サイト管理者のための著作権講座

原則

著作物とは人の労苦の結晶です。それ故に、それら著作物に対して創作者は何らかの権利を持つのは当然です。その権利の行使によって何らかの経済的利益を享受するか否かはその人の判断によりますが、たとえそのような権利を行使せずに「著作権フリー」を宣言したとしても、創作者の著作物に対する権利は消滅しません。
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ここではそのような権利の一つ一つにふれることはしませんが、創作者が自らの著作物に対して他者に対する様々な「排他的権利」を有することを確認しておきましょう。
ですから、著作者の承諾を得ずにそのような権利を侵害することは許されません。

まずはこれが原則です。

しかし、他方において、そのような排他的権利を著作者に永遠に与えることを著作権法は認めていません。

なぜならば、どのような著作物でも、その創作の過程において先人の業績に多くを依拠しているからです。私たちは常に先人の肩の上に乗って創作活動を行うのですから、いつかは自分の肩の上に誰かが乗ることを拒絶することはできません。
また、著作者の権利は他者に譲渡することができますから、ある個人または集団がその経済力や政治力などを使ってそのような権利を集積し、将来にわたって独占的に占有するようなことになれば文化の発展に著しい障害になることは容易に推察できます。

ですから、著作権法は著作者に対する排他的な権利には一定の保護期間しか与えておらず、その保護期間が経過した著作物は公共の所有物として誰もが自由に使用できるようにしています。
これをパブリックドメインと言います。

この保護期間は例外的措置をのぞけば日本国内では著作者の死亡した日の属する年の翌年から起算して50年間となっています。
この期間が上記で述べた法の趣旨から言って適正なものかどうかについてはいろいろな意見がありますが、法は法ですからその規定に従って運用するしかありません。

インターネットでの配信

インターネットで著作物を配信するという行為は法で想定されていなかったために当初は様々なトラブルが発生しました。その後も技術的な発展を背景として現行法では規定しきれないようなケースが起こっています。

しかし、サイト管理者としてはそのような法の盲点をついて著作物を配信するという行為は好ましいことではありません。あくまでも、著作権法の趣旨を理解し、法が未整備な点についても法が想定する原則に則って行動したいものです。

インターネットを使って著作物を配信するための手段は二つです。
著作者の許諾を得て配信するか、パブリックドメインになっている著作物を配信するかです。

個人が趣味の範囲で管理運営しているサイトであれば、著作者に使用料を払ってまで配信すると言うことはほとんど考えられませんから、一般的にはパブリックドメインとなっている著作物を配信することになります。

ここで注目しておきたいのは、インターネットの発達によって今までは抽象的な概念でしかなかったこの「パブリックドメイン」という概念が現実的な意味を持ち始めたと言うことです。

かつてはパブリックドメインとなった著作物でも、それを広く流通させようとすれば少なくないコストがかかりました。
たとえば、すでにパブリックドメインとなっている歴史的な録音を共有しようと思っても、それを録音物として固定し配布しようと思えばそれなりのコストが必要になります。個人が趣味と善意の範囲でなし得ることではありませんから、レコード会社がビジネスとしてCDを制作して、一定の利潤を上乗せして発売するというのが一般的でした。
ユーザーサイドから見れば、パブリックドメインと言ってもそのような利潤も含めた対価を支払って入手するしかなかったのですから、それは抽象的な概念に留まらざるを得ませんでした。

ところがインターネットの発展によって、パブリックドメインを流通させるためのコストは劇的に低下しました。
もちろんゼロになるわけではありませんが、サイト管理者にそれなりの情熱があれば、個人が趣味の範囲でまかなえるものになりました。
ユーザーサイドから見てもインターネットに接続できる環境は必要ですが、それさえあればパブリックドメインを自由に享有することができるようになりました。
保護の面ばかりが強調されてきた著作権法のもう一つの側面、保護期間の終わった著作物は全人類の共有財産にするというパブリックドメインの原則を現実のものにしつつあるところにインターネットの持つ大きな可能性があります。

このインターネットとパブリックドメインとの関係は、今後の著作権法の動向を見守っていく上できわめて重要な観点だといえます。もっと分かりやすく言えば、一部の著作権ビジネスに携わる人々が、今までは画餅にすぎなかったパブリックドメインが現実のものになりつつあるなかで、この原則が彼らのビジネスを脅かすものと考えはじめ、その経済力と政治力を使ってパブリックドメインの原則をなし崩しにするような法改正を求めていることに、私たちは留意する必要があるということです。

