音楽における感動

中原中也のエピソード=芸術との幸福な出会い

2000年8月26に追加 2015年3月12日一部編集

中原中也のエピソードが大好きです。
彼には不思議な癖があって、初めて会う人には必ず「君はバッハのパッサカリアを聞いたことがあるか」と尋ねたそうです。初対面でいきなりこんな事を聞かれた人は驚いたことでしょう。その人が「いや、聞いたことがない!」と答えれば、中也は心底羨ましそうな顔をして次のように語ったと言います。
「君の人生には、まだあのように素晴らしいものに出会う喜びが残されているとは何と羨ましいことだ。」
tyuuya
このエピソードには「幸福な芸術との出会い」が示されています。

クラシック音楽を聴き始めたときは全てが初めての出会いです。
なかには、どこかで一度は耳にしたような曲はあるでしょうが、それにしても全曲を通してしっかりと聞いたというような聞き方ではありません。そう言う初めての出会いの時は、ほとんどの曲が感動をもって聞くことができます。それなりの作品をそれなりの演奏で聞いても十分に感動できます。
もちろん、ここで感動をおぼえなければクラシック音楽なんかにのめり込むはずはないのですから、当然と言えば当然です。

「あぁ、世のなかにはこんなに素晴らしい音楽があったのか。」と感動にむせびながら、「1番がこんなに素晴らしいのなら、2番も3番も聞かなければ!」などとレコード屋に行ってはせっせとLPを買い込んでいたいたあの時代は本当に幸せでした。

さらに、クラシック音楽には同曲異演盤の楽しみもあります。メジャーな曲を一通り聞いてしまっても、様々な演奏を楽しむことができます。やがては、お気に入りの演奏家もできてますますマニアック(?)な世界にはまりこんでいきます。

この時代をクラシック音楽受容の「黄金時代」と呼びたいと思います。

しかし、この黄金時代もいつかは終わるときがきます。
新しい出会いに感動を求める限りはいつかは行き詰まるときが来るからです。
クラシック音楽の作品はそれこそ星の数ほどあるでしょうが、本当に好きになれる作品となると無限にあるわけではありません。演奏にしても同様です。そして当然のことですが、有限なるものには限界があります。

しばらくは目先のちょっとした違いに一喜一憂することもできます。しかし、やがては色あせて、昔みたいに音楽を聞いていても感動できないと言う時期がやってきます。
「スランプかな?」とか「疲れがたまっていて心がすり減っているのかな?」とか、いろいろ自分の内面をのぞき込むのですが、音楽を聞いても昔みたいに感動を覚えないと言う現実は存在し続けます。

要するに、黄金の時代は終わりを告げたのです。ここに至って、人は音楽における感動とはなんぞや?と、問い始めます。
そしてこの問いかけには自責の念がまじっています

芸術における「価値」について

音楽は不変です。
そして、その本質が普遍的なものであるがゆえに古典として時代を超えて価値を持ち続けてきたはずです。

そのようなすぐれた価値を内包した優れた作品であるならば、いつどのような状況のもとで聞いても感動的に聞けるはずなのに、昔のように心が動かない自分がいます。そう言う変化に目をつぶって格好をつけてみても、現実には音楽を聞く時間が確実に減っていくのが分かります。やがては、音楽を聞いても昔のように感動しない自分を認めざるを得なくなり、「俺は駄目になった!」と自責の念にかられるようになります。

しかし、このような変化は誰しもが経験することです。
ここで、俺は駄目になった!と決めつけてしまえば、クラシック音楽の世界から離れていかざるを得ません。そして、この壁を乗り切れずにクラシック音楽を聞くのをやめてしまう人が少なくないようです。

まず結論から言うと、この変化は「駄目になった」のではなく、誰しもが経験する通過点にすぎないものだと思います。言葉をかえれば、黄金時代はどんなに素晴らしいものであっても、それは永続するものではなく、必ず終わりをむかえるときが来ると言うことです。
もう少し、具体的に論じてみましょう。

