ベートーベン:ピアノ・ソナタ第16番 ト長調 Op.31-1
- 作曲:1802年
- 出版:1803年
- 献呈:なし
(P)クラウディオ・アラウ 1965年5月録音
18世紀的なソナタから抜け出して独自の道を歩み始めたベートーベンの姿が明確に刻み込まれている
作品を6つ、もしくは3つにまとめて発表したり出版するのはバロック時代から古典派の時代における一つの特徴でした。それは、バッハの組曲やパルティータなどにもよくあらわれています。
おそらくは、そういう風にセットにすることで「お得感」もあったでしょうし、作曲家にしても自らの多様な姿を示す(誇示する?)のに都合がよかったのでしょう。
ベートーベンもまた同様なのですが、彼の場合は6つではなくて3つにまとめることが多かったようです。
ピアノ作品だけを例にしてみれば、作品2(1番~3番)、作品10(5番~7番)、作品31(16番~18番)がそれにあてはまります。
- Piano Sonata No.1 in F minor, Op.2-1
- Piano Sonata No.2 in A major, Op.2-2
- Piano Sonata No.3 in C major, Op.2-3
- Piano Sonata No.5 in C minor, Op.10-1
- Piano Sonata No.6 in F major, Op.10-2
- Piano Sonata No.7 in D major, Op.10-3
- Piano Sonata No.16 in G major, Op.31-1
- Piano Sonata No.17 in D minor, Op.31-2
- Piano Sonata No.18 in E-flat major, Op.31-3
作品14や作品27のように3つではなくて2つをまとめているものもありますし、当然の事ながら単独で作品番号を与えているものが全体の半数を占めています。
しかし、最後の3つのソナタ(Op.109~Op.111)のように、本来は3つにまとまった作品と考えられるのですが、ばらして出版した方が金になると判断したので異なる作品番号が与えられることになった作品も存在します。
そして、重要なことは、このようにまとまった形で発表された作品は、そのまとまりとして眺めないと見落としてしまう面があると言うことです。
明らかなのは、このようにまとまりを持った作品というのは、それぞれに対して明確な性格の違いが与えられていると言うことです。
例えば、作品10の3曲を例に挙げればハ短調のソナタはその調性に相応しく英雄的であり、続くヘ長調ソナタは諧謔的な雰囲気を漂わせます。そして、最後のニ長調のソナタは3曲の中では最も規模が大きくて雄大な広がりを持った作品として全体を締めくくります。
ベートーベンはこの3つの作品をまとめて発表することで、英雄的であり、諧謔的であり、そして雄大な世界をも提示できる自らの多様性をアピールすることが出来たのです。
そして、「作品31」においてはその様な性格付けはさらに際だっていて、それぞれが「諧謔的(ト長調)」であり「悲劇的(ニ短調)」であり、最後は規模の大きな「叙情的(変ホ長調)」な性格で締めくくられます。
そして、それは若手の人気ピアニストとして売り出していたベートーベンの姿が「作品10」の3曲に刻み込まれていたとすれば、そう言う18世紀的なソナタから抜け出して独自の道を歩み始めたベートーベンの姿が「作品31」には明確に刻み込まれているのです。
ピアノソナタ第16番 ト長調 Op31-1
- 第1楽章:Allegro vivace
冒頭の響きは軽快でありながらどこか不穏です。
それは、左手の低声部が先んじて右手が追いかけるという常識的な響きとは真逆になっているからです。ほんの少し右手の高音部が先んじて左手の低声部がついてくるという手法が執拗に繰り返されることで、この作品の諧謔的な性格が聞き手に印象づけられます。 - 第2楽章:Adagio grazioso
装飾を多用したイタリア・オペラ的な雰囲気が漂う楽章です。そして、その装飾は音楽が進むにつれてどんどん盛られていきます。それもまた一つの諧謔のように聞こえます。 - 第3楽章:Rondo. Allegretto
明るさに満ちたロンド形式の音楽で締めくくられます。
しかし、ローゼン先生はこの作品の最後のところで、終結に向けてエネルギーが十分に蓄えられる前に疲れ切っているように感じられると述べています。それもまた、この作品の持つ諧謔的な性格の表れなのかも知れません。
色々なピアニストで聞いてみよう