もう少しかみ砕いて解説すると以下のようになります。

著作権法の原則は「保護とパブリックドメイン」です。
保護期間をいたずらに延長することはパブリックドメインの原則に反します。

ごく常識的に考えれば、既に亡くなった人に保護を与えることで創作活動への意欲付けを行うことは不可能ですから(天国、もしくは地獄から作品を送ってくれるなら話は別でしょうが・・・)、その面に関しては死亡した段階でパブリックドメインに移行しても何の問題も発生しません。
しかし、そのような創作活動をビジネスとして支えている人々も存在するわけで、さらにそのようなビジネスの支えで創作活動が営まれている現実も否定できませんから、そのようなビジネス活動に対する保護も文化的創造活動を支えるものと認めることは著作権法の原則に反するとは言えません。
そして、そのようなビジネスに携わる人々にとって、著作者の死去によってすべての権利が消滅するというのでは、ビジネス活動を継続していくうえでの意欲を著しく損なうでしょうから、ある程度の保護期間の延長が認められてもやむを得ないでしょう。
しかし、たとえば全米映画協会のように「ミッキーマウスの保護期間が1000年に延長されたとして何の不都合があるんだ!」というような主張が妥当なものかと言われれば首をひねらざるを得ません。

同じような知的財産の保護に関する法律で、とりわけビジネス活動に関わりが深いものとして特許法があります。その特許法で特許権の保護期間が30年であることを考えると、すでに著作権法による保護期間はバランスを失するほどに長くなっています。もし、ある企業が自らが所有する特許権を1000年に延長しろと要求すれば社会的に袋叩きにあうことは間違いありません。
例えば、ソニーがCDに関する特許を1000年に延長しろと主張すればどういうことがおこるかは容易に想像できるはずです。もちろんソニーがそのような主張をするはずもありません。

ところが、論理的にはそれと同じような主張を全米映画協会が行い、その主張が一つの方向性を指し示すものとして市民権を得ているというのは、アメリカという社会の負の側面をあらわすものといわざるを得ません。

特許法との均衡でビジネスへの保護を考えれば、どんなに長く保護しても著作者の死後30年が妥当なラインでしょう。それでも、初期作品だと条件によっては100年近い保護期間が与えられるわけですから、常識的にはその辺のバランスもとって、死後10年というのが妥当なラインであるはずです。
法律の専門家でもそのような見解が有力です。

それにも関わらず、インターネットの急速な発展によってパブリックドメインが現実のものになりつつある中で、一部の著作権ビジネスにたずさわる人々がパブリックドメインという原則そのものを敵視して、それを形骸化しようとするような法改正を求めていることは実に悲しむべき事であり、そのような動きは厳しく批判していかなければなりません。

パブリックドメイン

サイト管理者がインターネットでパブリックドメインを配信しようとするときに留意すべき点は二つです。

一つは、そのパブリックドメインが本当に共有すべき価値を持ってるかどうかの判断です。その著作物が人類の共有財産として分かち合うに値するものかどうか、サイト管理者は自らの価値観と鑑識眼に従って選別することが必要です。

この事は著作権に直接関わる話ではないのでこれ以上は深入りしませんが、一つだけ強調しておきたいのは、配信されているパブリックドメインの質と、そのサイトのアクセス数は必ずしも正比例しないということです。それは、放送番組の質が視聴率と必ずしも正比例しない事と同じです。ですから、パブリックドメインを配信しようとするサイト管理者は、アクセス数などの外面的な事情に左右されずに、自らの信念に従って配信していくことが何よりも重要だと言うことは確認しておきましょう。

第2に、言うまでもないことですが、何がパブリックドメインとなっているかの判断です。

法的には「不知は罪」ですから、自分の未熟な判断でパブリックドメインになっていない著作物を勝手に配信してしまうことは許されません。ですから、インターネットを通して他人の著作物を配信しようと思う管理者であれば、著作物の保護期間に関する正確な知識が必要です。
その規定が日本語で書いてあるとは思えないような複雑きわまるものであっても、そのようなサイト運営を目指す管理者であるならきちんと勉強しておく義務があります。