最近、自分を4つの領域にわけて理解しようと言う考えがあります。

  1. 自分も知っていて他者にもオープンにしている「公開」の領域
  2. 同じように自分は知っているが他者には隠されている「秘密」の領域
  3. 自分は気づいていないが他者は気づいている「盲点」の領域
  4. 自分も他者も知らない「未知」の領域

他者との関わりの中で人間が成長していくというのは、関わるべき他者との間で「秘密」の領域を少しずつ共有しながら、自分の「盲点」に気づき、同時に「未知」なる自分に出会い、発見していく中で「公開」の領域を広げていくことだというのです。
これは実に示唆に富んだ見解です。

つまり、人間にとっての感動体験の本質はこれに照らせば、「盲点」への気づき、「未知」なる自分との出会いであり、それらが「公開」領域の拡張となって定着すると言うわけです。

輝ける「黄金時代」の正体

この分析方法を使ってみると、「黄金時代」の実態がよく見えてきます。

それは、音楽を聞くという行為が全て「未知」との出会いであり「盲点」への気づきであり、その結果を「公開」するにせよ「秘密」にするにせよ、せっせと定着をして自分という人間の領域を拡張できた時代だったのです。
これほど、素晴らしく楽しい時代はありません。

ついでながら、大人と子どもでは時間の価値が全く違うと言われますが、これを使えばその理由が簡単に理解できます。
同じ物を聞き、見ても、子どもは常に「未知」との出会いであり「盲点」への気づきであり、それをてことして自分の領域をせっせと拡張していきます。

ところが、大人にとっては、それは「公開」しているにせよ「秘密」にしているにせよ、大部分が「既知」である領域の再確認であるに過ぎず、自分の領域の拡張にはつながらないからです。
この違いは、そっくりそのまま、初心者とベテランの関係にもあてはまります。

つまり、初めて聞いたときはあんなにも感動したのに、今は何の心の動きも呼び起こさないと言って嘆くなら、それは嘆くのが間違っています。初めて聞いたときは疑いもなく「未知」との出会いであったものが、今やそれは「既知」なるものの再確認にしかすぎないからです。
ですから、経験を積んだ人間は「黄金時代」と同じような感覚で感動を求めてもそれはかなえられない望みです。

「すぐれた価値を内包した優れた作品であるならば、いつどのような状況のもとで聞いても感動的に聞けるはず」だと考えるのは大きな間違いだと言うことです。

それならばと、マイナーな作曲家の作品をせっせと聞きあさっている人々がいます。そう言う姿勢を決して否定はしませんが、やってみたいとは思いません。
なぜなら、「時間というジャッジは常に正しい」からです。

多少の浮き沈みはあっても、時間はすくい取るべき物はすくい取り、捨て去るべき物は捨て去っていきます。その厳正さは時に過酷なほどです。そう言うジャッジの目を逃れてなお優れた作品が埋もれているとしたら、それは新種のほ乳類を発見するほどの困難さだと思います。全くゼロとは断言できませんが、それに時間を費やすほど人生は長くないと思います。それよりは、黄金時代は必ず終わりを告げるものであることをしっかりとみつめるべきです。

それならば、音楽における感動とは初心者だけの特権なのかと言えばそれは違います。
断じてノーです。
音楽を聞くという行為を通して、盲点への気づきや未知なる物との出会いがあれば、そこに大きな感動が生まれます。
ただ、すでに「既知」であるところの音楽、演奏を今までと同じスタンスで漫然と聞いているだけでは、「盲点」や「未知」なる物に出会うことはまずないでしょう。黄金時代が終わったことを認めるのなら、私たちは音楽に向き合う姿勢を変える必要があるのです。
つまり、「聞く」のではなく「掘り下げる」必要があります。

