「夢」というものの本質を教えてくれる人~コリン・デイヴィス

コリン・デイヴィスと言えば、貧しい家庭に育ったためにピアノを買うことができず、そのために最も値段の安かったクラリネットで音楽の学習を開始したという話は有名です。
そして、ピアノの演奏能力に問題があったために音楽大学では指揮法の履修を断られたという話も、これまた知る人ぞ知る有名なエピソードです。

Colin Davis

しかしながら、そう言う境遇にもめげずに、自分たちの仲間内でオケを作って指揮活動を始め、そして、ついにはクレンペラーが病気でキャンセルしたとき(1959年)に、その代役として「ドン・ジョヴァンニ」を指揮して大成功を収めと言う話も、これまた有名です。

こういう話を聞くとつくづくと思うのですが、「運」と「努力」は深く結びついているんだなと思います。
今ある己の状況の恵まれなさを愚痴る人は掃いて捨てるほどいますが、その状況を切り開くための準備を日々怠らずに努力している人は本当に少ないのです。

デイヴィスはピアノが十分に演奏できないことを理由に音楽大学では指揮法の履修を断られます。
しかし、そのような状況の中で友人達とオケを編成してそこで指揮の経験を積み重ねます。

そう言うことは言葉にしてしまえば簡単な事のように思えるのですが、そう言う先の全く見えない、「ものになるのか、ならないのか、全く分からない」状況の中で日々を過ごすというの半端な覚悟ではありません。

「運」と「努力」は結びつくと信じていても、それが本当に結びつくかどうかの保障は全くないのですから。
言葉が悪くて恐縮ですが、下手をすればただの「プー太郎」で一生を終わってしまうことだってあるのです。

ですから、そこには己の夢にかける「潔さ」が必要なのかもしれません。

「夢」というのはあまりにも安直に使用される言葉ですが、その本質は「かなう」か「かなわない」かではなくて、それを追い求めるという「行為」の中にこそあるものです。
かなえばよし、しかし、かなわなくて一生を終わったとしても、そう言う目的を持って己の人生を己のために使えたのならばそれもよしと言える覚悟こそが「夢」というものの本質なのでしょう。

しかし、私の狭い経験の中だけでも、意外なほどに「運」というのは「棚」の上から落ちてくるものです。しかし、目先の「かなう」「かなわない」に一喜一憂している人は、そうやって落ちてきた「運」の場所に身を運ぶこともしていないことが多いのです。

デイヴィスはこの成功で、モーツァルト作品を中心とした録音の機会に恵まれます。
3つの交響曲とオーボエ協奏曲、二つのセレナードとおそらくは埋め草としてのジャーマンダンス3曲です。そして、この録音の成功によって、彼の活動範囲はさらに広がっていきます。

モーツァルト:交響曲第29番 イ長調 K.201 (186a) コリン・デイヴィス指揮 1959年7月20&21日録音

1960年の暮れには次のオファーがやってきて、翌61年にはロイヤルフィルとベートーベンの7番を録音する機会が巡ってくるのです。
そして、その年の暮れには彼の名刺代わりとなるベルリオーズ作品(イタリアのハロルド)の録音にこぎ着けます。
そして、その翌63年には、彼が敬愛していたティペットのピアノ協奏曲の録音までをも実現させているのです。

この常に前を向く姿勢は、「夢」とは「かなう」「かなわない」ではなくて、追い求めることに本質があると腹の底まで覚悟している人のスタンスだだと言えば、いささか褒めすぎでしょうか。(^^;

面白いのは、次のステップに立ったときに、初めての録音だったモーツァルトとの時とは雰囲気が大きく変わることです。
モーツァルトに関しては透明感のある響きで内部の見通しを良くしてキビキビと進行していたのを、ワーグナーでは何となく全体を柔らかく丸め込んだような印象です。

ワーグナー:ジークフリート牧歌 コリン・デイヴィス指揮 シンフォニア・オブ・ロンドン 1960年11月27日~28日録音

そりゃぁ、音楽が違うのだから音色が違うのは当たり前だろうと言われるかもしれませんが、抽斗の少ない若手指揮者というのは意外なほどに金太郎飴的な人が多いのです。

ただし、そうやって新しい方向性を探ろうとしていることは評価するのですが、それではそれが上手くいっているのかと問われれば、それはそれでまた話は別です。
率直に言って、あまりにも音楽を丸め込みすぎてどこか平板な感じがしたことは否定できません。

ただ、私がデイヴィスという指揮者に感じていた弦楽器の響かせ方の美しさという片鱗は伺ボストン響の時代に聞かせたようなシルキートーンではありませんが、精一杯の美しさは引き出しているように思います。
そう言う意味では、デイヴィスという人は追い求めるべき「夢」というものの本質を身体的感覚として掴んでいた人なんだなと思う次第です。