実際、この保護期間に関する規定は実に複雑です。また、一つの著作物に関する権利関係もそれほど単純とはいえません。それらをすべて理解することは法律の素人には不可能に近いことですが、少なくとも自分のサイト運営に関わる部分については明確にしておくべき義務があります。
また、どうしても理解できない部分や、曖昧さの残る場合はしかるべき機関に問い合わせるぐらいの誠実さは必要です。

以上が、パブリックドメインとなった著作物をインターネットを通して配信しようと考えているサイト管理者が理解しておくべき基本原則です。

以下、そのような原則をふまえた上で、実際にサイト運営を行っていく上で知っておかねばならない点について詳述していきたいと思います。ただし、著作権法の規定はそれぞれの著作物の種類によって複雑を極めます。
それらをすべて網羅してここで解説する能力をユング君は持ち得ませんから、ここではクラシック音楽の歴史的録音をインターネットで配信していく上で理解しておくべき点にのみ絞って書いていきたいと思います。

著作物に対する権利関係

録音された音楽演奏をインターネットで配信しようと思えば、二つの権利関係をクリアする必要があります。
一つは、音楽作品そのものに対する権利であり、もう一つはその作品を演奏し録音物として固定した行為にたいする権利です。
前者を「著作権」、後者を「著作隣接権」と言います。そして、「著作隣接権」に関しては演奏家とレコード会社がそれぞれに異なる権利を持つのが一般的です。
つまり、配信しようと思う歴史的録音がパブリックドメインになっているか否かの判断は、基本的には著作者・演奏家・レコード会社の三者の権利がクリアされているか否かによって判断されることになります。

なお、パブリックドメインとして複製し配信する音源がレコードではなく放送音源の時は、権利者はレコード会社ではなくて放送事業者と言うことになります。
しかし、放送に関する著作隣接権は放送があったときから起算されますから、どんなに古い録画であってもその放送があった日から50年という事になります。たとえば、後日再放送されて、それを録画して複製すれば、保護期間の起算点はその再放送日からとなりますから、放送録画・録音をパブリックドメインとして配信することは現実的には不可能です。
放送音源に関してはこの小論では除外しておきます。

著作権の保護期間

一般的に著作権の保護期間は著作者の死後50年です。
この保護期間は、当初は30年でしたが、その後経過措置がとられて50年に至っています。
法改正によって保護期間が延長されても一度消滅した著作権が復活することはありませんが、クラシック音楽に関してはそのようなややこしい経過措置に煩わされずに、素直に著作者の死後50年と判断しておいた方がいいでしょう。

ただし注意が必要なのは、この死後50年というのは死亡した日から50年ではなくて、死亡した日の属する年の翌年から起算して50年であることです。
ですから、基本はお正月を迎えるたびに著作権が消滅してパブリックドメインに追加されると言うことです。

今年2003年のお正月について言うなら、1952年に亡くなった著作者の権利が消滅したと言うことです。

これが基本です。

ところが、クラシック音楽の場合は著作権者の大部分が外国人ですから、もう一つ留意しておくべき事があります。
それが「戦時加算」と呼ばれる、敗戦国日本に対する一種のペナルティ条項です。
これは、著作者が第2次世界大戦の連合国国民であるときは基本の50年に対してそれぞれの国籍に従って一定の日数を保護期間に加算するというシステムです。(敗戦の日から平和条約が締結されるまでの日数が加算されます)

ただしこの加算は、死亡した日から単純に加算されますから、通常の「死亡した日の属する翌年から・・・云々」という規定は適用されません。

クラシック音楽の場合は、その大部分が悩むことなくパブリックドメインですが、一部このボーダーラインにかかってくる作曲家に対しては注意が必要です。

一例を挙げますと、バルトークは晩年アメリカに亡命をして1945年にアメリカで亡くなりましたが、どうやらアメリカ国籍を持っていなかったようで、この戦時加算は適用されません。よって彼の作品はパブリックドメインとなっています。(しかし、その後さらに詳しく調べてみると、作品によってはこの戦時加算が適用されるものがあることが判明しました。それもきわめてランダムでして、管弦楽のための協奏曲は戦時加算が適用されているのですが、なぜか05年5月の段階ではその権利は消滅しているのに対して、弦楽四重奏曲の第6番は未だに権利が消えていません。そのへんの根拠が全くもってよく分からないのですが、この戦時加算の問題は実に悩ましい限りです。)

