ヘルシンキ・フィルとオッコ・カムによるシベリウスの2番
1998年11月1日 更新
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0年ほど前になるでしょうか。フィンランドを代表するオーケストラであるヘルシンキフィルが初来日しました。
確か、大阪では、FM大阪がスポンサーになって、シベリウスの交響曲の全曲演奏をフェスティバルホールで行なったのではないでしょうか。その模様はFM大阪が生中継したような記憶があります。
民放のFM局がクラシックの、それも決してメジャーとは言えないシベリウスの交響曲を全曲放送するなど、隔世の感があります。
そのおこぼれで、和歌山の県民文化会館で、彼らのコンサートを聴くことが出来ました。
プログラムは今でもはっきり覚えています。前半が、「フィンランディア」とR.シュトラウスの「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」、後半がシベリウスの2番でした。
知っている人は分かると思うのですが、和歌山県民文化会館というのはひどい建物で、演説会をするには不足はなくても、コンサートをするにはまず不向きな、とてつもなく響きがデッドな入れ物です。そのせいもあってか、前半は本当に素朴なR.シュトラウスで、「やっぱり田舎のオーケストラやなあ」などとぼやいていたのです。R.シュトラウスに素朴という表現は誉め言葉でないことを分かる人はそれなりに通ですね。
カラヤンが大好きだった過去
そのころは、恥ずかしながらカラヤンのレコードが大好きでした。
彼のゴージャスな響きにまいっていて、彼が録音したシベリウスのレコードも何枚か持っていました。
「さあ、本場フィンランドのシベリウスはどんなものかな」と楽しみにしていた後半のプログラムでしたが、これまた実に素朴なシベリウスでした。カラヤンのレコードと比べたら、ほんとにお話にならないくらい地味な響きで、盛り上がるところも全く盛り上がらない質素なシベリウスでした。
当日の指揮者は、オッコ・カムといって、カラヤン指揮者コンクールの第一回の優勝者で、それをきっかけにカラヤンに認められて、ヘルシンキ・フィルの首席指揮者になった人物です。言うなれば、カラヤンの直弟子とも言うべき人物なので、きっとカラヤン張りの演奏が聴けると楽しみにしていたのですが、その期待も全く裏切られました。
演奏は、3楽章から切れ目なく4楽章に突入し、弦楽器が輝かしい第1主題を奏し、トランペットがそれに応えて輝かしい対句を奏するはずなのですが、実に素っ気なく過ぎていきます。
その後、第2主題があらわれ、この二つが絡み合って、やがてボレロ風に高揚していった頂上で、第1主題を再現させます。これもまた、実に素っ気なく演奏され、最後のコーダへと流れ込んでいきました。
ところが、ところがなのです。
聴き進んでいくうちに、その地味な演奏が実に良くなってきたのです。
勿論、ヘルシンキ・フィルの響きが変わったのではなく、聴いている方が変わったのです。
そして、ふと、「ほんまのシベリウスの音楽いうのは、こんな地味な音楽かもしれんな」という考えが頭をよぎったのです。
帰ってきてから、カラヤンのレコードを聴いてみました。
いけません。ほんとに、いけません。
どこから、どこまでも嘘っぽく聞こえます。
大好きだった第4楽章の壮大な響きも、なんだかハリウッドの映画音楽みたいで、実に下品に思えてなりません。
これは、実に不思議な経験でした。
もしやと思って、それ以外のレコードも何枚か聴いてみましたが、殆どダメです。そして、何枚もカラヤンのレコードを聴いているうちに、彼の秘密が何となく分かってきました。
彼は、クラシック音楽のポピュラー音楽化を計ったのです。
スコアの中にちょっと聴かせどころのメロディーがあると、ここぞとばかりにベルリンフィルの機能を活かして歌いまくります。決め所では、速いテンポで畳み込みます。全体の構成は、そういう部分を引き立てるために計算しているようで、それほど無茶苦茶ではないにしても、基本は細部優先です。
きれいなメロディーや粋なテンポを次々に連続させて、聞き手を魅了するのがカラヤンの音楽の本質のようです。
