偉大な万年青年、あふれるロマンティシズム
1998年12月1日 更新
幸せな思いでの一つが、晩年の山田一雄のコンサートを聴けたことです。
今でも、当日のプログラムをはっきりと覚えています。
前半が、プロコフィエフの「キージェ中尉」組曲とドヴォルザークのチェロ協奏曲、後半はブラームスの交響曲2番でした。チェロのソリストはリン・ハレルでした。オーケストラは大阪フィルです。
朝比奈と大フィルも結構厚い響きがしますが、この日の演奏の重厚さ、カロリーの高さは大変なものでした。
キージェ中尉の演奏からすでにパワー全開で、ドヴォルザークのチェロコンはチェロの独奏付きのシンフォニーのような重厚な演奏でした。
リン・ハレルもアシュケナージの指揮で入れた録音とは別人のような熱いチェロでした。
もともと、このリン・ハレルという人は、若くしてジョージ・セルに見いだされて、黄金期のクリーヴランド管のチェロの首席をつとめた人物です。後、ソリストに転出したのですが、こういう経歴のせいか、クールで端正というイメージがありました。
しかし、こういうプログラム前半のコンチェルトだととにかく伴奏をつけときましょうというオーケストラが多い中で、当日の演奏は山田の棒はこの曲の主役は俺だと言わんばかりの演奏でした。そして、そんな山田の棒にあおられたのか、はれるのチェロもオーケストラに闘いを挑みかかるような熱い演奏でした。
前半のプログラムが終わった休憩の時に、すでにコンサートが終わったような充実感がありました。
これで、コンサートが終わったとしても、不満を感じないほどの満腹感です。
にもかかわらず、後半のブラームスは、前半のプログラム以上に燃えに燃えた演奏で、聞き手にとっては完全に入力オーヴバーの状態になりました。
万年青年といわれた山田の面目躍如たる演奏でした。
正直言って、この熱さは時代錯誤のロマンティシズムかもしれません。
今の時代には疎まれる熱さかもしれません。
その激しい指揮ぶり故に、かつて、勢い余って舞台下に転落しながらも、なお倒れたまま指揮棒を振り続けたという逸話を持つ山田です。
ミスや欠陥をあげつらえば、いくらでも指摘できるでしょう。しかし、音楽の中に含まれるロマンティシズムをここまで表現し尽くした演奏がどこにあるでしょうか。
音楽の全体的な構造をがっしりとつかんで、その内包するロマンをここまで凶暴に叩きつけた演奏は初めての経験でした。
逆に名前だけは有名でしたが・・・・
殆ど記憶は薄れかけているのですが、これとは正反対の演奏を聴きました。
リッカルド・シャイー指揮のコンセルトヘボウ管弦楽団のコンサートです。
大フィルの定期と比べれば、馬鹿高いチケット代を払って出かけたコンサートでした。
プログラムもはっきり覚えていませんが、後半のメインが「展覧会の絵」だったことは記憶にあります。
響きの密度は薄く、クールきわまりない演奏で、とにかくスコアを一通り音にしてみましたという演奏です。
ほんとに「なめてんのか!」と思いましたね。
確かにミスもほとんどなく、アンサンブルもそれなりに緻密ですが、大きな破綻もなくとにかく無事に終わりましたという演奏に、どうしてあんなに高いお金を払ったのかと、自分の愚かさを呪った一日でした。
当時、売り出し中の若手指揮者として、シャイーはけっこう評価が高かったですし、オーケストラも名門コンセルトヘボウですから、それなりの演奏が聴けるだろうと言う、あまりにも安易な判断への当然のしっぺ返しでした。
何の期待も持たずに出かけた山田一雄のコンサートで、一生忘れることの出来ない感動を与えられ、世界的に高く評価されているはずのシャイーとコンセルトヘボウに、生涯忘れることの出来ない後悔を与えられるとは、クラシック音楽の世界は不思議な世界です。
そして、この経験から得た教訓は「本物は世に隠れていることが多い。」です。
勿論、山田一雄の評価は一部ではものすごく高かったことは事実ですが、世間的には無名に近いような扱いを受けていたことも事実です。
今日、朝比奈が能力以上に高く評価されているのを見ると、実に悔しい思いがしますが、山田自身はそんなことはきっと気にもしていないでしょう。
そういう生き方こそが、山田の信念でしたし、逆に言えば、そのような生き方が、あのようなスケールの大きな音楽を作り出したとも言えます。
数は少なくても、いくつかの録音が残ったことを幸せと思うしかありません。
<2015年3月7日の追記>
今読み返してみて、この一文をつづったときの情景までもが鮮やかに蘇ってきて、苦笑を禁じ得ませんでした。この一文もまた「読まれることを前提とした文章」にするために必要最低限の手直しを施しました。
それにしても、当時名の高かったシャイーのことをここまで直感的に拒否した感性は褒めてあげてもいいとは思いました。
当時のシャイーが目指していたのは、コンセルヘボウをベルリンフィルにも負けない世界一の「機能」を持ったオケに育て上げることでした。
そして、彼はそれを実現したんだろうと思います。
もちろん、そのあたりの評価は分かれるとは思いますが、それでもコンセルトヘボウを世界のトップクラスの「機能」を持ったオケに育て上げたことは誰も否定しないでしょう。
しかし、当時の私はそれを直感的に拒否しましたし、今の私もまたあれこれの事情を知ったことも加わって、より確信を持って拒否しています。
シャイーが為したことはオケが持っている伝統的な響きを犠牲にしてでもオケの小回りをよくしたことです。そのために彼はオケを一番下で支えるコントラバスをドイツ式のもからフランス式のものに変えたのです。
この小回りのきかない鈍重な楽器は、オケ全体の機能性を規定します。そのために、少しでも小回りのきくようにドイツ式からフランス式に変更したのです。
結果としてオケの機能性は大幅に向上しましたが、コンセルトヘボウの伝統的な響きは失われてしまいました。
もちろん、その事が全て否定されるべきでないことも確かですが、失われたオケ固有の響きは二度も蘇ることはありません。そして、機能性は犠牲にしてでも、頑なに古い楽器でオケ固有の響きを大事にしているウィーンフィルと比べてみれば、どちらがオケにとって良かったのかは明らかかもしれません。