ビーチャムとモントゥーという全く傾向の違う二人による「シェエラザード」をアップしました。
こういう「聞き比べ」ができるのがクラシック音楽の楽しみの一つだと言えます。そして、同時にアマチュアとプロの違いと言うことにも思いを致させてくれます。
ビーチャムは最後まで「偉大なマチュア」と言われた指揮者です。
財閥の御曹司として生まれた彼は、生きるために指揮をする必要は全くありませんでした。それどころか、自前でオーケストラを作ってしまえるほどの財力まで持ち合わせていたのですから、そこには音楽をすることの楽しさがいつもあふれていました。
それに対して、モントゥーという男は、おそらくはプロの中のプロも言える指揮者でした。
調べてみると、あまりキャリアには恵まれたとは言えない人生です。1935年から53年までサンフランシスコ交響楽団の常任指揮者として活躍したのが一番のメインで、それ以外は客演活動が中心だった人のようです。ところが、彼が凄いのは、どのオケにいってもその指揮のテクニックだけで楽団員を信服させてしまい、「独裁せずに君臨する」と言われたことです。
これはなかなかできない事であり、まさにプロとよべる指揮者でした。
この両者の資質が、シェエラザードの演奏にもはっきりとあらわれています。
ビーチャムの演奏は、この作品がもっている華やかさをとことん追求したものとなって、ゆったりとしたテンポで、濃厚かつ官能的なシェエラザードの世界を展開してくれます。
シェエラザードはこうでなくっちゃ!と思わず納得の演奏です。
それに対して、モントゥーの方は実に素っ気なく始まります。テンポも他に似たものが思いつかないほどの早さで、素っ気なさを覚えるほどです。
なるほど、時に偉大なアマチュアというものはプロ中のプロに勝ることもあるものだ・・・等と不遜な思いがよぎったりもします。
実際、この速めのテンポは異例中の異例です。
あまりこういう単純な数字の比較は好きではないのですが、この「異例さ」を知ってもらうためには許されるでしょう。
モントゥー/ロンドン交響楽団
第1曲:8:59
第2曲:10:52
第3曲:8:22
第4曲:11:47
トータル時間:40:00
ビーチャム/ロイヤル・フィル
第1曲:10:03
第2曲:12:02
第3曲:10:42
第4曲:12:47
トータル時間:45:32
ちなみに、他の有名どころでは、オーマンディ/フィラデルフィア管弦楽団が一番遅くて「47:17」、小沢/シカゴ交響楽団が「46:38」、カラヤン/ベルリン・フィルが「46:19」ですから、ビーチャムが遅いのではなくて、モントゥーがダントツに早いのです。
この早さに何とか匹敵するのがアンセルメ/スイス・ロマンド管弦楽団なのですが、それでも「42:58」かかっていますから、モントゥーの早さは際だっています。
もちろん、こんな数字だけを比較しても音楽の作りの本質的なことは何も見えてきません。
大切なことは、作曲家であるコルサコフがこの作品をどのような音楽として構想したかです。
おおかたの指揮者は、この作品が華やかなオーケストレーションに彩られた官能性豊かな管弦楽曲として構成しています。そうとらえれば、トータル45分前後でのゆったりとしたテンポで表情豊かに演奏するのは一つの解です。
しかし、問題はそのような「把握」がスコアの分析という基本的な作業からもたらされたものなのか?と言うことです。そうではなくて、「みんなこの程度のテンポで演奏しているから、とりあえず僕もそうしよう」などと言う主体性のない判断の下でそのようなテンポが設定がされたのならば、それは問題です。
ここで明らかなことは、モントゥーはそのような大勢には順応していないと言うことです。そして、そう言う判断ができたのは、疑いもなくスコアの分析から他の人とは違うシェエラザードの世界を見いだしたからです。
モントゥーは、この作品にロシア的な情緒は求めていません。
彼が見いだしたのは、疑いもなく西洋音楽の基本原理に則って緻密に構成された管弦楽作品としてのシェエラザードです。
そう考えるならば、この作品のテンポ設定はこれしかあり得ません。これより遅くなると、音楽は弛緩します。ですから、最初は素っ気なくも思え、物足りなさも感じないわけではないのですが、聞き終わったときには実に立派な音楽を聴かされたという満足感が残ります。
まさに、これこそがプロの芸です。
もちろん、そんなプロの芸も堪能しながら、時にはビーチャムのような「面白ければ何でもあり!」みたいな世界も楽しめるクラシック音楽というのは、本当に懐の深い世界だと感心させられます。