全てが実にゆったりとした流れの中で時が過ぎていきます

バッハ:無伴奏チェロ組曲:(Cello)エンリコ・マイナルデ 1954年~1955年録音

Enrico Mainardi

エンリコ・マイナルディというチェリストも長きにわたって私の視野から外れていました。その一番の理由は「音源」があまり出回っていないと言うことに尽きるのでしょう。
しかしながら、彼はその生涯に3度もバッハの無伴奏を録音しています。

40年代の後半にDeccaで、50年代の中頃にArchivで、そして60年代にEurodiscからです。
この中で、Deccaとの録音は5番と6番を残して未完成に終わっているので、全集として完成させたのは2度という事になるのですが、それでもこれだけのオファーを受けるというのは大したものです。

ただし、どういうわけか、それらのレコードはすぐに廃盤となり、CDの時代に入っても最後のEurodiscからリリースされた録音だけが細々と生き残っているだけです。
特に、Archivは何が気にくわなかったのかはよく分からないのですが、マイナルディによる全集を完成させたすぐ後に、フルニエを起用してもう一度バッハの無伴奏を録音しているのです。そして、レーベルとしてはこのフルニエの方をレーベルのカタログに残してマイナルディの録音は廃盤にしてしまいました。

実は、Eurodiscからの録音も売れ行きがあまり良くなかったのでしょうか、すぐに廃盤となってしまったようです。
おかげで、世に出回っているレコードの数がそれほど多くはないので、それらのレコードは中古レコード市場ではかなりの高値がついています。

ネット上を調べた範囲ではArchiv盤が最高値で、全集として全てが揃った完品で30~40万円、Eurodisc盤でも15万円程度の値がついています。Decca盤も第4番を収録した1枚に3万円程度のプライスがついていました。

はてさて、どうしてそんな事になってしまったのかと、このArchiv盤を聞いてみたのですが、第1番の冒頭部分を聞いただけでその理由はすぐに分かりました。
悠然たるテンポで、実に美しく歌うバッハなので、今の時代ならば聞いていて嬉しくなる人が多いと思うのですが、50~60年代というのはこういうバッハは全く受け入れられなかったのです。

それは、ヴァイオリンのヨハンナ・マルティの時と全く同じです。

それにしても、なんという流麗なバッハでしょう。横への流れを至るところでぶつ切りにして、この上もなく厳しく、ゴツゴツしたバッハを造形したシゲティとは180度対極にあるバッハ演奏です。
ところが、このバッハが全く受け入れられなかったのです。
当時、マルティとEMIの辣腕プロデューサー、レッグとの関係は険悪だったようです。全くの想像(妄想?)ですが、レッグは「もっと精神性を前面に出さないと売れない。こんなムード音楽みたいな弾き方は変えろ。」みたいな事を言ったのではないでしょうか?
事実、時代が支持したのはシゲティのバッハであり、こういう「美しいバッハ」は誰も支持せず、LPは全く売れなかったようです。やがて、マルティはレッグと大喧嘩して音楽界から姿を消します。その後消息すら分からなくなり、1978年にわずか54歳でスイスにおいて亡くなったことが最近になって知られるようになりました。

サンモリッツで雪遊びをするヨハンナ・マルツィ

そして、レコードが全く売れなかったと言うことは中古市場に出回るレコードもほとんどないと言うことになり、マルティの場合は100万円を超える値がついた時期もあったように聞いています。

しかし、今の耳からすれば、この悠然たるテンポで紡がれていくバッハがどうして受け入れられなかったのかは理解に苦しみます。
確かに、バッハの時代のお約束から言えば、舞曲の性格は以下のようになっていますから、そのお約束からは大きく逸脱した演奏ではあります。

  1. アルマンド(Allemande):4拍子系のゆったりした曲
  2. クーラント(Courante):3拍子系のやや速い曲
  3. サラバンド(Sarabande):3拍子のゆっくりした曲
  4. ジーグ(Gigue):3拍子系のかなり速い曲

ザックリした分類ではあるのですが、マイナルディの演奏で聞けば全てが「ゆっくりした曲」に聞こえてしまうことは事実です。
「Allemande-Courante-Sarabande」と続いても、全てが実にゆったりとした流れの中で時が過ぎていきますから、なんだか心の襞が全て伸びやかにひらいていくような感覚にとらわれます。
そして、そのゆったりした感覚は最後の「Gigue」になってもそれほど大きく変化することはないのです。

ですから、この演奏は様式論を持ち出してきてケチをつけることはいとも容易いのです。
ましてや、像のダンスのようなカザルスや、ギコギコと鋸の目立てのようなシゲティのバッハが(もちろん、それはそれで素晴らしいのですが、まあ言葉の綾と言うことでご容赦あれm(_ _)m)スタンダードだった時代には、なかなか理解が得られなかった演奏スタイルだったのです。

しかし、誰も彼もが心がささくれ立つような日々を強いられている今の時代から見れば、聞くものの心を伸びやかにしてくれるこのような演奏は実に貴重です。
なんだか、ほっこりと春の日向でひなたぼっこをしているような心持ちにしてくれます。

しかし、そう言う演奏でありながら、カザルスやシゲティとは違うドアから、バッハらしい深い瞑想性という名の「精神性(いつも言っていることでが、実にいい加減な概念です)」の世界に連れ出してくれます。
そしてもう一つ特筆しておかなければいけないのは、このよく響く低音を土台としたマイナルディの音の素晴らしさと、その素晴らしい音を見事にとらえきった録音陣の素晴らしい仕事ぶりについてです。

こういうチェロやコントラバスの低音が好きだという人は意外と多いのですが、そう言う人にとっては涎が出そうなほどの素晴らしい音がここにはあります。
そして、中古レコードの市場というのは需要と供給のバランスで決まりますから、なるほど、このオリジナルLPに高値がつくことは納得がいきます。

いつも思うことですが、一つの価値観で物事を裁断する危うさは常に心しておかなければいけません。
特に、バッハのような許容力の大きな音楽においては、一度は全て受け入れると言うくらいの度量が必要なのかもしれません。

1 comment for “全てが実にゆったりとした流れの中で時が過ぎていきます

  1. toshi
    2019年2月26日 at 12:54 AM

    マイナルディはバッハの無伴奏の録音に特別な思いをもっていたようで、
    最後のEurodiscの録音のCDにマイナルディ自身の録音を終えた気持ちが
    綴られたノートがついていて、その文章を読むとマイナルディのバッハへの
    思い、バッハの録音を終えた満足感が綴られていて・・・この文章を読むだけで
    胸が熱くなります。本当に満を持しての録音という感じでした。
    音楽に真剣に向き合い、商業主義から距離をおいていた為、知名度が今一なのかも
    しれませんね。指揮者のK氏とは正反対かも^^;

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