掘り下げないかぎり、私たちは自分の「盲点」にも気づかなければ、「未知」なる自分に出会うこともありません。

黄金の時代から銅の時代へ

それは光り輝く黄金の時代ではなく、いがらっぽい「銅の時代」かもしれません。しかし、銅の時代には銅の時代なりの感動があるはずです。それは、黄金時代のような手放しの感動ではなく、時には人生の苦さもたっぷりとまじった感動かもしれませんが、それもまた自分という人間の領域を拡張してくれます。
いささかほろ苦い気もしますが、この時の移り変わりを受け入れなければ前進はありません。

そして、このレベルまで来れば、音楽の受容の仕方にはその人の人生が色濃く反映する事は避けられません。「音楽おける感動とはこういうものだ!」などと一元的に決めつけることは絶対にできないことは明らかです。
誰が言った言葉かすっかり忘れてしまいましたが、深く心に残っている言葉があります。

「人は一生に同じ物を3回見る。一度目は発見の喜びで見つめ、2度目はそれをじっくりと確かめ、そして最後に見納めだと思って見つめる」

まったくもって至言です。
発見の喜びで見つめる「黄金時代」、じっくりと確かめ、掘り下げる「銅の時代」、そして最後の見納めだと思って見つめるのは何の時代と言えばよいのでしょうか?

この「黄金」から「銅」への切り替えのポイントは「聞く」から「掘り下げる」です。表面は既知なる物で覆われているのですから、掘り下げるしかないのです。そして、明らかに聞くよりは掘り下げる方が遙かに労力を必要とします。

だとすれば、第2のポイントが明らかになります。
覆われた表面を全て掘り下げるなど不可能ですから、自分が本当に好きなところだけに焦点を絞って掘り下げる必要があります。つまり、「限定」することが重要です。
黄金時代は拡散する事によって(どんどんと曲を聞くことによって)自分の領域を拡張していったのが、銅の時代になると限定していかないと自分を拡張することができないのです。

「限定することによって拡張する」というのはパラドックスみたいですが、これは真実だと思います。

おそらくは、新しいものを追い求めるばかりでは、音楽における感動からはどんどん遠ざかっていくのだと思います。どこかで自分の心に正直になって、本当に好きなものに絞り込んでそこを掘り下げていかない限り、音楽における感動から見捨てられていきます。
そしてこれは、何も音楽だけに限ったことでないこともすぐに了承されるはずです。

自己のスタンスを絶対化することの誤り

そう言えば、演奏家にも二つのタイプがあります。
一つは、どんな曲でもお任せあれで、頼まれれば何でもやるタイプです。
「チャレンジこそが人生です」とか、「新しい境地が切り開けました」、等と言って次から次へと新しい録音活動を展開します。

もう一つは、限られたレパートリーしか録音しないタイプです。
コンサートでもごく限られたレパートリーしか取り上げず、たまにはもっと違う曲が聞きたいと望んでも全く聞く耳を持たない演奏家達です。

おそらく、黄金時代にある人は、後者のタイプには物足りなさを感じるでしょう。
銅の時代に足を踏み込んだ人は、前者のタイプにはもっと掘り下げろよな!と、不満を感じることでしょう。
どちらも正しいと思います。自分のスタンスを絶対化して相手のスタンスを否定するのは大きな誤りです。しつこく繰り返しますが、音楽における感動を一元的に論じるやり方は常に大きな過ちを引き起こします。

例えば、「ムラヴィンスキーこそが、神の領域に迫る演奏を展開している。これを聞かずして音楽における感動を語るなかれ」等と主張されても、大部分の人はとまどうばかりでしょう。もちろん、この「ムラヴィンスキー」のところに、誰が入っても事情は変わりません。神の領域に迫っているのはフルヴェンなのかムラヴィンスキーなのか、はたまたクナなのか、そう言う論議は基本的に無意味であり非生産的です。

