2005年12月9日追加
音楽評論の世界ほど事大主義がまかり通っている世界はありませんでした。
「ありませんでした。」と過去形で述べたのは、インターネットの普及がこの事大主義に大きな風穴をあけたからです。
ところが、どうしたわけか、駆逐されたと思っていた事大主義が未だに根強くはびこっているエリアが存在します。それがブルックナーの演奏です。
不思議なことに、このエリアにおいてだけは、とある大先生が「すばらしい」と言えばすばらしい演奏になり、「つまらない」と言えばつまらない演奏になるという事大主義がはびこっているように見受けられます。
私の狭い経験の範囲で言っても、ブルックナーに関するこの大先生の意見に異を唱えるようなことを書くと、必ずと言っていいほどご批判のメールをいただきます。かつて、この大先生がティントナーの演奏を評論にも値しない駄演と無視したことを批判したときなどは、驚くほどのご批判を頂戴しました。ですから、ここまでの一文を読んだだけでも、かなりのお怒りを感じておられる方がいるのではないかと気が気ではありません。
さて、持って回った言い方をしましたが、そういう流れの中で、フルトヴェングラーのブルックナー演奏は無視、もしくは糞味噌に言われてきました。
しかし、本当にフルヴェンのブルックナーは省みるに値しないほどに価値のないものなのでしょうか?
このことに疑問を抱いたのは、テンシュテットのブルックナーを聞いたときでした。とりわけ、バイエルンの放送オケと録音したブルックナーの3番の圧倒的な迫力に接したとき、こういうブルックナーもあっていいのではないかと納得させられことが大きなきっかけとなりました。
ブルックナーといえども取り立てて神秘化することもなく、所詮は後期ロマン派の交響曲でしょう!という開き直りの上に宗教的な装飾などもかなぐり捨てて、まるでマーラーのシンフォニーのように演奏したものでした。そして、ふと気づいて過去を振り返れば、そのお里がフルトヴェングラーにあることに気づかされました。
そう思って、フルトヴェングラーのブルックナーを聞き直してみれば、音の貧弱さはブルックナーのような作品を聞く上ではかなりのハンデとはなりますが、それを補うだけの壮大な音によるドラマを味わうことができました。
確かに、それはフルトヴェングラー流に解釈したブルックナーであり、ブルックナーが理想とした音楽からは離れているという批判もあるでしょう。しかし、音楽を演奏するという行為は基本的にそのようなものなのではないでしょうか?
作曲家の意志に忠実な演奏だと言ったところで、まさかあの世から作曲家を連れてきて真偽のほどをただすことはできない以上、演奏家が作曲家の意志に忠実だと「信じる」演奏だという範囲をこえるものではありません。
さらに、R.シュトラウスやストラヴィンスキーなどの例を持ち出すままでもなく、作曲家自身による演奏が最高にすばらしい演奏でないことも周知の事実です。
作品というものは創作者の手からはなれた時点で一人歩きを始めます。
言葉をかえれば、作品が創作者の手からはなれた時点で、創作物は創作者のためにあるのではなくて、それを必要とする人ものになるのです。人生に屈し、未来は閉ざされたと思う人が音楽に救いを求めるならば、その時には、その音楽は創作者のものではなくて、それを求める人のものとなります。創作者がその様なつもりで作品を作ったのではないと言ったとしても、それを求めた人の解釈は否定できないでしょう。
逆に言えば、それだけのキャパシティを持った作品でなければ歴史をこえて聞き継がれることはないと言うことです。
フルトヴェングラー指揮 ベルリンフィル 1944年10月7日録音
フルトヴェングラーは当初ブラームスの3番を録音するように依頼されていました。
しかし、彼はそれを拒否してこのブルックナーの9番を録音したと伝えられています。
拒否をした表面上の理由は「ホールが小さすぎる」と言うことでしたが、かわりにブルックナーというのでは全くつじつまが合いません。
おそらく、フルトヴェングラーにとって、1944年の10月という大戦末期の状態で彼が求めた音楽はブラームスではなくて、ブルックナー、それも第9番の交響曲だったのでしょうか?
第1楽章のコーダでも、第3楽章でも地獄の底をのぞき込むような恐怖感を味あわせてくれるこの演奏は、まさにこの時代の空気を反映したものでしょう。これほどまでにこの作品が持つ絶望感を表現した演奏はこの他にはちょっと思い当たりません。
そして、その絶望感が最後のコーダで癒されるシーンは真に感動的です。それが、絶望的な時代におけるフルトヴェングラーの切ない望みの表明だとするならば、痛々しいまでに感動的です。
また、、大戦後に録音したブルックナー演奏を聞いているうちに、もう一つの思いもわき上がってきました。
ドイツだけに限った話ではなく、どの民族においても同様ですが、民族というものは全てにおいて偉大であったり、全てにおいて罪深かったりするわけではありません。おそらくは、その中に、この上もない偉大さと勇敢さが存在するかと思えば、その隣にどうしようもない偏狭さと残酷さが同居しているという有様です。
そして、フルトヴェングラーという人は、どれほど罪深い偏狭さと残酷さを見せつけられたとしても、それも含めた「ドイツ」というものを捨て去ることのできなかった人でした。
そして、この「ドイツ」という部分を「日本」という言葉に入れ替えてもられば、私の中に交錯している「思い」をある程度は理解していただけるかもしれません。
私は決して保守的な人間だとは思っていません。そして、過去になした行為の偏狭さと残酷さには真摯な認識と反省が必要だろうとは思っています。しかしながら、お家の事情で、時々思い出したように「お前は昔こんな悪いことをやったのから真剣に謝れ」などと言われ続けたら、やはり正直なところ「怒り」は感じます。
そして、その「怒り」の正体は何だろうと自問してみて思い当たるのは、一つの側面にしかすぎない「罪深さ」で民族の全てが塗り込められる事への「無念」さです。
おそらく、大戦後のフルトヴェングラーの胸の中にもそのような「無念」さが渦巻いていたのではないかと思います。
彼がナチスを毛嫌いしていたのは事実です。
しかし、いかに嫌っていようと、それもまたドイツの一部であることは認めざるを得なかったのがフルトヴェングラーという人でした。そうでなければ、彼もまた多くの知識人たちと同様にドイツを去っていたでしょう。
それは、どうしようもないほどの民族の恥部であっても、彼はそれも含めたあるがまの「ドイツ」を愛していたのです。つまりは、フルトヴェングラーという人は骨の髄まで「ドイツ人」だったのです。
それだけに、大戦後はその罪深さだけでドイツが塗り固められることにこの上もない無念さを感じていたのではないでしょうか。
そのようなライン上に彼のブルックナー演奏をおいてみると、そう言う風潮への必死の異議申し立てであったことに気づきます。
いや、「異議申し立て」というのは正しくないかもしれません。
それは、辱められ恥辱にふるえる「ドイツ」を必死の思いでかばい立てをしているようにすら聞こえます。
かわいそうなドイツ、そしてかわいそうな日本。
二つの世代を経て、そして経済的な発展を遂げて世界の大国となっても、その根底の構造は何も変わっていません。歴史は常に勝者によって書かれるものであり、敗者はいつまでその「無念」さを抱き続けなければならないのでしょうか。