おかしな話なのですが、ベートーベンのヴァイオリン・ソナタやチェロ・ソナタというのは、立派に演奏してくれればくれるほどどんどん「私」から遠のいていくような気がするのです。
そう言えば、オイストラフとオポーリンの全集を取り上げたときに、こんな事を書いていました。
この演奏を女性に例えてみれば、才色兼備の女性が自信と意欲を持って完璧に仕事を仕上げていくような雰囲気なのです。
もちろん、仕事に臨む姿勢にも、仕上がりのクオリティにも何の問題もありません。
ですから、その仕事ぶりには感心はさせられるのですが、なぜか見る人の「情」が動かないのです。
そして、チェロ・ソナタについても、例えばロストロポーヴィッチとリヒテルという重量量級の二人ががっぷり四つに組んだ全集に対して、「その持てるテクニックをフルに発揮してフルコースでエンターテイメント性を提供してくる演奏なので、すっかり感心させられる」とは書いていたのですが、やはり「情」は動かないのです。
もちろん、それは私がいささかひねくれているだけの話であって、普通はそんな言いがかりみたいな物言いでケチをつけたりはしないのでしょう。
ところが、そう言う不満を感じている中で出会ったのがシュナイダーハンとケンプによる古い録音でした。
美音にもたれかかって音楽が崩れると言うことは全くありません。それどころか、背筋をピシリと伸ばして、まなざしを常に遠くを見つめているような潔さが満ちています。
それはたとえてみれば、すごい美人でありながら、その美貌に決して甘えることなく黙々と仕事に励む女性を見る思いです。
なとも言えず感覚的な物言いなのですから、やはり、ひねくれているのでしょう。
でも、この演奏と録音に出会って、はじめてベートーベンのヴァイオリン・ソナタを「楽しく」聞けたことは事実です。
そして、チェロ・ソナタでも、ついに出会ったのがこのエンリコ・マイナルディとカルロ・ゼッキによる、この録音です。
マイナルディに関しては、バッハの無伴奏チェロ組曲ですっかり感心させられて、こんなに魅力的なチェリストをどうして今まで視野の外に置いていたのかと、自分の愚かしさに呆れてしまったものでした。
そして、あのチェロならば、春風駘蕩たるベートーベンを聞かせてくれるのではないかと期待したのですが、その期待は予想をはるかに上回るものだったのです。
ここには「立派なベートーベン」はどこを探してもありません。
あるのは、まるで春風の中にたゆたうような長閑さです。
そして、これってまるで与謝蕪村のような世界だと思ったのです。
ゆく春やおもたき琵琶の抱きごころ
これをもじれば
ゆく春やおもたきチェロの抱きごころ
とでも言いたくなるような演奏です。
ただし、それがあまりにも長閑にすぎて間延びしすぎないように、カルロ・ゼッキのピアノが要所要所で締めているのが見事です。しかし、締めながらも、そのピアノは居丈高になることなく、どこまで行っても実に軽やかに駆け回ってくれています。
それにしても、カルロ・ゼッキと言う名前も全く私の抽斗の中にはない名前でしたが、調べてみるとこの二人は長いコンビで、彼の指揮で幾つかのチェロ・コンチェルトも録音しています。
そして、こう言うときにネットというのは便利なもので、「カルロ・ゼッキ」と検索すればすぐに幾つかの情報が引き出せるのですが、引き出してみて驚きました。
何と、群響や日フィルにたびたび客演して素晴らしい音楽を聞かせてくれたあの「カルロ・ゼッキ」と同一人物だったのです。(^^;
もちろん、私は彼の指揮を実際に聞いたことはありませんが、遠山慶子と録音したモーツァルトの協奏曲は記憶に残っています。
ところが、なぜか、私の中ではマイナルディのパートナーとして活躍していたピアニストと、たびたび来日しては指揮活動を行っていた指揮者が結びつかなかったのです。
そして、結びついた途端に、何とも言えず親しみが湧いてきて、もしかしたら採点も甘くなったのか、ピアニストとしてもなかなかの腕前だったのだと感心させられました。
いや、これって滅茶苦茶凄いんじゃないのと思ってしまうほどの腕の冴えを感じます。
そう思ってさらにネット情報を探ってみると、、若い頃はシュナーベルやブゾーニに師事し、一時はミケランジェリの好敵手と目されたと言うのですから、大したものです。
さらに笑えるのは、嘘か本当かは分かりませんが、彼がピアニストの活動を断念して指揮活動に専念するようになったのは、借金の返済のために「事故でピアノを弾けなくなった」と偽って保険金を受け取ったためだというのです。
なるほど、それならばピアニストとしての活動が出来なくなるのも仕方がないのですが、なかなかに笑えるほどにユニークな人だったようです。
そう言えば、最晩年に群馬交響楽団に客演をしたときには車椅子でやってきて、「おはよう」と言って1曲を通して演奏し、終わると「疲れた」と言って帰るだけでリハーサルは終わりだったそうです。
そんな「おはよう」と「疲れた」だけのリハーサルを数回繰り返しただけだったのに、本番での演奏は群響の歴史に残るような名演だったそうです。
その時にアシスタントを務めた若手の指揮者は「指揮って何だろう?」と考え込んだそうですから、やはり常人にはとらえどころのないほどに懐の深い人だったのでしょう。
うつつなきつまみごころの胡蝶かな
蕪村風に言えばこうなるのでしょうか。