奇跡が起こった!!
こうなったら保健所や警察に届けを出しておいて連絡がくるのを待つしかないようです。それはそれで、随分と重苦しい事態ですが仕方がありません。
今週は忙しい日が続いていますから、とにかく気を取り直して出勤の準備をしないといけません。手早くシャワーを浴びて呆然たる思いでリビングのソファに腰掛けて今後しなければならないことを頭のなかで整理していました。
その時です。
突然、ユング君とボニー君がけたたましくなきながら玄関から飛び出していきました。リビングから玄関の方を眺めてみると、ワンコを連れて散歩している人にえらそうに吠えています。でも、吠えられている方はよほどワンコが好きなようで、ドア越しにユング君やボニー君に愛想を振りまいてくれてくれています。しばらくすると、妻が玄関に顔を出してその方と対応しています。
私の方は,ヤレヤレ!という感じで再びソファに身を沈めました。
ところがしばらくすると急にハイテンションな妻の声が聞こえてきて、やがてドアを開けて外にかけだして行くではないですか。これは何かラッキー君の情報が入手できたのだと思い、私も妻のあとを追ってかけだしていきました。
ということで、以下のことはその後妻から聞いたお話です。
ワンワンと吠えているユング君とボニー君に愛想を振りまいていたおじさんに、妻がもう一匹ワンコがいるのだがそれが昨日から行方不明になっていることを伝え、何かご存じではないでしょうかと話していました。そんな話をしているときに、別の女性の方がワンコを連れてたまたま我が家の前を通りかかられたのです。そして、その方は妻とおじさんとのやりとりを、たまたま小耳にはさんでくれ、その女性の方から昨日茶色の柴のミックス犬がリードをつけたままうろうろと迷っていたので知り合いの方が保護したという情報をもたらしてくれたのです。
その方の話によると、迷子のワンコというのは茶色の柴のミックスでリードをつけたままウロウロしていた・・・、ということで、100%間違いなくラッキー君です。さらに、その保護してくれた方の家というのはこのすぐ近くだということなので、その女性の方と一緒に飛び出していったというわけなのです。
その方の家は、ラッキー君が行方不明になった広場から50メートルほど先に行ったところでした。時間はまだ6時過ぎだったのですが、チャイムを押すと一人の女性の方が出てこられました。そして、そこまで連れてきてくれた女性の方はその方とは知り合いのようで、かいつまんで事情を説明してくれました。
そこで分かったことは以下の通りでした。
私がラッキー君が茂みに姿を隠してしまい、諦めて家に帰ったのが7時25分頃でした。そして、その方が家の前でラッキー君を保護してくれたのは7時45分頃だったそうです。つまりラッキー君は私がいなくなってから20分間ほどそのあたりをうろついていたようなのです。さらに、腹が立つのは家の方に帰るのではなくて、さらに遠くの方へと足を伸ばしていたのです。
その方は、我が家が3匹のワンコを連れて散歩しているのをご存じだったようで、ラッキー君が帰る場所が分からずに迷っていると判断されたようです。ただし、仮住まいである私たちの家の場所は知る由もなく、さてどうしようかと悩まれたようです。最初はワンコが自分の家を知っているだろうということで、息子さんがリードをもって連れだしてくれたようですが、あちこちお疾呼をひっかけてはまたその方の家に舞い戻ってしまったとのことです。
それで仕方なく12時過ぎに警察に連絡を取って保護してもらうことにしたそうです。すぐにパトカーがやってきて、必要な手続きがすんでからラッキー君はパトカーに乗せられて我が町の警察署とに向かったというわけです。最初は素直にパトカーに乗るかなと心配したそうですが、ドアを開けると自分からちょこんと飛び乗っておとなしくしていたようで、これは随分と車に乗り慣れているなと思われたそうです。
警察署から引き取り
こうして、ラッキー君は無事に警察署に保護されていることが判明したわけで、保護いていただいた方にはお礼を言いながら再び家にとって帰しました。
しかし、解せないのは昨晩警察に電話したときにはそんなワンコはいないと言われたことです。しかし、保護していただいた方の情報によると、間違いなくラッキー君は警察署で保護されているはずです。家に帰り着くと、電話機の番号を押すのももどかしい思いで警察に電話をしました。電話口には昨日と同じおじさんが夜勤明けという雰囲気ででられましたので、今朝の出来事を手短に伝えてラッキー君が保護されているはずだが?と尋ねました。
すると、そういうワンコが確かに保護されているというではないですか。さらに詳しく聞いてみると、どうも昨晩は「茶色」というのを警察の方が首輪の色だと誤解したことが分かり、申し訳ないことをしましたと謝られました。