正確に言えば、「今の私にとって、ムラヴィンスキーの演奏は神の領域に迫っていると思われる」と表現すべきです。そして、「ムラヴィンスキーの演奏が持つ価値」と、「今の私」との関わりを具体的に論じてもらえればそれは傾聴に値するはずです。
その掘り下げた結果が、もしかしたら私の「盲点」に気づかせ、「未知」なる部分に目を開かせてくれるかもしれないからです。
その結果、ムラヴィンスキーの一連の業績に深い感動をおぼえるかもしれませんが、だからといって「ムラヴィンスキーこそが!」と言うような乱暴な一般化にはつながらないことは明らかです。

「銅の時代」の向こうに見えるもの

それでは、「限定」し、「掘り下げる」時代の次には、何が来るのでしょうか。英知ある人は「見納めの目」をもって見つめると語っています。

これは明らかに対象を限定し掘り下げていくような聴き方とは明らかに違います。限定と掘り下げが動的なイメージを伴うとすれば、見納めは静かなスタティックなイメージが感じ取れます。
最初に述べた4つの領域で分析すれば、そのスタティックな行為を通して、最も深い盲点への気づき、未知なる自分との出会いがあるように思えます。
そしてそれらによって拡張された自分はほとんどが公開の領域ではなく、秘密の領域へと押し込められて静かに人生を終えていくように思われます。

もっとも、ようやくにして「銅の時代」の入り口にたたずんだばかりですから、このレベルの話になると語れることは何ありません。しかし、人生の終わりを実感ととして感じ取れる段階に来れば、とてもじゃないが「限定」と「掘り下げ」ではしんどいな、と言うことは分かるような気がします。

ただ、この「見納め」と言うことについては心の中に深く残されている思い出があります。

もう20年近くも前のことです。
そのころは、夏がくると毎年山に行っていました。その年も、蓼科から入って、約1週間の八ヶ岳の縦走に挑んでいました。まあ、挑むと言うほどのコースではありませんが・・・。

Yatugadakeところが、その年は天候には全く恵まれず、ずっと雨が降りつづけました。蓼科から入山したときも雨、北八の森林地帯もずっと雨の中を歩き続け、横岳から主峰赤岳に至るコースもずっと雨の中でした。横岳から雲が滝のように流れ落ちる景色を楽しむこともできましたが、これだけ雨が続くと流石にうんざりしてきます。
赤岳の頂上小屋に昼過ぎに到着し、宿泊手続きをすませてから、すぐ目の前にある頂上へと向かいました。しかし、深田久弥が最高の展望台とよんだ赤岳山頂も、真っ白な霧に包まれて何も見ることができません。なんとか天候が回復しないものかと1時間ほど粘ってみたのですが、全く回復する気配はなく、あきらめて小屋へと引き返しました。

翌日は雨こそはやんだものの、濃い霧に包まれて展望はゼロの状態です。
山の朝は早いですから、そんな状況に見切りをつけて宿泊していた人たちは次々と出発していきました。私も、次の権現岳を目指して出発しようかとも思ったのですが、この悪天候の中を再び歩き続ける事にいささかうんざりしていたので、もう少し頂上で粘ってから下山しようと方針転換をしました。
ほとんどの人が出発してしまい、急に閑散となった赤岳頂上で腰を下ろして、何も見えない白い霧の彼方に目を凝らしていました。その時、傍らに、同じように何も見えない白い霧の向こうに目を凝らしているご夫婦の姿に気がつきました。そう言えば、昨日もおなじ場所で、私が引き上げた後も、その場にたたずんでいた老夫婦でした。

簡単にご挨拶をして、いろいろ話をかわすうちに、埼玉県から来られていること、年はすでに70歳を越えておられることなどが分かりました。そして、ご主人の方が誰に言うともなくぽつんと次のように話されました。

