェルはセンターに定位しています。そのスタイルはいわゆる独奏協奏曲のスタイルですから何の不思議もないように思います。
しかし、イ・ムジチなどの録音を聞いてみると、独奏ヴァイオリンは左端に定位しています。
もしやと思って調べてみると、例えばシュナイダーハンやミュンヒンガーの録音などでも独奏ヴァイオリンは左側によっています。
これは、独奏ヴァイオリンが指揮者の役割も兼ねて、小編成の弦楽アンサンブル全体をコントロールするためにはその位置が一番便利なのでしょう。おそらく、ヴィヴァルディもまたその様なスタイルで演奏したのかもしれません。
それに対して、このオーマンディのスタイルはまさにロマン派のヴァイオリン協奏曲です。ですから、ソリストである独奏ヴァイオリンは指揮者の横に位置することになるのですが、果たしてそれがヴィヴァルディのスタイルに相応しいのかと問われてしまえば相応しくないと答えざるを得ないでしょう。
しかし、音楽というのはどれほど高尚ぶったところで基本は芸事です。
聞いて面白くなければ客は来ないのであって、客が来なければどれほど高尚なことを並べ立てても飯は食っていけないのです。
そう思って、これと同じスタイルをとっている録音はないものかと調べてみて発見したのがバーンスタインの録音です。
レナード・バーンスタイン指揮 (Vn)ジョン・コリリアーノ ニューヨーク・フィル 1964年1月27日録音
これもまた見事なまでのロマン派スタイルです。
そして、どちらも世間一般から「愚演」と切って捨てられているのですが、これをその様に切って捨ててしまっているところに今のクラシック音楽の世界が抱え込んでしまった「つまらなさ」があります。