しかし、私たちにしてみれば、ラッキー君が無事であり、そしてその居場所が確認できたことで心底ホッとした瞬間でした。今すぐ引き取りに行きます!といって電話を切り、すぐに警察署に向かいました。
警察署は我が家から車で10分ほどのところですが、朝が早いのであっという間につきました。今まで胃は痛くて吐き気もしていたのが、嘘のようにスッキリしてきました。
警察署の駐車場に車を止めて、バタバタと建物の中に走り込みました。入り口では電話で対応してくれたおじさんがいて、昨晩の勘違いをもう一度謝られました。そして、念のために確認して下さいといって保護されているワンコのところに案内してくれました。
一度駐車場に出てそこからさらに地下のようなところへ降りていくと、その通路の端っこの方に一匹のワンコがつながれてちょこんと座っています。
それは間違いなくラッキー君です。
ラッキーの方も私のことが分かったようで、今までおとなしく座っていたのが一転してけたたましい叫び声をあげて泣き出しました。駆け寄って頭をなでながら、警察の方に我が家のラッキー君に間違いのないことを告げました。
それでは上の方で必要な手続きをお願いします!と言われたので、とりあえずはその場にラッキー君をおいて上の建物にもどりました。
手続きって何かな?と思いつつ渡された書類を見てみると、一つは「落とし物」をした状況を書くもので、もう一つはその「落とし物」を確かに受け取ったというものでした。そうか、迷い犬は落とし物になるんだな!と再確認した次第です。その書類に必要事項を記入し、署名捺印と運転免許証で身元の確認がすんで無事にラッキー君を引き取ることができました。
その手続きをしている間、下の方からラッキー君の泣き叫ぶ声が聞こえました。
ラッキー君はどこで生まれたのか、今何才なのか、そしてどんな暮らしをしてきたのかも分からない捨て犬さんでした。5年前に近くの公園に住み着いた野良犬さんだったのを引き取ったのですが、とにかく弱みを絶対に見せないワンコでした。ですから、そんなふうに泣き叫ぶなどということは今までに一度もなかっただけ、昨日からの不安感がその叫び声に集約されているようでした。
最後に
迷子になったときにつけていたリードは「落とし物」として金庫に保管されていて、ラッキー君は何かの間違いで逃げ出したりしないように金属製の鎖でつながれていました。
そりゃ、そうだな!何かの間違いで縄抜けされて行方不明になったら大変だもんな、と妙なところで警察の方の配慮に感謝しました。ただし、朝が早いので金庫を保管している方はまだ出勤していないと言うことで、リードは後日送らせてもらいますと言うことでした。私としてはラッキー君さえ無事にもどればリードなんかどうなってもいいので、そんなものは良いように処分して下さいと言いつつ、ラッキー君を鎖からほどいて抱き上げました。
先ほども言いましたが、ラッキー君は弱みを見せないワンコでしたし、甘えるのが下手なワンコでもありました。ボニー君やユング君は私がソファに座って読み物などをしていると、そばに寄ってきてベッタリとくっつきにきたりしますが、ラッキー君はそういうことは絶対にしないワンコでした。だから抱かれるのも苦手で、そういうことをされると嫌がってすぐにどこかに行ってしまうワンコでした。
でも、この日ばかりは抱き上げられても嫌がりもせずにじっとしていました。私の方も、心底ホッとしてラッキー君を抱き上げながら車を止めてある駐車場のところまで行き、ドアを開けて後の座席に座らせました。
こうして、ラッキー君は23時間ぶりに無事に我が家へと帰ってきたのです。
今回の出来事で私として反省すべき事はたくさんありますし、同時にワンコが行方不明になったときになすべき事もいろいろあることもよく分かりました。
しかし、最も痛感させられたのは、ワンコを介した地域の人間関係の重要さです。
今回ラッキー君が行方不明になってしまった原因は基本的には私のアホさ加減に起因していますが、仮住まい故の人間関係の希薄さがその背景として存在したことは否定できません。
今回と同じようなことが今まで長くすんでいた地域でおこったのなら、間違いなく近所の人が連れてきてくれただろうと思います。私自身も迷子になっているワンコを発見して連絡をしたことが何度かありました。長く住んでいる地域なら、ワンコの顔を見ればどこの家の子かはほとんど分かるからです。
しかし、おかしな言い方ですが、それでもラッキー君が無事に帰って来れたのも、この地域におけるワンコを介した人間関係があったからこそです。それは、その地域に存在しているワンコを介した人間関係を通してラッキー君は安全を確保され、保護されていたのであり、その人間関係のネットワークを通じてこの地域においては余所者に近い私たちのところまで情報がもたらされたのです。
当たり前のことですが、人と人の結びつきこそはこの世でもっとも大切なものだと言うことをあらためて教えられた出来事でした。(完)