ラフマニノフはロシアの作曲家ですが、アメリカに亡命をしてアメリカ国籍を持っていたので、戦時加算が適用されます。1942年3月28日に亡くなっているので、通常なら著作権は消滅しているのですが、戦時加算が適用されて、今年の夏頃にならないと彼の作品はパブリックドメインとはなりません。

<追記>
その後ラフマニノフの著作権がいつ切れるのかについてはあれこれと論議があり、最終的には文化庁に問い合わせて以下のような回答を得ました。

お尋ねのラフマニエフに関する著作権について、お答えします。

そもそも、著作権の保護期間とは、原則として「著作者の生存している期間」+「著作者の死後50年」となっています。そして、保護期間の計算方法は、死亡した年の「翌年の1月1日」から起算します。

次に、戦時加算は、平和条約において条約関係にある連合国の国民が第二次世界大戦前又は大戦中に取得した著作権については、通常の保護期間に戦争期間(昭和16(1941)年12月8日又は著作権を取得した日から平和条約の発効する日の前日までの実日数)を加算することとなっています(連合国及び連合国民の著作権の特例に関する法律第4条)。

本題に入ります。ラフマニエフが、いつご質問の作曲の著作物を創作したかによって保護期間の満了日は違ってきます。例えば、1941年12月8日以前に創作した著作物の保護期間は、1943年3月28日に亡くなっているということなので保護期間は翌年の1月1日すなわち1944年1月1日から起算しす。まず、保護期間50年を計算します。
すると、1993年12月31日となります。次に、戦時加算をします。閏年が2回ありますので、計算の結果2004年5月22日、となります。

1941年12月9日以後に創作した著作物については戦時加算がされる日数は短くなりますので、保護期間の満了日も2004年5月22日よりも早くなります。
因みに、ロシアは日本と平和条約を結んでいないため戦時加算はありません。

なお、連合国で日本と平和条約を結んでいる国は以下のとおりです。

オーストラリア、カナダ、スリランカ、フランス、インドネシア、ニュージーランド、パキスタン、フィリピン、アメリカ合衆国、グレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国、オランダ など

 

 

文化庁 著作権課

いささか納得のいかない話ですが、戦時加算というのは基本的にはそういうもののようです。

R.シュトラウスは1946年に亡くなっていますが、ドイツ国籍ですから戦時加算は適用されませんので、単純に1997年に彼の作品はパブリックドメインとなっています。

JASRAC作品検索サービスのページにも以下のような注釈がついています。

ドイツの作曲家リヒャルト・シュトラウス(1949年没)の著作に係る作品のうち、戦時加算対象となっていたオペラ作品「ナクソス島のアリアドネ」に関し、同作品を許諾なく上演した利用者に対して英国の出版者が著作権侵害に基づく損害賠償を求めていた訴訟において、東京高等裁判所は、平成15年6月19日、同作品の上演権に戦時加算特例法の適用はなく、著作権は1999年12月31日をもってすでに消滅しているとの判決を下しました。そして、この判決は、同年12月19日の最高裁判所の決定(上告不受理決定)によって確定しました。
上記判決は、直接には当協会が管理していない権利に関する判断ですが、東京高等裁判所の論理に従う 限り、当協会が管理委託を受けたリヒャルト・シュトラウス作品の著作権全般についても、同様に戦時加算が適用されない可能性が極めて高いものと考えられます。このため、当協会は、上記「ナクソス島のアリアドネ」を含むリヒャルト・シュトラウス作品について、2000年1月1日に遡って同日以降著作権が消滅したものとして取り扱うことといたしました。

このあたりのボーダーラインにある作曲家には注意が必要です。

著作隣接権に関して

こちらの保護期間に関しては、1996年の法改正までは非常にややこしいものとなっていました。
原因は、著作隣接権という概念が割合に新しいものであり、最初から不十分さを内包していたこと、そしてその不十分さを是正するためにたびたび改正が行われ、そのたびに様々な経過措置をとらざるを得なかったことにあります。

また、著作隣接権は技術の発展に影響を受けやすいと言う特性を持っているために、そのような技術の発展に伴って接ぎ木のように新しい概念と保護規定が付け足されていき、それら相互の概念の間に合理的な論理的整合性を欠くと言うことも話をややこしくしていました。
さらに著作権に関しては国際条約が国内法に優先するため、条約の改定に迫られて行なった国内法の改正が必ずしも論理的な整合性がとれていなかったことなども複雑さを増す原因ともなっていました。

