ブラームス弾き~ジョコンダ・デ・ヴィート

ショパン弾きやモーツァルト弾き、さらにはベートーベン弾きなどと言う言葉はよく使われます。
当然のことですが、演奏者自らがそのような定冠詞を売りにすることは滅多になく、その多くは聞き手の側が尊敬の念を込めて奉るのが一般的です。しかしながら、奉られた演奏者の大部分はそのような「定冠詞」をあまりお気に召さないというのも、これまた一般的な傾向です。

何故お気に召さないのかと言えば、たとえばショパン弾きと尊敬の念を込めて呼ばれたとしても、ショパン以外にも多くの優れた演奏と録音を残しているという自負が本人にはあるからです。
その事はルービンシュタイン(ショパン弾き)やリリー・クラウス(モーツァルト弾き)やバックハウス(ベートーベン弾き)等を思い出してもらえばすぐに理解できるはずです。「俺は(私は)そんな狭い世界にすんでいるんじゃないよ!」と言うことなのです。

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Gioconda de Vito

しかしながら、聞き手の側からすれば、彼らの演奏を聴くと「ショパンは(モーツァルトは、ベートーベンは)かく弾かれるべきだ」との思いを抑えきることができなくなり、己の中の尊敬の念の表現として「ショパン弾き」だの「モーツァルト弾き」だのと言う言葉を奉ってしまうわけです。
お節介と言えば実にもってお節介な話なのです。

そして、そんなお節介を承知で言えばデ・ヴィートには「ブラームス弾き」という言葉を奉りたくなります。
当然のことながら、こんな言葉をご本人は喜ぶことはないでしょう。それでも、彼女の抑制のきいた太くて暖かみのある音でブラームスを聴かされると、「ブラームスはかく弾かれるべきだよ・・・ね!」と呟かずにはおれません。
ブラームスに華やかな音や大袈裟な身振りは相応しくありません。ハイフェッツやクレーメルみたいな研ぎ澄まされた音色で聞かされると、「凄いな!!」とは思っても、「どこか違うよね?」という思いが消し去ることができません。
デ・ヴィートのヴァイオリンはパッと聞いたときのファーストインプレッションはそれほど大したものではありません。しかし、そう言う音色で演奏されるブラームスをじっくりと聞いているとじわじわと心の中にしみ込んでくる情感があって、最後には「ブラームスはかく弾かれるべきだよ・・・ね!」となってしまうと言う魅力を持っています。

確かに、ソリストというものは他の連中を押しのけて「俺が俺が!!」と前面で出てくるようでないと成り立たないお仕事です。ところが、そう言うソリストに必要な資質が演奏において邪魔者になってしまうのがブラームスという人の厄介なところです。
そう言えば、外連味だらけのピアニストだったフランソワなどは「ブラームスを演奏すると吐き気がする」と切って捨てたほどです。もちろん、私はフランソワを貶しているのではなくて彼の正直さを褒めているのです。

デ・ヴィートは優れたヴァイオリニストでありながら本質的には教育者であり続けた人でした。トスカニーニにその演奏を絶賛されて一夜にして世界のトップに躍り出ても、彼女の本質は教育者であり続けました。ですから、本当であれば彼女の演奏が録音として残ることはほとんどなかったはずなのです。にも関わらず、彼女の録音がある程度まとまって残ったのは、EMIの重役であるビックネルと知り合い結婚してしまったためです。
しかし、そのようなソリストとしての活動はおそらくは彼女の意に染むことではなかったのでしょう。1962年には突然に引退してしまい、その後の30年以上にわたる長い晩年はヴァイオリンを一切手にすることなかったと言われています。

一流のソリストとしてやっていけるだけの優れた資質がありながら、同時にブラームスを演奏する時の妨げとなる「色」と「欲」から距離がおける希有の存在でした。
言うまでもないことですが「色」と「色気」は似ていながら本質的には全く別物です。
「色」は常に「欲」とセットになっていますが、「色気」は「欲」から距離を置かないとにじみ出てこないものです。たとえば、彼女の手になるブラームスの協奏曲などを聴くと、「なるほどこれが色気というものか」と納得するはずです。
女性のヴァイオリニストと言えば誰も彼もが「お水系」の雰囲気が漂う昨今の事情から見れば、このような「ブラームス弾き」は二度と出てこないのかもしれません。

ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第1番ト長調 作品78 「雨の歌」

(Vn)ジョコンダ・デ・ヴィート P:エトヴィン・フィッシャー 1954年5月11&12日録音

なお、蛇足ながら付けくわえておけば、3曲のヴァイオリンソナタは実に優れた演奏ですが、フィッシャーという、これまた優れた色気を身につけたおじいさんのサポートを得た54年録音の1番と3番が出色です。また、コンチェルトに関しては53年のEMI録音はルドルフ・シュワルツというあまり聞いたことのない指揮者のサポートなので不満が残る部分もあるのですが、デ・ヴィートの色気は充分に感じ取れる録音です。
録音のクオリティに関して言えば、何と言っても重役様の妻の演奏なのですから、おそらくは全力を尽くしたであろう事が充分に推察できる出来です。(^^v