アレンジ主義者(?)ジョージ・セル

R.シュトラウスの「ティル」の悲鳴

2000年1月3日追加

前回、バルトークのオケコンについて論じたときに次のようなことを書きました。
Szell_5
「もし、R.シュトラウスの作品で、同様の弱点を感じたなら、セルはバルトークと同じようにアレンジをして、『弱点の改善をしてやった』と言っただろうか?」
おそらく、答えは『NO!』でしょうね。」

かさねがさね、馬鹿なことを書いてしまった。
確かに、セルにとってシュトラウスは神にも比すべき尊敬の対象でした。しかし、それぐらいでアレンジを躊躇うほど「柔なおじさん」ではなかったのです。

2000年の最初から懺悔では先が思いやられる。

 

R.シュトラウスにおけるスコアの改変

年の暮れ、風邪を引いてボーッとした頭で本(「オーケストラの秘密」金子健志編 立風書房)を読んでいると、カラヤンが指揮した「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」をとりあげて面白いことを書いていました。

作品の詳しい内容は省きます。
問題は最後近くに出てくるティルの処刑の場面です。
ここは、おそらくベルリオーズの幻想交響曲のパロディでしょう、ティンパニーのトレモロと金管のファンファーレにのってティルの悲鳴が3度聞こえます。幻想の方は断頭台なので、一回でチョンコロリンと首が転がりますが、こちらは絞首台のようです。しつこく悲鳴が響きます。
金子氏は、衆人環視のもとでの儀式張った処刑の様式と言っています。

スコアではこの悲鳴は「A―A―B」という形式(バール形式と言うらしい)で、三度目はオクターブ高く演奏されます。
音量も最初の2回はピアノ指定で、最後はフォルテッシモにして、より断末魔の雰囲気を高めています。

ところが、カラヤン盤ではこれにアレンジを加え、3度目の悲鳴の「最後の音」をさらにオクターブあげて、断末魔の雰囲気を高めているというのです。
音量面でも、最初の2回は意図的に抑えておいて、3回目の断末魔をより効果的にしているらしいのです。

同じ改変をセルもやっていたとは・・・

そして、ここからが肝心な点なのですが、「ある人の話によれば、セルも同じようなアレンジをしているらしい」というコメントがついているではないですか。

あんな事をかいて3日もたたないうちに、こんな記述が目に付くとは本当に運が悪い。しかし、ぼやいていても始まらない。
早速CDをチェックしてみると、まさにおっしゃるとおり、音量面の対比はそれほどではないが、確かに最後の音はオクターブあげています。(チェックに使ったCDは、「CBSSONY32DC216」)

いたずらが最高潮に達したところでティルは捕らえられ処刑の場に引き出されます。(T1:11分28秒)
ティンパニーのトレモロとファンファーレの中、ティルの弱々しい悲鳴が聞こえます。(T1:11分43秒)
そして、2回目の悲鳴。(T1:12分)
問題の3回目の悲鳴はT1の12分10秒のところから始まります。断末魔の最後の悲鳴が一呼吸おいて、オクターブあげて響きます。

これは確かに効果的なアレンジです。
金子氏は、「こうした隠し味的な部分アレンジは、現場的な継承で、地下水脈的に意外な繋がりを見せる」と語っています。
こうしてみると、セルは、がちがちの原典尊重主義者どころか、基本的にはアレンジ派、いやアレンジ主義者とでも言った方がピッタリかもしれません。

このように、オクターブあげたり(ティル)、ばっさりとカットをしたり(バルトークのオケコン)、シンバルの一撃を追加する(チャイコフスキーの5番)等の分かりやすいものだけでなく、微妙なオーケストレーションの変更は至る所でやっていると思います。
このような微妙なアレンジは、まさに現場での伝承として伝えられていくものであり、それこそは伝統と呼ばれるものの中核をなしています。確かにマーラーが語ったように、「伝統とは怠惰の別名」という側面もありますが、反面、それを無視しては独りよがりの自惚れにしかならないのも事実です。

セルは基本的には劇場の人だったようです。

劇場でのたたき上げが指揮者という仕事にとって必要不可欠な理由もまたここにあります。
現場での伝承を知っていて無視するのと、知らないで無視してしまうのでは、形は同じでも中身は天と地とほども異なります。原典尊重主義のつまらなさの原因は、以外とこんなところにあるのかもしれません。
コンクール上がりの指揮者は、このような伝統にはきわめて疎いのです。そんな無知を原典尊重の錦の御旗で覆い隠しているとしか思えません。

もし、セルのことを、「スコアに忠実な演奏を機械的に正確に行った人」と考えている人がいれば、そんな誤った考えは今すぐ捨てましょう。彼ほど優れた伝統の継承者は数えるほどしかいないはずです。
それこそがセルの正体の一面です。
彼の根っこは、しつこいほど何回も書きますが、20世紀初頭のウィーンにあります。
セルとはそういう人なのだと言うことを、改めて再認識させられました。