クナッパーツブッシュの音楽は聞き手の心を沈潜させていく

クナッパーツブッシュと言うのは本当に不思議な、その意味では希有の指揮者だったとと言うことを、「神々の黄昏」からの2曲、「夜明けとジークフリートのラインへの旅」 と「ジークフリートの葬送行進曲」の録音を聞いてみて改めて思い知らされました。

まずは些細なことですが、録音クレジットを見ると1956年6月3日~6日となっていたのです。
おそらくは「小品」と言っていいこの2曲を録音するには時間がかかりすぎだろうと訝しく思ったのです。

とにかく、クナッパーツブッシュというのは録音嫌いと伝えられていますし、とりわけ狭苦しいスタジオ録音というのはどうにも我慢のならない人だったことは間違いないからです。
そんな男がこの2曲を録音するのに4日間もかけたなどとは、にわかに信じがたかったのでした。

しかしながら、詳しく調べてみれば、その4日間にもう一つブルックナーの交響曲第5番という「大作」も録音していたのです。
どういう順番で録音されたのかは分かりませんが、それでもあの吉田秀和が始めてヨーロッパを訪れたときに、まず聞くべきはクナッパーツブッシュのワーグナーとブルックナーだと言われたと回想していましたから、これはDeccaにとってはきわめて重要なセッションだったはずです。

カルショーは後にクナッパーツブッシュとスタジオ録音を行うことがどれほど困難であったかを回想していて、それがクナッパーツブッシュの録音嫌いという「伝説」生み出したのですが、こういうスタジオ録音を聞いていると本当に彼は録音が嫌いだったのだろうかという気はします。
この「夜明けとジークフリートのラインへの旅」 と「ジークフリートの葬送行進曲」の深々と沈潜していくような音楽を聞いていると、どう考えても嫌々演奏しているとは思えないからです。

最近、彼の録音を改めて集中的に聞いているのですが、そこで気づいた事がありました。
それは、フルトヴェングラーは高揚するがクナッパーツブッシュは沈潜すると言うことです。

フルトヴェングラーの音楽というのは基本的に論理的であって、音楽が高揚するときにはその論理に従って聞き手の心も高揚させてくれます。ところが、クナッパーツブッシュの音楽というのはその頂点にむかって音楽が進んでいけばいくほどに聞き手の心を沈潜させていくのです。
そう言う不思議な感覚は、とりわけこの2つの作品にはよくあらわれています。

そして、そこで気づくのです。
カルショーが求めたものは、さらに言えばレコードというものが一つの大きな産業に育ちつつあったこの時代の録音プロデューサー達が求めたものは、一切の傷がない「完璧」な録音だったと言うことです。
それを「スタンダード」と言い換えてもいいのかも知れません。

しかしながら、クナッパーツブッシュの音楽はとてもではないが、そう言う「スタンダード」の枠には収まるものではなかったのです。

しかし、カルショーは思ったはずです、そう言う「スタンダード」の枠からはみ出る部分というものは「傷」だと!!
もちろん、その考えは誤ったものではありませんし、そう言うスタイルを貫いていったからこそ、この後のレコード産業の隆盛はあったのでしょうし、さらに言えば、カラヤンなどに代表されるような新しい演奏の潮流も足場を築くことが出来たのです。

しかし、クナッパーツブッシュには到底それは受け容れられないスタイルだったはずです。

カルショーはクナッパーツブッシュはプレイバックも聞かずにさっさと帰ってしまうとぼやいているのですが、おそらく聞けば手直しが必要な部分があることは分かるのであって、そうなれば録り直しをしなければいけなくなります。
そう言う録り直しが必要な部分はカルショー以後の世代にとっては「傷」以外の何ものでもないのでしょうが、クナッパーツブッシュにとってはそう言うことも含めてそれが「音楽」だったはずです。

もしも、不満の残る部分をもう一度録りなおして、その部分をハサミとノリでつなぎ合わせてしまえば、それはもう得体の知れない第三者に手になる音楽になってしまうと考えたのでしょう。

そして、この録音はそう言うクナッパーツブッシュの我が儘が貫かれた録音であることは間違いありません。
さらに言えば、この後、カルショーの念願であったクナッパーツブッシュと指輪の全曲録音を行うという夢が「ワルキューレ」の第1幕だけで終わってしまったことも必然だったのでしょう。