指揮者というのはそのお国柄というものがよくあらわれる職種だと思います。
典型的なのはハンガリーです。
ザッと数え上げると、フリッツ・ライナー、ジョージ・セル、ユージン・オーマンディ、ゲオルク・ショルティという感じです。ハンガリーというのは小国であるにもかかわらず、怖ろしく恐くて、そして怖ろしく完成度の高い仕事をする指揮者を輩出しました。
そこにあるのは、ファナティックなまでの完璧さへの執着です。
今時、「本場」などと言う言葉は胡散臭いだけなのですが、それでもクラシック音楽の世界ではオーストリア・ドイツ系の指揮者がそれに当たることになっています。そんな「本場」の指揮者と較べれば、言葉はよくないのですが、彼らにはどこか「狂」という字がついて回る雰囲気があります。
ここからさらに東に進んでロシアにまで行くと、ムラヴィンスキーとかマルケヴィッチみたいな同族もいるのですが、さすがにロシアは大国なので、スラブのパワーを爆発させる全く別種の生き物も数多く棲息しています。
それに対して、今度は西に進んでいくとフランスなどと言う国があります。(^^;
主だった指揮者をあげればピエール・モントゥー、シャルル・ミュンシュ、アンドレ・クリュイタンス等が数え上げられるのですが、ここから読み取れる共通点は明晰さへの指向です。ただし、その指向はハンガリー系のような独裁によってではなくて知性とウィットによって成し遂げられているように見えます。
もちろん、こう言ったからとて、ハンガリー系の面々に「知性」が欠如していると言っているわけではありません。
その知性が要求する音楽を、怖い人たちはファナティックなまでのスパルタによって実現しようとするのに対して、フランスの指揮者の多くはウィットによって実現しようとするように見えるのです。
セルにしてもライナーにしても、彼らが要求する水準までにオケが達しなければ、待っているのは地獄の特訓です。
しかし、モントゥーにしてもクリュイタンスにしても、彼らは自らの指揮技術で実現できなければそれはそれで仕方無しとして、その範囲の中で音楽をまとめてしまいます。ただ、凄いと思うのは、その高い指揮技術によって、凡な指揮者ならば入念にリハーサルを繰りかえす事で実現できるレベルよりも高い水準に引き上げてしまうことです。
クリュイタンスのウィーンフィルでのエピソード、「あなた方はこの曲をよく知っている。私もよく知っています。では明日。」というのは有名ですが、これはいかにもフランス的なのです。もちろん、この背景には練習嫌いなウィーンフィルの面々の支持を得るためという算段もあったのでしょうが、本質的には自分の指揮技術に自信がなければ言える言葉ではありません。
そして、その様なフランス的精神を最もよく体現した指揮者がモントゥーでした。
彼の音楽の特徴は明晰なるものへの徹底した指向でした。
しかし、それ以上にモントゥーという指揮者をよく表している言葉は「独裁せずに君臨する」でしょう。
それは、ドイツ・オーストリアを対称の軸として東西でこれほども対照的になるのかと驚かされるほどです。
不思議なのは、彼の棒にかかると、オケは結構下手くそであっても音楽の内部構造がよく分かることです。しかしながら、下手くそであってもオケは怒られもせず、「俺たち結構いけてる!」というマジックにかかるので、結果として音楽に勢いとパワーが漲るのです。そして、その勢いとパワーは時には他では得られない魅力を生み出してしまったりするのです。
そして、そう言う下手くそなオケをモントゥーという人は長い時間をかけて熟成させていき、数年も経てば、これがあのサンフランシスコのオケ(言っちゃった^^;)なのかというレベルにまで高めてしまうのです。
私はセルやライナーという指揮者が大好きで、彼らこそが「プロ中のプロ」だと確信しているのですが、モントゥーのような指揮者に出会うと、プロの形も色々あることに気づかされます。
そんなモントゥーが残した貴重な録音の一つがチャイコフスキーの後期交響曲集です。
- チャイコフスキー:交響曲第4番 ヘ短調 作品36 ・・ボストン交響楽団 1959年1月28日録音
- チャイコフスキー:交響曲 第5番 ホ短調 作品64・・・ボストン交響楽団 1958年1月8日録音
- チャイコフスキー:交響曲 第6番 ロ短調 作品74「悲愴(Pathetique)」 ・・・ボストン交響楽団 1955年1月26日録音
チャイコフスキーの後期の3つの交響曲はボストン響を振ってのものですからオケは下手ではありませんが、同時代のシカゴやクリーブランドみたいな凄みはありません。しかし、それでもモントゥーの棒にかかると、チャイコフスキーの交響曲は古典派のシンフォニーのようにその姿が明晰に立ち上がります。
聞くところによると、この一連の録音は当初1955年に録音された第6番「悲愴」だけの約束だったようです。
しかし、そのレコードが大好評でよく売れたので、続けて4番と5番も録音されることになったそうです。
考えてみるとこれは実に幸運なことでした。
何故ならば、「悲愴」という音楽は明晰さだけではどこか不満が残る部分があるのですが、4番と5番に関しては、その様なモントゥーの方向性が万全に威力を発揮しているからです。
もしかしたらムラヴィンスキーの録音にも肩を並べられるだけの素晴らしさに達しているかもしれません。
本当に、ボストン響とのコンビでこの録音が為されたことは幸せなことでした。