2008年5月18日 追加
ヨーロッパは旅人自らが持っているものしか与えてくれない、と言った人がいました。
全く同感です。
オペラに興味がない人は、歌劇場に足を運んでも退屈なだけです。
美術に関心のない人が美術館に行ったとしても、これまた退屈なだけです。
歴史的な建造物と言っても、まあぱっと見た限りでは似たり寄ったりの建物ばかりですから、最初は感心しても、次々と見続けているといい加減飽きてきます。
要は、旅人自らがどれだけのものを持っているかによって、旅そのものの充実度が変わってきます。
ですから、にわか勉強であっても、事前にある程度知識を仕込んでから出向くのと、何もないままに行ってしまうのとでは大違いです。
ウィーン:美術史美術館
中学生の時に、美術の教科書に載っていた「雪中の狩人」がブリューゲルとの初めての出会いでした。私たちが西洋絵画と言う言葉から受けるイメージとは全く異なるその絵がすっかり大好きになりました。
狩人が犬を引き連れて狩りから帰ってくる場面ですが、その雪景色の美しいこと!
そして、遠くには彼が帰るべき村が描かれていますが、よく見てみるとそこには緻密に村の生活が描き込まれています。
そしてその彼方には、峨々たるアルプスの峰が描き込まれています。
画面のすみからすみまで、一切の手抜きなしにびっしりと緻密に描かれているその絵は、雰囲気で勝負の印象派の絵画とは対極にあるような作品でした。
その後、「バベルの塔」や「農民の婚礼」など、彼の作品に接していく中でブリューゲルは最愛の画家の一人になりました。
ウィーンの「美術史美術館」には、ブリューゲルの代表作がほとんど全てと言ってもいいほど収められています。
いわゆる、ブリューゲルルームと言われる部屋です。
短い旅行期間中に3回もこの部屋を訪れましたが、やはり初めて訪れたときの印象は強烈でした。
第一印象は「でかい!」の一言です。
それは漠然と思い描いていた作品の大きさとは、かけ離れた大きさでした。
小さな画集の図版で作品を見続けてきたために、何の根拠もなしに小さな絵を想像していたのです。ところが、目の前にある作品は縦横1メートル以上もあるような大作ばかりです。
そして、実物の「雪中の狩人」を見たときは、本当に感動しました。
白がこんなに美しい色だと言うことは知りませんでした。
さらにその作品の大きさに圧倒される思いでした。
この時、作品のスケールを実感することの重要性を痛感させられました。この圧倒的なスケール感を持って迫ってくる作品の魅力は、画集の小さな図版からは絶対に感じ取ることができないものです。
山ほど画集を買い込んでみても、「本当の魅力のかけらすらも感じ取れないものなのだ」という認識は、いささか悲しさも伴うものでした。しかし、それが真実である以上、やはり認めなければならない認識でした。
その格差は、下手なコンサートを聴かされるよりはCDを聞いている方がはるかに幸せなこともある音楽と比べると隔絶しています。
おかげで、それ以後ヨーロッパのいろんな都市を訪れるたびに、美術館に足を運ぶことは「義務」になりました。
そして、特にルーブルやピカソの美術館を訪れたときは、この感慨がよりいっそう確かなものとなりました。
本題からそれますが、ピカソの作品はどれも巨大なものばかりです。
その巨大さから、ピカソという人が持っている途方もないエネルギーを感じ取ることができます。この巨大なエネルギー感なしにピカソの素晴らしさは理解できないはずです。
また、ルーブルの作品群の巨大さは今さら言うまでもありません。
歴史の教科書には必ず載っている、ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」は、そのあまりの大きさに度肝を抜かれましたし、ダヴィドの「ナポレオンの戴冠」にいたってはもう笑うしかありません。
これが、ルーベンスの「メディシスの連作」となると、語るべき言葉を見いだし得ません。
本物だけが持つ圧倒的な迫力と美しさを味わうには、現地に足を運んで、本物を前にするしかないと言う、あまりにも当たり前の結論に初めて気づかされたのが、美術史美術館でのブリューゲルとの出会いでした。
ありがたいことに美術史美術館はがらがらでした。
もちろん、ブリューゲルルームは一番の売り物ですからそれなりに次々と人はやってきますが、いすにゆっくりと腰をかけて作品と対峙することができます。
この中の一つでも日本にやってきたら、それこそ立ち止まる事も許されず、人の頭越しに作品を一瞥するのが精一杯でしょう。
ヨーロッパの美術館で作品の前に人だかりができているのを見たのは、ルーブルのモナリザぐらいです。
あんな作品のどこがいいのか分からないので、頭越しにチラッと見るだけで十分でした。
とにかくゆっくりと、気が済むまで絵を見ていることができるというのは素晴らしいことです。
ただ、そうやって見つめているうちに、どれか一つでいいから担いでもって帰りたい衝動に駆られるのは困ったことでしたが。
少し残念なことは、もう一つのお目当て、ベラスケスの「青い服を着たマルガレータ」を見ることができなかった事です。
あるべき場所と思われるところを何度探しても見つけ出せないので、仕方なくつたない英語で係員に聞いてみると、日本のとある美術館に貸しだし中と言うことで、思わず苦笑いでした。
ついでながら、美術館でお目当ての作品を見つけ出せないときは、意地を張らずに係員に聞いた方が賢いと言うこともこの時学びました。言葉が出来なくても、相手はプロですから画集の絵を示しさえすれば親切に教えてくれます。
ちなみに、ウィーンの美術作品と言えば、クリムトなどに代表される世紀末芸術も見所です。
こちらは、ベルベデーレ宮殿の方に展示されているのですが、何と、これまためぼしい作品がほとんど日本に出稼ぎに行っていると言うことで、笑うしかありませんでした。
まあ、残念と言えば残念でしたが、クリムトの方までしっかりと見るとなると時間がいくらあっても足りませんから、かえってよかったのかもしれません。