それは全くポピュラーミュージックと相似形の音楽です。
ですから、R.シュトラウスみたいに、最初から厚化粧で、媚びを売っているような音楽なら大変な適正を示します。R.シュトラウスに関しては、今でもカラヤンが最高だと思います。
勿論、ポピュラー音楽をダメだと言っているのではありません。しかし、クラシック音楽は、彼らとは全く性格の違う人物なのです。
それを、なれない厚化粧をさせて,聴衆に媚びを売らせているようなカラヤンの音楽は我慢できなくなりました。
今、冷静に考えてみると、オッコ・カムは本当はカラヤンのような演奏をしたかったのでしょう。
その証拠に、前半のプログラムにR.シュトラウスを入れています。しかし、ヘルシンキフィルは彼の思うように動かなかったようです。
しかし、R.シュトラウスに関しては、オケが機能的に無理で、シベリウスに関しては、確固とした彼らのスタイルが指揮者の思いをうち砕いたのでしょう。
後に、ヘルシンキフィルはベルグルンドの指揮で本当に素晴らしいシベリウスの交響曲全集を仕上げています。
やはり、シベリウスに関しては、「恐るべし、ヘルシンキフィル!」です。
しかし、怖いのはカラヤンです。 彼は、クラシック音楽の門番みたいな人です。
彼は、取っつきにくいクラシック音楽を実に耳当たりよく聴かせてくれますから、彼の演奏が良いと言うことになると、他の演奏はおそらく全部ダメと言うことになってしまいます。しかし、それではいつまでたってもクラシック音楽という世界に入っていけません。
さらに恐ろしいことに、彼は細部の美しさにこだわって、結局は最後は自分流の音楽に仕上げていきますので、どんな音楽語法の作曲家でもお構いなしに録音しました。
普通は、どうしても自分とは肌の合わない作曲家や音楽は録音しないものなのですが、カラヤンの場合はお構いなしでした。
まさに、「星の数」ほど録音しました。 口さがない連中は「星の屑」ほど録音した、などとも言います。
ですから、どこから入り込もうとしても、カラヤンという門番が立っています。
ですから、この門番を通り越して中に一歩踏み込めた恩人が、ヘルシンキフィルと、実に皮肉なことに、カラヤンの弟子であるオッコ・カムでした。
カラヤンが死して何年も経ちますが、今でも結構カラヤンのCDは売れているようです。
確かに、クラシック音楽を分かりやすく、かつ、耳当たりよく聴かせる彼の能力は大したものです。それは認めつつも、やはり彼を乗り越えていかないと、いつまでも門の前でうろついているだけで終わってしまいます。
しかし、少し気になるのは、オッコ・カムの近況です。最近は、殆ど彼の名前を聞かなくがなりましたが、どこかで元気にがんばっているのでしょうか。
恩人の一人だけに気にかかります。
<2015年3月追記>
懐かしい文章です。「ホームページ」などというものを作り始めた一番最初の頃に書いた文章です。
その後、カラヤンに関する考え方は随分変わりました。しかし、この一文を読めば、長年のアンチ・カラヤンがスノッブなスタイルではなかったことが確認できてホッとしました。
70年代のカラヤン美学の問題点を「ドーピング」と喝破した人がいました、この一文もまたその問題点をそれなりの視点で分析しています。
さらに、オッコ・カムのその後ですが、この一文を記した当時はまだまだ紙媒体による情報しかなかったので行方不明になってしまったようです。
最近はネットで簡単に調べられるので、その後もヨーロッパで順調にキャリアを積み上げていったことはすぐに分かるようになりました。
- 1983年から1986年までオランダ放送交響楽団
- 1996年から2000年までフィンランド国立歌劇場の音楽監督や首席指揮者
- 2011年秋よりラハティ交響楽団の芸術監督兼首席指揮者に就任
「大阪では、FM大阪がスポンサーになって、シベリウスの交響曲の全曲演奏をフェスティバルホールで行なったのではないでしょうか。」
はい,そのとおりです。
私はFM大阪の懸賞で当たった招待券で,シベリウスの2番と5番のコンサートを聴きに行きました。1982年2月4日でした(日記で確認)。
2番の演奏の記憶はほとんどありませんが,このコンサートで聞いて5番を好きになりました。