ベートーベンのピアノソナタ全32曲を聞いてみる(10)

ベートーベン:ピアノソナタ 第10番 ト長調 Op.14-2

  • 作曲:1797年~1799年
  • 出版:1799年
  • 献呈:ブラウン男爵夫人 ヨゼフィーネ

(P)クラウディオ・アラウ 1966年4月録音

拡大の後の収縮

ベートーベンという人の創作の道筋を辿っていると、大きく足を踏み出した後に、その勢いに乗ってどんどん前に進んでいくことはしなかったことに気づきます。
例えば、交響曲の分野で言えば、エロイカの後に書いたのは「北方の巨人にはさまれたギリシャの乙女」と称される第4番の交響曲でした。

もちろん、「Grande Sonate Pathetique」は「エロイカ」ほどの飛躍をもたらしたものではないのですが、それでも彼の初期ソナタの総決算という大きな意味をもつ作品でした。そこで、ベートーベンは古典的な均衡よりは率直な人間的感情の表出にこそ自分の進むべき道があることを宣言したのです。
そして、普通ならば、そう言う宣言の後には、その宣言にそってさらに一歩、歩を前に進めるのが普通なのですが、なぜかベートーベンという男はそこで踏みとどまって過去との折り合いを探りはじめるのです。

その意味では、「Grande Sonate Pathetique」とそれに続く作品14の2つのソナタの関係は、エロイカと第4番の交響曲との関係をより小ぶりにしたものだと言えます。
それ故に、「悲愴ソナタ」によって大きく一歩を踏み出したにもかかわらず、その外見はそれ以前に作曲された作品10のこぢんまりとした2つのソナタ(6番と7番)に似通っているのです。

しかしながら、第4番の交響曲が必ずしも第1番や第2番の交響曲への先祖帰りでなかったのと同様に、この2つのソナタも単純に先祖帰りをしたわけではありません。
確かに、この2つのソナタはかなり控えめな規模の作品であり、演奏上の困難も小さいので、おそらくは演奏会ではなくて家庭における演奏を前提とした作品であったと考えられます。とりわけ、第10番のソナタはベートーベンのソナタの中でももっとも演奏が容易なものの一つであり、今も学習用によく使われる作品です。

それでも、例えば、第9番のソナタの第2楽章は三部形式のメヌエットではあるのですが、そこには明らかにスケルツォ的な暗い情念が宿っていることは明らかです。
また、第10番のソナタでは小節の頭が揃っていない印象を与えるような箇所があちこちに登場します。

ローゼン先生はそれをハイドン流のジョークと呼んでいますが、それ故にソナタというよりはユーモラスなパガテルを思わせるとも書いています。
つまりは、古典的な引き締まった形式感の中で、その枠の中にきちんと収まる形で色々な感情の発露を試しているように聞こえるのです。

そして、その事を評価する人は、弟子のシンドラーが「最も内容の優れたものであるにもかかわらず、あまり認められない作品」だと述べている事に同意するのです。
しかし、その行儀のよい佇まいに対して、大きく一歩前進した前作の「悲愴」からの逆戻りと受け取る人は「駄作」と切って捨てるのです。

繰り返しになりますが、ベートーベンという男は意外なほどに慎重であり、それ行けどんどんで猛進していくタイプではなかったことだけは確かです。

  1. 第1楽章:アレグロ ト長調 (ソナタ形式)
    右手と左手が交わす対話をシンドラーは、「二つの主義の争い、もしくは男女の対話」と呼びました。これをうけてこの作品に「夫婦喧嘩」というニックネームがつけられたこともあったようです。
  2. 第2楽章:アンダンテ ハ長調(変奏曲形式)
  3. 第3楽章:スケルツォ アレグロ・アッサイ ト長調 (ロンド形式)

色々なピアニストで聞いてみよう

  1. (P)アルトゥル・シュナーベル 1934年4月23日録音
  2. (P)ヴァルター・ギーゼキング 1949年5月24日録音
  3. (P)ヴィルヘルム・ケンプ 1951年12月20日録音
  4. (P)ヴィルヘルム・バックハウス 1952年10月録音
  5. (P)イヴ・ナット 1953年6月録音