ところが、1996年の法改正は、一刀両断という形でこのややこしさを断ち切ってしまいましたので分かりやすいことは実にわかりやすくなりました。ですから、ここでは96年の法改正と、それに引き続く2003年の法改正によって変更された規定について書いておけば、サイト管理者として留意すべき点は明確になります。

しかし、インターネットの発展は著作権法のあり方に大きな影響を与え、今もダイナミックに変化を続けています。そのような変化の動向を見極めていくためには、複雑きわまる著作隣接権に関わる法改正の経緯を簡単に振り返っておくことも無駄ではないと思います。
そんな悠長なことにはつきあっておられないと言う方は、ここは読み飛ばして最後の結論部分だけ参照してもらってもOKです。

明治時代に制定された旧著作権法においてはそもそも著作隣接権という概念がありませんでした。よって、演奏家やレコード会社は保護の対象となっていませんでした。
まあ、牧歌的な時代だったと言うことです。
ところが、そういうのんびりした時代も終わり、演奏家やレコード会社も一定保護することが必要なってくると、今度は非常に制限された形で著作権の一部として保護されるようになりました。

その後、1968年(昭和43年)の法改正によって初めて著作隣接権という概念がもうけられ、演奏家やレコード会社の権利がはじめてきちんとした形で規定されました。
ところが、この権利も当初は国内の演奏家や国内で作成されたレコードにしか適用されないと言う限界があり不十分さを内包していました。

ここで注意しておくべき必要があるのは、「国内で作成されたレコード」というのは、国内で録音が行われ、国内で原盤が制作されたレコードを指し示す概念だと言うことです。
ですから、外国で原盤が作成され、そのライセンスを買い取って国内で複製して国内で発行されたレコードは、ここで言うところの「国内で作成されたレコード」には当てはまりません。
とりわけクラシック音楽の場合はその大部分が外国で演奏され、外国において録音されますから、そういうレコードは一般的に国内盤と呼ばれるものであっても、著作権法で言うところの「国内で作成されたレコード」には当てはまりません。

つまり、クラシック音楽のレコードに関して言うならば、当初はそれらを複製して配布することは事実上野放し状態だったわけです。

しかし、当時はアナログレコードの時代であり、アナログレコードからアナログレコードを複製するにはかなりのコストが必要であり、さらに複製によって音質は確実に劣化しました。正規盤から複製されたレコードは安いけれども(それでも今の感覚から言うとかなり高い!)粗悪品という定式が定着していました。
それなりの愛好家ならば決して手を出さないような代物でした。

ところが、デジタル録音の登場でこのような悠長なことは言っていられなくなりました。

CDの最大の利点は音質の良さではなく(そう、断じてそうではない!)、その取り扱いの容易さと制作コストの低さにこそあります。
このことは、一枚の正規盤から音質がまったく劣化しない複製盤を大量に、かつ安価に作成できることを意味しました。このような複製盤を許していては、誰もまじめにレコード制作を行う意欲を失ってしまいますから、これに一定の規制をかけることは当然の成り行きでした。

そして、このような規制は国内法の整備だけで対応できる問題ではありませんから、国際的な条約として取り決めを行う必要がありました。
日本では昭和57年にこのレコード保護のための条約が発効し、それに伴って必要な国内法の改正が行われました。しかし、その時点においても保護が不十分な点があり、引き続きいくつかの国際条約の改正や締結が行われ、国内的には平成元年の法改正で一段落つくことになります。(この辺の細かい経緯を詳述することは話をかえって分かりづらくしますからここでは省きます。)
この平成元年(2年だったかな?)の改正によって、基本的には国内外を問わず、すべてのレコードや実演が保護の対象となったと考えてもいいでしょう。

また、昭和43年からこの平成元年の法改正に至るまでに著作隣接権の保護期間が20年から30年に、そして50年と延長されていきました。ただし、これら保護期間の延長によっても、すでに消滅した著作隣接権が復活することはないと言うのが法の前提ですから、保護期間の延長が決まるたびに経過措置がとられました。

