2012年1月4日追加
気がつけば、世間で「介護生活」と言われる状況にはまりこんで7年目となりました。
最初に、妻の母が倒れました。7年前のことです。
次に5年前に父が病に倒れ、7度の入退院を繰り返して3年前に亡くなりました。
そして、父を見送るのと前後して母も倒れました。
よって、この3年間は二人の母を引き取っての介護生活と言うことになりました。
最初はできる限り自宅での介護と思っていたのですが、一人は介護度が5になり、もう一人も4になると、それも不可能になりました。
しかし、自宅での介護が不可能になったと言っても、お願いできる施設がすぐに見つかるほど世の中は甘くはありません。かけずり回るようにして、可能性のある施設を訪ねては窮状を訴えて回るという日が続きました。
妻も私もフルタイムで働いている状況では、それは実に厳しい毎日でした。
幸いだったのは、そう言う大変な日々の中で多くの人と知りあえたことです。多くの人たちの助けを借りながら急場を何度もしのぐことができました。
日本は年寄りに冷たいと言われます。
しかし、私なりの介護の体験を通して実感したことは、それとは全く反対の現実でした。
日本という社会は、その気になれば使える介護のためのシステムや制度が充分すぎるほどに用意されています。ただし、そう言うシステムや制度は一般的にはほとんど周知されていません。
そうすると、すぐに、周知の努力を怠っている行政の怠慢を指摘し批判するというスタンスがこの社会では流行しています。
自分に介護の重みが乗っかっていない「暇で気楽な人」ならばそれもいいでしょう。そう言う人たちには、「正義の味方」になってもらって、そう言う怠慢を告発し続けてもらえればいいと思います。
しかし、年寄りの明日の世話をどうするのかで切羽詰まっている人間にとっては、そんな「正義の味方」の「告発」なんぞは何の役にも立たないのです。
明日をどうするかと思いや悩んでいる人間にとって必要なことは、何とかしてくれる具体的な人や施設を見つけることなのです。
そう言うときに、本当に役に立ったのは、様々な場面で知り合った多くの人たちでした。
それは、ケアマネであったり、いろいろな施設のスタッフであったり、時には行政の人であったりしました。
必死の思いでヘルプを求めると、受け入れてもらえるときは受け入れてもらえましたし、不可能なときはいろいろな案を出してくれました。そのたびに、そんな制度やシステムがあったのかと目から鱗の思いがしたものです。
自宅介護が不可能になり、二人の母を受け入れてもらえる施設を探すために、いくつもの施設にヘルプを求めました。
そして、その中で最も条件がいいと思われる施設に関しては、ある方から、「毎日通いなさい」というアドバイスを受けました。施設というのは、申し込んだ順番に受け入れるのではないと言うことをこの時はじめて知りました。この辺り、あまり詳しく書くと差し障りもあるのでこの程度にします。
しかし、運もよかったのでしょうが、妻の母は日参し始めてから2週間ほどで入所ができました。私の母は、その後集中治療室に入って死線をさまようという一幕もあったのですが、容体が落ち着いて退院ができそうになった頃から日参して、約一ヶ月で同じところに入所ができました。
『私はこんなに困っているのに、誰も助けてくれない!』
そう言って、その場にうずくまって座り込んでいても誰も助けてくれません。おそらく、困っていることにも気づかれないでしょう。
困っているときに困っていると声をあげ、助けを求めるというのは、実に持ってエネルギーのいることです。また、場合によってはかなりみっともない格好かもしれません。
私は「自助努力」というのは、そう言うことも含まれると思います。そして、日本の社会というのは、そうして声をあげる人間を見捨てるほど冷たい社会ではないと確信しています。
『がんばろう日本』が気に入らないという人が多くいるようです。確かに、「頑張ってください」と言う言葉は安全地帯から投げかける無責任な言葉です。
ですから、私も当初は、何が頑張れだ、と思っていました。
しかし、最近は少しずつ考えが変わってきています。
冷たいようですが、やはり一人一人が「頑張る」しかないのです。それは震災や台風からの復興の話だけではありません。就職にしても、景気が上向かない中での会社の経営にしても、はたまた結婚相手を見つけることだって、「頑張る」しかないのです。
国や行政を恨み、社会を恨む事で自分の目の前の困難が解決されるならば、死ぬまで恨み続けてもいいでしょう。
自分の不幸を嘆き、泣き続けることで、目の前の困難が解決されるならば、死ぬまで泣き続ければいいでしょう。