「若い人はいいですね。次も、その次もあるんですから。私などはここ5年ほど、いつもこれが見納めかもしれないと思って登っていますよ。」
そして、誰に言うともなく「若いと言うことはいいですね」ともう一度くり返されました。

当時20代の前半だった私は、「見納めだと思って山に登っている」という言葉が、強く心に残りました。

そんな世間話ともつかないようなおしゃべりを交わしていると、突然、そう全く突然に雲が流れだし、目の前に権現岳がその雄姿を現したのです。そして、その背後に南アルプスの山並みが姿を現しました。
山は時として、このような劇的な展開を見せてくれますが、この時は格別でした。

やがて、「北アルプスも見える!」と言う声に誘われて目を転じてみると、遙か彼方に北アルプスの連山までもが姿を現しはじめました。そして、決して見間違えることのない槍の穂先も姿を現し、穂高への稜線もはっきりと確認できるようになってきました。
それは時間にしてわずか数分の出来事でしたが、まさに「劇的」といえるほどの展開でした。

Yatugadake_1しばらく呆然として、槍から穂高への稜線を見つめていると、奥さんの方が「よかったですね」と語りかけられました。しかし、ご主人の方はその言葉に答えることなく、じっと立ちつくしていました。そんな様子を見て、奥さんはもう一度自分に語りかけるように「よかったですね」と声に出されました。

やがて、再び雲が湧きだしてきて、赤岳の山頂はもとの真っ白な霧におおわれてしまいました。それは、時間にして30分足らずの出来事でした。しかし、その30分は、雨の中を1週間も歩き続けた鬱陶しさを不思議なくらいきれいに吹き飛ばしてくれました。
山頂からの展望が素晴らしい輝きを持って自分に迫ってきたことに、言葉にならないほどの感動を味わったからです。

悲しいことに、その後の20年の人生において、再び同じような経験をすることはありませんでした。それは、後にも先にもこの一回限りの経験でした。

ご夫婦に別れを告げて、一気に山を駆け下りていきました。そして、バス停の手前の眺めのいいところで、一息ついて腰をおろして休んでいると、雲の中に隠れていた赤岳がもう一度、唐突に姿を現してくれました。
それはほんの数十秒の事でしたが、八ヶ岳が最後の別れに心からの微笑みを送ってくれたような気がしたことだけははっきりと記憶に残っています。

見納めの「目」

その時は、何故にあれほども輝きをもってすべての景色が目に飛び込んできたのかは分かりませんでした。しかし、今ならその理由が少しは分かるような気がします。
それは、山頂で出会ったご夫婦が持っていた目、つまり「見納めとして見つめる目」を、その一瞬だけ分けてもらったからだと思います。
何も見えない白い霧の中で会話を交わすうちに、少しずつそのご夫婦に同化をしていき、そして、予想もしなかった劇的な展開の中で、そのご夫婦が持っていた「見納めとして見つめる目」を分けてもらえたのだと思います。

その時の景色は本当に、不思議なほどの輝きと神々しさを持っていました。そして、その時の何とも言えない満ち足りた感情は今も心の片隅に残り香のように住み着いています。
そして、ものを見つめるときのスタンスの重要性と言うことを最近考えるようになり、この時の体験がしきりに思い出されるようになりました。
特に、「限定」と「掘り下げ」の次のステップとしてやってくる「見納め」について考えるときには、必ずよみがえってくる体験です。

またセネカで申し訳ないのですが、このローマの哲人はこのように述べています。

「生きることは生涯かけて学ぶべきことである。そして、おそらくそれ以上に不思議に思われるであろうが、生涯かけて学ぶべきことは死ぬことである。」

セネカは生きることを学ぶことと、死ぬことを学ぶことは等価だと言っています。
つまり、よく生きたものだけが、よき死をむかえることができると言うのです。
だとすれば、今できることは、ひたすら限定し、ひたすら掘り下げることだけです。
銅の時代を生き抜かない限り、彼岸には到達できないようです。