単純化して言えば次のようになります。
まず、昭和43年の法改正ではじめて著作隣接権が設定されます。この時の保護期間は20年でした。
昭和63年にこの保護期間が30年に延長されました。この時、すでに著作隣接権が消滅していた録音はこの延長によって権利は復活しませんから、この時点で録音から20年以上が経過している演奏には30年という保護規定は適用されません。
つまり、昭和42年(1967年)以前に録音された演奏はパブリックドメインとなっていました。
その後保護期間が50年に延長されましたが、この法改正までに権利が消滅した演奏やレコードはありませんでしたから、権利関係で経過措置を適用する必要がないので、1968年以降に録音された演奏だけがそのまま保護期間が50年に延長されました。

つまり、1967年を分水嶺として、それ以前の録音や演奏はパブリックドメインとなり、それ以後の録音や演奏には50年の保護期間が適用されることになったのです。そして、その適用に国内外の区別はなくなったと理解していい状態となりました。

これは著作権法の趣旨から言って、そして様々な技術の発展から言って、保護期間が50年に延長されたことをのぞけば妥当な保護規定だといえます。
その後の法改正においてもこの規定は引き継がれました。

ところが、そんな判断に強引に横やりを入れてきた国がありました。それが当時唯一の超大国となったアメリカです。

実はこの法改正をめぐっては、日本国内の「不遡及の原則」と、ベルヌ条約の過去に遡及して権利が適用される規定、「遡及効」(条約に加盟した国はその条約に加盟した日に関わらず、条約の規定が過去にさかのぼって適用される)の原則がバッティングしていました。しかし、ベルヌ条約の「遡及効」の原則は、どこまで遡及するかは各国の判断に委ねられており、日本はすでに消滅した著作隣接権は復活させないと言うスタンスでのぞんでいたため、上記のような規定となっていました。
これは法的な安定性、論理的な整合性から言ってきわめて当然な判断だと思うのですが、日本が1968年以降の著作隣接権しか保護しないのは外国のレコード制作者の権利を不当に侵害しているという批判を展開して、日本国内ですでに消滅している著作隣接権を過去にさかのぼって復活させるように要求してきたのです。

ベルヌ条約の「遡及効」に関しては専門家の間でも諸説がある中で、このようなアメリカの要求がどれほど妥当性を持つものなのかは疑問ですが、実質的にアメリカの属国である日本はこのアメリカの要求に従って1996年に法改正を行います。

簡潔にいえば、著作隣接権のすべての規定に対して、過去にさかのぼって101条の保護規定を適用するというものです。(演奏に関しては実演があったときから50年、レコードに関しては音が固定されてから50年)
このことによって、すでに日本国内では著作隣接権が消滅しているレコードが、この法律の発効によって突然権利が復活することになりました。個人的にはこのようなレコードのことを「ゾンビレコード」とよびたい気分ですが、おかげで(?)、著作隣接権の保護期間に関しては、細かい過去の経緯についての理解は不要になりました。

その後2003年の改正で、レコードの保護期間に関しては、起算点の変更(「音が固定された日」から「発行された日」に変更)が行われ現在に至っています。

と言うことで<ここまでおつきあいいただいた方に感謝m(_ _)m>

現時点(2005年)での著作隣接権に関する判断基準は現実的には以下のようになっています。

  1. 演奏家に関しては、1954年以降に演奏されたものが保護の対象となります。
  2. レコードに関しては、1954年以降に発行されたレコードが保護の対象となります。ただし、録音してから50年が経過しても発行されない時は、保護の対象からは外されます。また、1951年以前に録音されたものは、経過措置として発行年に関わりなく保護の対象からは外されます。この経過措置については、その後映画「ローマの休日」の著作権を巡って裁判で争われ、最終的に最高裁判決として1952年までに公開された著作物に関してはパブリックドメインとなることが確定しました。よって、文化庁の見解は最高裁の判例によってくつがえされたので、現在は公開日にかかわらず1952年までに録音されたレコードは全てパブリックドメインとなっています。
  3. 放送に関してはパブリックドメインとなることはほとんど考えられません。

ここで問題になるのは、2003年の法改正によって変更されたレコードの保護期間をどのように理解するかです。

まず確認しておく必要があるのは、法の発効までに著作隣接権が消滅しているものはこの法改正によっても権利は復活しないと言うことです。ですから、1951年以前に録音された音源に関しては悩むことなくパブリックドメインだと判断できます。
また、保護の起算点となる「発行された日」と言うのは、世界で最初に「発行された日」を意味しますので、再発行されるたびに権利が発生するのではないと言う点も重要です。