もちろん、恨むことも泣くことも必要です。
しかし、恨みをぶちまけ、泣くだけ泣いたら、闘わなければなりません。そう、闘わなければならないのです。
そう思えば、「がんばろう日本」よりは「たたかおう日本」にスローガンを掛け替えた方がいいのかもしれません。
私のこの6年間の介護生活も、介護という現実を前にして頑張ってきたのではなくて、闘ってきたと言った方が心情的にはピッタリきます。
もちろん、これを「強者の論理」と切って捨てることは容易です。
しかし、嘘でも元気を出していかないと、泡のように「不幸の岸辺」へ打ち上げられてしまいます。
やはり、天は自らを助けようとするものしか助けてくれないのです。
闘う姿が端からはジタバタとみっともないものでも、闘うしかないのです。そして、歌の文句じゃないですが、闘わない奴らがそれを笑うとしても、闘い続けるしかないのです。
2012年1月5日追加
なんだか新年早々、我ながらご大層なことを書いてしまい、何通かのメールもいただいて恐縮しきりです。(*^^*)
メールやコメントいただいた方々には心より感謝申し上げます。
そして、本当に介護の問題を抱えて奮闘していられる方が多いことを改めて感じさせられました。
ただ、随分と偉そうなことを書いたのですが、実際のところ一番奮闘したのは私の妻でした。本当に切羽詰まった状況で底力が出るのは女性の方みたいです。
実にてきぱきと可能性を探ってはアタックしていくのは彼女の方であって、私は側でただウロウロしているだけでした。
「私は弱い女性を見たことがない。」
こう言ったのは誰だったでしょうか?そう言えば、ホームレスの境遇に陥っていくのは圧倒的に男の方が多いですね。
男というのは、日頃は偉そうにしていても、その内面は驚くほど脆弱な人が多いです。
「私は弱い女性を見たことがない、そして、強い男も見たことがない。」
こういった方がいいのかもしれません。
最近読んだ村上龍氏のエッセイに大要次のようなことが書かれていました。
「人は腹をくくって行った選択が不幸な結果をもたらしたとしても納得がいくものだ。しかし、泡のように流されて行き着いた先が不幸な現実だと、それは受け入れることができず恨みの感情をだいてしまう。」
全くその通りだと思います。
腹をくくって選択し、その結果を受け入れて、誰にも責任を転嫁しない。
おそらくこれこそが、現代における「自助」の第一歩ではないかと思います。
ところが、名だたる大企業のトップを務める人であっても、この基本の覚悟がない人があまりにも多いように思えます。
やはり、「強い男は見たことがない」というのは真実なのでしょうか。
2015年4月2日追加
この一文を追加してから約1年後にその母も亡くなりました。春の嵐が吹き荒れる比でした。
春一番天を揺すりて母逝かん
母は花を育てるのが好きで、大事にしていたクリスマスローズも一緒に引き取りました。大株の3鉢を引き取ったのですがそのうちの一鉢は不覚に枯らしてしまいました。その後私も腕が上がって、今は残った2鉢は庭に地植をして、さらに見事な大株になっています。毎年こぼれ種からたくさんの苗が生えてくるので、その苗をポット苗にしてご近所に配っています。
なんだか、これが母への一番の供養のような気がします。
yungさま ご無沙汰しています。
日頃より、貴方のブログでFlac音源の利用者です。
>腹をくくって選択し、
その結果を受け入れて、
誰にも責任を転嫁しない。
おそらくこれこそが、
現代における「自助」
の第一歩ではないかと思います。
、・・・・素敵な明言プレゼントありがとうございました。
清治拝
いつもお世話様です。
聞いたこともない曲に遭遇し、驚かされたり。
同曲違演で楽しんだりと日頃よりアップを楽しみにしていました。
私も今年の一月に実弟を亡くしました。51歳でした。肺がんでした。
本人ががんばれという言葉をかけないでくれと母78歳に言う姿がとても
痛かったですね。実弟の闘病中に私も仕事で指を骨折し、父87歳も自転車で
転んで骨折と不思議なくらい事故が起きました。そんな中、母は父の病院、弟の病院
へと毎日毎日通い続けました。実弟の死はあっけなく訪れました。母がもう動けないと
言ったやさきでした。身も心も捧げ尽くした時にそれが訪れるのを母の父が亡くなった時にすでに経験していたからです。母はただそれを確認するようにハンコを突きに病院へ通ったのです。
ユング君さんがそのような中、毎週のようにアップを繰り返すのは母の行為のようにも思いましたのでコメントにならないコメントをさせて頂きました。
ありがとうございます。