密やかに、訥々とフォーレの信仰告白を聞くような思いにさせてくれる

フォーレ:レクイエム 作品48
アンドレ・クリュイタンス指揮 サントゥスタシュ合唱団&管弦楽団 (S)マルタ・アンジェリシ (BR)ルイ・ノグェラ (Org)モーリス・デュリュフレ 1950年9月14日&16日~17日録音

ステレオ録音の方を取り上げたときには、何とも「申し訳ない」物言いをしてしまいましたが、私にとっては「好きになれない」演奏である事は今も変わりません。
それと比べると、この古いモノラル録音のレクイエムは雑駁で、有り体に言えば拙いアンサンブルなので最初はかなり気になるのですが、聞き進むうちにそう言うことは次第に気にならなくなってきます。そして、ひたむきと言っていいほどの姿勢から、カソリックの約束事にはこだわらないフォーレならではの心からの祈りがひたひたと伝わってきます。

Andre Cluytens

ただし、このモノラル録音の演奏団体の実態がよく分からないのです。
いろいろ調べてみると、3種類の記述があることが分かりました。

  1. サントゥスタシュ合唱団&コロムビア管弦楽団
  2. サントゥスタシュ合唱団&管弦楽団
  3. サントゥスタシュ合唱団&サントゥスタシュ管弦楽団

つまりは、合唱団に関しては問題はないのですが、オーケストラの実態がよく分からないのです。
「コロンビア管弦楽団」というのは明らかに覆面オケですから、50年9月という録音時期を考えれば、前年に首席指揮者に就任したコンセルヴァトワールのオケと考えるのが普通でしょう。オケの名前が不詳の「管弦楽団」についても同様です。
しかし、ごく一部に「サントゥスタシュ管弦楽団」という記述も存在します。

「サントゥスタシュ管弦楽団」というのもよく分からないオケなのですが、調べてみると65年録音のエミール・マルタン指揮によるフォーレのレクイエムには「サントゥスタシュ教会聖歌隊&サントゥスタシュ管弦楽団」というクレジットがあるのです。
ただし、雰囲気としては「サントゥスタシュ合唱団&サントゥスタシュ管弦楽団」と言う記述は「サントゥスタシュ合唱団&管弦楽団」を読み違えた可能性が高いようです。

ですから、この正体不明のオケは実態としてはコンセルヴァトワールのオケが中心になっていると考えるのが妥当だと思われます。このあたりのことで、何か情報をお持ちの方がおられましたらご教示ください。

振り返ってみれば、クリュイタンスがパリ音楽院のオケをミンシュから引き継いだのは1949年のことでした。
そして、形の上では1960年にクリュイタンスは首席指揮者を退くのですが、コンセルヴァトワールのオケは新しい指揮者を招くことはなかったので両者の実質的な関係はそれ以後も続くことになります。そして、その関係が終わるのはクリュイタンスの死によるものであり、そして、それは同時にコンセルヴァトワールのオケにとっても「終わり」を意味することになったのです。

指揮者とオケが深い関係を結ぶと言うことはよくありますが、その生死まで共にしたのはクリュイタンスとパリ音楽院管弦楽団くらいのものでしょう。
しかし、その「生死」をともにしてしまったところに、この両者の関係が生み出した「美質」と「弊害」が象徴的に現れています。

「弊害」について言えば、それはオーケストラとしてのクオリティの低下です。
それがラムルー管のようなオケならば「味」の一つですむのでしょうが(失礼!<(_ _)>)、パリ音楽院のオーケストラともなればそれはフランスを代表する存在ですから、ベルリンやウィーンやアムステルダムやロンドンのオケと比較されることは避けられません。そうしてみれば、そのあまりにも雑なアンサンブルしか実現できないパリのオケは、その他の都市のオケと較べれば情けないほどに見劣りがしたのです。

そして、その責任は少なくない部分はクリュイタンスにあり、そしてそう言う指揮者との間で四半世紀以上も馴れ合うことで惰眠をむさぼっていたオーケストラメンバーが残りの責任を分かち合うことになります。
確かに、フランスのオケというのはアンサンブルを揃えると言うことにあまり興味がないことは一つの伝統でしたが、その伝統はこの両者の関係にあっては、まさにかつてマーラーが喝破したように「怠惰の別名」でしかなかったのです。

ですから、クリュイタンスの死によって後ろ盾を失ったこのオーケストラがパリ管という別組織に再編されて、オーケストラのメンバーの大半が馘首されたのは仕方のないことでした。

しかし、そう言う「弊害」を抱えながらも、このコンビが四半世紀にもわたって少なくない人々から支持されてきたのは、他のコンビからは聞くことのできない「美質」を持っていたからでした。その「美質」を多くの人は「粋と優雅」という曖昧な言葉で表現するのですが、しかしながら、私もそれに変わる言葉は容易に見つけ出すことは出来ないので、その言葉を使うしかないのです。

「粋」と対になる言葉は「野暮」と言うことになるのでしょうが、確かにオケのメンバーがまなじりを決して指揮者の棒に食らいつき、機械のように正確なアンサンブルを実現している「図」というのは確かに「野暮」かも知れません。そして、それは「優雅」ではなくて一種の「野蛮」であるかも知れないのです。

それでは、この古い方のレクイエムがどうして好ましく響くのかというと、この録音の方がフォーレのレクイエムという音楽に相応しいこぢんまり感を維持させているからです。
もちろん、この録音に参加しているオケがコンセルヴァトワールのオケでない可能性もあるのですが、それであってもこのオケもまた良くも悪くも「フランス的」です。

それゆえに、密やかに、訥々とフォーレの信仰告白を聞くような思いにさせてくれる演奏なのです。
これと比べれば、ステレオ録音のコンセルヴァトワールのオケは無理をしてスケール感を広げようとしすぎています。特に場違いな感じがするのはフィッシャー=ディースカウの歌唱でしょうか。

そして、クリュイタンスの指揮も合唱も含めて重々しく仕上げようという意図が前面に出ていることは明らかでした。
もちろん、そう言うレクイエムを好む人もいるでしょうからその事は否定はしません。

しかし、偏見かも知れませんが、フォーレのレクイエムにはこのモノラル録音のような訥々とした地味な語り口の方が相応しく思えるのです。
そして、その演奏も教会に集った会衆の合唱のような素人臭さを感じさせる拙さがあるのですが、それもまたこの作品にとっては大きなマイナスにはならないのです。

こんな事を書くと日々レッスンに励んでいる真面目な音楽家の方々には申し訳ないのですが、こういう古い録音を聞いていると、確かに音楽を成り立たせるためには楽器を演奏するスキルが必要条件ではあるのですが、その必要とされるレベルはそれほど高くなくてもいいのではないかなどと思ってしまうのです。
それは、演奏のクオリティという必要条件は申し分のないほど高いレベルで満たしているのに、その演奏を通して何を語るかという十分条件を満たし切れていない演奏よりははるかに聞くに値するという当然のことを思い出させてくれるのです。

なお、この録音でもう一つ注目したいのはオルガンをモーリス・デュリュフレが担当していることです。録音のバランスとしてオルガンの音量がやや大きめになっているのは、そう言うビッグネームの故かと勘ぐってしまいニヤリとさせられます。