しかし、サイト管理者にとって、それぞれの音源の世界最初の発行日を特定するのはかなり困難であることは事実です。審議会の論議などを読むと、スタジオ録音の場合は、録音されてから日をおかずして発行される場合がほとんどであろう、などと気楽な発言がなされていますが、こういう問題を「~だろう」で片づけてもらっては困るのです。

クラシック音楽の場合も、スタジオ録音であれば固定された日と発行された日が大きくずれることはないでしょうが、おそらくはこちら側で確証が取れないものは、発行者側でも確定するのが不可能な場合が多いはずです。
メジャーレーベルでも管理体制はお粗末なものがありますが、生成消滅を繰り返すマイナーレーベルの音源の権利関係を正確に追跡するのはかなり困難でしょう。とりわけ、CDの登場によって雨後の竹の子のようにマイナーレーベルが林立した80年代以降の録音がボーダーライン上にきたときにはかなりの混乱が予想されます。

しかし、今回の法改正で一番重要な点は、保護期間の起算点に「発行」と言う概念を持ち込んだことでしょう。

著作権法というのは、基本的に人間の創造活動を保護、発展させることを目的とするものですから、保護される行為というのもそのような原則に従って規定されていました。
音楽に関して言えば、創作であり、演奏であり、録音という行為が保護の対象となっていました。ですから、レコード会社の権利について言えば録音という行為が保護の対象になるのですから、保護の起算点は録音という行為がなされたときからカウントされるのは当然のことでした。
それが、今回の法改正で、起算点に「発行」というビジネス上の概念が持ち込まれたことは、著作隣接権という概念を根底から掘りくずしかねない危険性をはらんだものだと言わざるを得ません。

審議会の答申を読むと、保護の対象が録音であるという点では変更はないが、昨今は録音年度の異なる音源を用いて一枚のアルバムとして発行されることが増え、その様なときには一枚のアルバムの中で権利関係が錯綜するので混乱を生じるおそれがあり、その様な混乱を避けるために分かりやすくしただけだと述べています。
しかし、今はその様な認識であっても、著作権法の中に「発行」などというビジネス上の概念が持ち込まれたことは論理的な整合性を著しく欠くだけでなく、このような異物の混入によって、著作隣接権そのものの概念が変質させられはしないかという危惧を抱かざるを得ません。

<まとめ>

2003年の法改正について、多くの方からご心配の声を寄せていただきました。この法改正で、ユング君のサイト運営に支障が出るのではないか、または、足下をすくわれることのないようにというご指摘でした。

私自身も、最初は様子を見ながら対応していけばいいかな、とのんびり構えていたのですが、ものには「時」というものがあります。今回の法改正は、そういう意味においていい「時」かなと思い、これをきっかけにもう一度著作権法を見直してみるきっかけとなりました。

今回改めて審議会の答申なども含めてすべて読み直し、関連の書籍などにも何冊かあたってみました。これには、昨年新しくスタートした我が町の図書館がとても役に立ちました。見つからない資料などもがんばって探してくれて本当に助かりました。感謝!!

今回勉強したと言っても、著作権法という巨大な法体系の片隅をかすった程度ですが、それでも、この法体系が時代の流れの中で巨大化し続け、今では身動きもとれずに死に瀕している恐竜のような存在であることを実感することができました。
そして、一部の著作権ビジネスに携わる人々が、自らの利権の守り手として著作権法の私物化を強めることによって、その様な矛盾と理不尽さはますます増大していることも知らされました。

たとえば、彼らがパソコンのメモリー上に一時的に保存される行為にまで著作権を適用させようという発言には耳を疑うものがありました。彼らは個人のパソコンに保存されるファイルだけでなく、メモリーのキャッシュにまで監視の目を光らせて、録音機器のように、出荷される段階でパソコンやメモリー、ハードディスク、その他様々なネットワーク機器にまで著作権料を上乗せしたいのでしょう。
この調子では、生まれ落ちた瞬間の赤ちゃんの脳にまで著作権法を適用すべきだと言い出しかねません。
おそらくは、著作権料と一緒に出生届をだしにいくというのは、彼らの夢見るユートピアでしょう。
いつの時代にあっても、悲劇と喜劇は紙一重です。